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【note2.お金の使い方について、バカなりに考えてみた】

本エントリの概略。

①:慎ましく生きろといったな、あれは嘘だ(ただし、おれらを除く)。
②:disるな危険。〜潜在顧客をわざわざ去らせる愚を犯さない。
②:「賢いお金の使い方」は、個々の経済状態によって異なる。

【①:カネを使うなといったな、あれは嘘だ】

前回のエントリで、「生活コストを極限まで下げるべき」というお話をした。
舌の根も乾かぬうちにちゃぶ台返しをするが、金を可能な限りジャブジャブ浪費することは、「物々交換の究極の代替品」「富の回収装置」というマネーの性質上、極めて正しい使い方だ。

ただし、「国家や世界の運営上は」という但し書きがつく。

ZOZO澤社長が数億円のヴァイオリンを購入するのも、宇宙旅行に行くのも、若手女優と付き合って豪華なデートをするのも、全力で経済をブン回しているし、彼の事業もまた、経済を回している。
前回、「金は選択肢をつくる」とも言ったが、ZOZO澤社長にはうまい棒1本〜宇宙旅行(あるいはそれ以上)までの選択肢の幅があり、2018年10月現在の筆者(困窮中年)には、「はなまるうどん」で140円のかき揚げを頼むか、セルフサービスの天かすで我慢するか程度の幅しかない。

ZOZO澤社長は、筆者のざっと1700倍程度の年収なので、ZOZO澤社長の皮膚感覚では、はなまるうどんのかき揚げの価格は、限りなくゼロになる。
逆に、はなまるうどん かけ(小)130円+かき揚げ140円=270円という金額を、ZOZO澤社長の感覚に直すと、約460,000円
ランチに460,000円使って、筆者の「はなまるうどん かけ(小)130円+かき揚げ140円」とバランスする。

無論、「税」というものが存在するので、実際はこの半額程度の想定になろうが、それにしても隔絶している。

【②:『不dis(disラズ)の誓い』】

ZOZO澤社長のようになりたい、と志向するのは構わない(実現可能性の高低は別として)。
というか、ZOZO澤社長のようになりたいと志向し、至らないまでも、それなりの規模の事業を興すことができたならば、税収と雇用の創出(それは更なる納税者を産む)という点で、公利に叶った、実に素晴らしいことだ。
しかし、ZOZO澤社長に嫉妬やヘイトを投げるのは間違いである。
自らの成果物を「買ってもらう」ことを目論む者なら尚更だ。
現代の商人は、国を問わず常に、「深刻な買い手不足」に苛まれている。

生活必需品ではないもの
なくても飢えたり、寒風に晒されたりしないもの

ジャンルを問わず、コンテンツ屋には、そういったものを買ってくれる人、お金を落としてくれる人が、一人でも多く必要なのだ。

筆者は、『コンテンツ』には、「安い」「腹が膨れる」以上の『おいしい』『雰囲気が良い』などの付加価値を提供する飲食店なども含まれると思っている。
極論すれば、生存に関わるレベルを超えた消費物は、どこかしら『コンテンツ』的な側面を持ち、現代の労働者は、意識するとしないとに限らず、コンテンツホルダー(あるいはコンテンツホルダーを補佐する立場)であると、筆者は考えている。

消費物がコンテンツ化した現代では、「必要」は既に満たされているので、顧客の財布からカネを引き出す難易度は上がる。
そんな時代、絶対に必要なものではないモノやサービスを、ノリでポンと買えるか否かは、やはりかなりの部分、可処分所得如何だと思う。
うどんつゆに油の滋味を加えるだけなら、無料の天かすだけでも事足りるのだから。

なればこそ、十分な可処分所得を持つ、富裕層と呼ばれる潜在顧客の不興を、わざわざ買いに行くのは悪手だ。

富裕層相手に限らず、現代は「嫌われない」ということが、とても大切だと思う。
アドラー心理学的な『嫌われる勇気』とはバッティングしない。
筆者が言っているのは、「わざわざヘイトを投げる」愚であって、過剰な承認中毒から自由になることは、むしろ「嫌われない」ことに繋がる。

何も難しいことではない。
Twitterその他SNSで、わざわざ人の悪口を言わない・喧嘩をしない、ということを徹底するだけで良い。

自分が快くおもっていない人の悪口を、わざわざ言わない。
異なる意見に出会った時、わざわざ喧嘩を吹っかけない。

ただそれだけのことだ。

代わりに、人を褒めることを徹底するのだ。
太鼓持ちになれと言うのではない。
あなたが「いいな」と思った、誰かのツイートでもnoteでも作品でも、全てに対してポジティブな感想を送ってあげるのだ。

フォローしている/されているかどうかは関係ない。
むしろ、何らかの創作活動や、外側に向けての発信を行っている人なら、自分の意見や作品が、自分のフォロワーの外に広がり、ポジティブな評価を得られることは、喜びこそすれ、嫌だと思う人は少ないのではないだろうか?

