人との関わり方が下手くそ

こんにちは。ピヨッペです。自分の為に書きますが、巡り巡って結果的に誰かに何らかの微小な影響でも与えられたらいいなと思います。

他者と交流する際に熱量の齟齬がある

私は今まで親密な人間関係をほとんど築けずに生きてきました。その場凌ぎの人間関係ばかりなので、時を経れば瓦解し疎遠になる様な関係性のものがほとんどです。故に地元の友達というものが存在せず、私の中の友だちコレクションは圧倒的に平均より母数が少ない筈です。現存している人間関係を維持・進展させようとする時、母数の少なさが足を引っ張るように思えます。相手にとって私は大勢の中の一人でしかないのにも関わらず、私にとっては相手が特別な存在に思えてしまうから、そこで大きな差異があると思います。友だち経験の不足も相まって、関わり方が分からない。基本的に消極的な関わり方であったので、距離を詰めようとすると大抵上手くいきません。無難な会話だけし続けていると維持すらできずに、やはりその場凌ぎの関係に留まってしまうんでしょうね。

関係の取捨選択が関係の維持に繋がる

距離を詰めようと自己を主張した際に、疎まれるようであれば、相手と自分がただ相性が悪かったというだけのことの様に思えます。そういった場合は親密になる事を潔く諦めて、適切な距離感で接するか一切関わらないのが、双方に取って良い様に思えます。親密な間柄で関わりをする際に、自己と乖離した人格を演じ続けるのって酷だし面倒くさいですよね。であれば、相性の良い相手の登場する機を待ちながらも適度な距離感で無難に人と接するしかないのかなと思います。ただ、常に無難である事は何の進歩ももたらさないので、その人間関係にヒビが入る覚悟で自己を主張するような冒険をしてみるのが楽しさ・面白さへつながる道なのかなと思います。

ある程度は自分本意でいい

人と人との関わりである以上、そこに利点しかない場合なんてほぼないのではないかと思います。大なり小なり不利益は生じざるを得ないし、それを覆うほどの利点がそこの関係にあればそれでいいんじゃないですかね。やりたい様にやってみて、その結果自分も相手も納得してくれる様な人とだけ関わってたらそれだけで私は十分に思えます。まあ、それが難しいし、そんな考え方だから友だちも少ないんでしょうけどね。

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