生き残り
I have no interest in conversation with terrorist and terrorist supporters. We will not accept their blood thirst on our borders anymore.
すべてのものが虚無となった後に、ふと空爆によって燃え上がる炎を見て、もしも、その炎の色や形が美しいと感じることができたなら、その人がいかなる立場であるかは差し置いて、それはその人が人間性を取り戻した瞬間であるといえるのではなかろうか…と考えてみる。
平和を愛する、と言っている人に対して、私は言う。あなたたちは嘘つきだ。今起きている出来事に対して、あなたたちはただTVで崩れるビルの映像を眺めているくらいで、何もしていない。そして何もしてこなかった…。
そのように彼女が言ったとき、たちまち私たちは皆嘘つきとなった。
ある日人間に絶望し殺すか殺されるかの計画を考えるもののやっぱりやめてとりあえず私が嫌悪する属性の人間が全て滅びればいいと願った後に、いつもどおり人間が侮辱したり殺したり殺させたりしている世界で誰かが誰かに愛していると言った。
私たちは知っているはずだ、それが純粋なものではないことを。それなのにまたひとつ、ふたつと嘘をつく。嘘をつきながら私たちは祝福する。そして他の誰かにも幸福が訪れるようにと祈る。私はそのときいつも1人だけで泣いている。
私はわからない。どうして世界は悲しみや苦しみに満ち溢れているのか。どうして悪があるのか。そして、どうして中途半端な善のようなものがあるのか。
どうして、私たちはこんなにも嘘を愛するのだろう。この嘘が本当になるようにと願う私は、愛という名で汚されながら、人を道具とみなしサーカスを楽しんでいたのに。私たちは平気で他人を裏切り罵り合ったりしているのにどこかのタイミングで急に、自責の念に駆られたり、赦しを乞うたりする。今も私たちは、自分たちで見放してきたことに対して立場不相応に心を痛めたりする。
すでに諦めている人もいるし、それは真っ当だと思う。その世界で、美しい、痛いと感じることの方を信じたいと思うことは、傲慢で、安直で、愚かで、反逆的だ。
それでもそれを、美しいと感じた。