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困窮してみた No.1 〜転落まで〜

「OZZYさん、ウチこない?」

そんな声が僕にかかったのは、2017年10月の終わりの某日。
某資格試験の実技試験に落ちて、若干自信を若干喪失していた頃だった。

当時僕は、前年春頃からの社内の新事業の技術関連を、ほぼ一人で回していた。
6連勤、9:00〜26:00みたいな勤務になりはじめ、更にエンドユーザーから深夜早朝土日祝日問わずに個人のLINEアカウントに問い合わせがくる日々。
プライベートまで誰かに手綱を握られているようなストレスフルな状況が続き、会社自体も、代替わりの社長交代を前に、二代目が無駄にイキっては空回りで先が思いやられる状況に、胃がチリチリし始めていた(その時期のエントリはコチラ)。

そんな状況から逃げ出したかった、絶妙なタイミングでのヘッドハントだった。
給与提示額は、現職の約1.2〜1.5倍。休日数も増える。
小さな代理店からメーカーへの転身。
状況だけを見れば、だれもが「受けるべき」と言うであろうお話だったし、僕自身もご多分に漏れず、そう考えた。

不安がないわけではなかったけれど、そのメーカーの製品は7年もメインであつかって、ずっとサポートしてきたものなので、それなりに愛着もあり、理解していたし、先方の社員も、面識もあり、一緒に何度も仕事をした人も多かった。
転職話としては、これ以上ない程良い条件だった。

そういった条件面から、僕は当然のようにお話を受けた。
でもこの決断からずっと僕は、えもいわれぬ嫌な予感と、鬱々とした気分にとらわれ始めていた。
なぜ、心の声を無視してしまったのだろう?
心には、あんなにも警報が鳴り響いていたのに……。

2018年1月。
初出社の日は、大雪。
だからというわけではないけれど、新職場の最寄駅に降り立ったとき、なぜか「自分がこの街に歓迎されていない感覚」を感じた。

入社にあたり、諸々の条件面の確認をしたとき、いくつかの齟齬があった。

技術職としてという話のはずが、配属は新規営業部。
40時間のみなし残業のことは聞いていなかったし、僕的には、賃金以上に最も重要な要素で、それがあったからこそ移籍を決断した『原則定時で帰れる』という話も、配属部署に関してはその限りではない、という、「聞いてないよ」のオンパレード。

それでも、旧職を辞し、書面を交わした上で雇用契約を結んだ以上、やっていくしかない。
ぼてぼてとみっともなく動き回り、会社の空気に、早く慣れようと右往左往した矢先、タイミング悪く、就業二週目でインフルエンザに感染。1週間の休養を余儀なくされる。
その後も、2〜3週間程身体の不調は続き、カラ元気を出す余裕すらない状況。
常時心身ともに重い状態で、すっかり「暗い人」といった印象になってしまった。

わけてもしんどかったのは、昼休憩。
それまで、基本的に弁当持参でお金を使わず、かつ休憩時間に仕事や職場の人間関係から離れることでリフレッシュできていたのだけれど、どうも部署の人間同士で昼食を摂るという暗黙のルールのような空気感が感じられた。

上長、あるいはその場で最も在籍の長い人間の「空気」を読んで、昼食のタイミングも食べるものも合わせる。
人によっては当たり前なのだと思う。社会人として当然という人もいるだろう。
けれど、これが僕は死ぬほど嫌だった。

仲がよい者同士が昼食を一緒にとる、というならまだわかる。
だが、技術系の古株社員と、技術に疎い営業社員との間には、明らかな軋轢があった。
誰かがいないときには、その人の悪口が共通の話題。
「休憩」なのに、神経が全く休まらない。インフルエンザの不調も尾を引いていたので、カラダも辛い。

お金もしんどい。
700〜1,000円の昼食代が毎日飛ぶのは、試用期間の薄給の身にはかなり堪えた。
色々としんどかったので、なんとかこの合同昼食会をエスケープできないものかと、なんやかやと逃げ回り、避け続けていたら、上手く溶け込めていないのかと、トップに心配された。

いやいや、これはなかなか……。
溶け込めないというより、溶け込みたくないなぁ……と、正直思ってしまった。
飯を一緒に食う、酒を一緒に飲む、といったことで、仕事上のコミュニケーションが円滑になるという昭和の神話を、僕は全く信用していなかったし、いまでもしていない。

早々に出来上がってしまった双方の悪いイメージ、外資なのに古い日本の企業のような社内の空気(前述の昼食や、社内の承認の煩雑さ、個人裁量の低さ)、それなのに求められる数字は外資のそれ(前職の約10倍)。
そもそも技術寄りの立場として呼ばれたはずだったのに、蓋を開けてみればゴリゴリの営業として配属。呼ばれて来たのに、なぜか部署内に猛烈に吹きすさぶアウェー風。

いろんなミスマッチが重なって、自分でも驚くほどあっさりと、就業一ヶ月を待たずに病んでしまった。

一つ一つは、小さな事だった。
人によっては「え? そんなくだらない理由?」と言われてしまいそうな、それどころか、それが問題になりうると考えることすらないであろう程に、小さくて、馬鹿げてて、取るに足らないような事。

でも、それらは僕にとって、小さいけどクリティカルなものだった。
ひび割れた心に穿たれた、いくつかの小さな楔は、徐々に亀裂を大きなものにしていった。

リビングデッド状態で、それでも僕は毎日会社へ通った。
職場の最寄駅が近づくと、動悸が早くなり、呼吸ができなくなる。
胸が圧迫され、真冬だというのに脂汗が流れた。
眠れなくて、睡眠時間はもうずっと一日2時間を切っていた。

どんどん自分がおかしくなっていくのを感じながらも、年齢も年齢だし、家族を困窮させることを考えると、辞めるという選択肢をカジュアルに選ぶことは難しかった。

およめさまの勧めで、心療内科への通院を開始し、リフレックスを処方されると、呼吸困難と胸の圧迫は収まったものの、酷い倦怠感との戦うことになった。

それまで、自分自身が、

『合わない環境からは、早々に逃げるべき』
『適性のない場所で自分を活かせない状況で働くのは、社会にとっても損失』

と言い続けてきたのに、自分のこととなると全く踏ん切りがつかない。
リフレックスによる脳の痺れと慢性的な眠気(だが眠れない)で朦朧とする中、決心に至ったのはおよめさまとのメッセのやりとりでの、この一文だった。

教訓:
①:ヘッドハントに限らず、雇用契約時は、口約束レベルの段階から、自分が想定している内容と先方が想定している内容との齟齬かないかの確認が重要。

②:我慢のできること、我慢の効くことは、我慢できる閾値は、人によって違う。いい歳ぶっこいていようが、情けなかろうが恥ずかしかろうが、できないものはできなくて、無理すると病む。特に一度メンタルをヤっちゃってる人は、自分を健常だと過信しないこと。僕は過去1度メンタル離職を経験済。今回は二度目でした。

③:わかっているからといって、できるわけではない。精神がヤられていると、正常な判断ができなくなる。家族、友人、誰でもいいので、普段の自分をよく知っていて、ある程度忌憚なく話ができる人を持っておき、その人の目でチェックしてもらうことで、最悪の事態を回避できる可能性がある。

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