無論、そうでない人もいるとは思うので、相手方からのリプがなくても、相手方の反応が芳しくなくても、腹を立てたり嘆いたりする必要はない。
生暖かい目で見守り続ければよいし、先方の反応が悪ければ、そっとミュートでも(ブロックではなく)しておけば良い。

大切なのは、

・DISらない
・褒める

の2点だ。
あなたの中の抜刀斎に、逆刃刀をもたせ、DISの刃を収め、『不dis(disラズ)の誓い』を徹底するだけで、あなたを取り巻く様相は一変する。
相手が誰であっても、これは徹底してほしい。
これだけ人と人が、否応なしに『つながってしまう』時代に、あなたの行動言動は、常に見られていると思っておいた方がいい。

【③:持たざるモノのカネの使い方】

経済そのものをドライブできるような富裕層や、ノリで無駄遣いができる小金持ちには、ガンガン金を使って経済をドライブしてもらう方が良いと言った。
では、それ以外、本邦のサイレントマジョリティーたる貧者(と書いて「おれら」と読む)についてはどうだろうか?

基本貧者(おれら)の生活は、ハンド・トゥ・マウスだ。
雀の涙ほどのカネは、入ったそばから『生活』に消えていく。なけなしの余剰を、ノリで使ってしまうのはいけない。
筆者は、生活費を除いた部分については、『資産」ないし、『資産を産む』モノ以外へカネを使うことは、全て無駄遣いと定義している。

筆者の考える資産の一例は、『金(GOLD)』である。
アクセサリーではなく、LBMA(ロンドン貴金属市場協会)と東京工芸品取引所の公式国際ブランドに認定されているブランドの刻印のあるインゴットの形が望ましい。
ユダヤ人やインド人といった、常に『有事』の中で生きながらえてきた民族が、なぜ金(GOLD)をという資産に目をつけたかを調べてみれば、同様に不安定な情勢である現代の本邦で、金を優先的に保有しようという考えは、それほど的外れではないはずだ。

金地金など高価すぎて買えないと思うかもしれないが、最も小さな5gの地金であれば、我々でも少し頑張れば手に入れることが可能な価格だ。
金は、有事に強い資産である。そして現代は、『有事』が見え隠れする状況にある。

そして、筆者の考える『資産を産むもの』の一例は、リンゴのマークのついたスマートフォンとパソコンである。
コンピュータは、会計上は償却資産であるが、『リンゴのマークがついたもの』としたのは、他のメーカーのものに比べ、リセールバリューが高い点、MacOSがデフォルトで各種プログラミング言語のコンパイラを備えている点、iOSアプリケーションの開発に必要なXcodeが利用できる点、windowsやLinux等のOSとのデュアルブート環境の構築が容易(Macにwindowsは簡単にインストールできるが、逆は難易度が高い)である点だ。
底辺グレードの製品でも、そもそもの作りが、安価なWindows PCよりも良い作りなので、純粋なWindows専用機として利用しても、下手なWindows専用機よりも使い勝手が良い。

「そんな高額なものばかり例に出されても」と思われるかもしれない。
実は、貧者(おれら)の極めつけの消費物にして、究極の資産がある。
それは、『本』だ。

土地は、絶対に自分のものにはならない。
一時的に名義が移動したとしても、固定資産税や都市計画税というかたちで利用料を徴収されるし、所有者が死亡すれば、莫大な相続税がかかり、払えなければ接収される。
戦争等の有事が起きれば、これもまた当然のように接収される。
なんにしても、どこまでも国のものなのだ。
先に挙げた金やプラチナなどの貴金属もしかり。
先の大戦では、各家庭の貴金属が軍に供出されたし、ガス室で殺されたユダヤ人の金歯は、持ち主の死後、ナチスのものとなった。

世界の様相がどのようになろうとも、個々人の生存状況がどれほど厳しいものになろうとも、脳細胞に刻まれた知識や智慧、受けた感銘や心のさざめきは、決して、誰にも奪うことができない。

世界とはなんであるか?
世界とは、究極、『あなたの脳が認識した世界』である。
学ぶことを、識ろうとすることを、一瞬たりとも止めてはいけない。
畢竟、それだけがあなたの唯一の資産であると言っても過言ではないのだから。

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