私は考える〇〇である。
『人間は考える葦である』とはよく言ったものだが、私は葦とも言い得ないような人間であるように思う。ふと気になって葦について少し調べてみたのだがあれは非常に成長が早く、地中に残った地下茎からも発芽するほど繁殖力も高いそうだ。
それに比べて私はいかほどのものだろうか。何をやっても成長速度は並みかそれ以下、新しく得たはずの知識や技術は露のように私の中から零れ出ているような気がする。もし私の心身の一部が地中に残っていたら私はそこから芽を出せるだろうか。それだけの可能性を持ち合わせているだろうか。
人間は自然を従えるようになったことで種としての発展を遂げたとなにかで読んだが、自然を従えているはずの人間である私は自然を従えるに値しないではないか。私は考える何であると言えばいいのだろう。