困窮してみた No.2 〜離職後〜
2018年3月末付で、僕は前職を辞した。
実質的には3月前半の段階で、心療内科から適応障害(及びADHDの傾向有)の診断が下り、少なくとも同じ状況で勤務を続けることは不可能な状況だった。
選択肢は
・配置転換をお願いする
・離職する
の二択。
迷ったけれど、社員数20人弱、ワンフロア、オープンオフィスの環境で、配置転換はあまり意味がないと判断した。
離職したら、鬱々とした日々から開放されるかと思いきや、本当のしんどさは、ここからだった。
職を辞した後の僕を包んだのは、「いい歳をして」「こんなこともできない」「この程度のことも我慢できない」自分に対する、やるせなさや情けなさ、こんなバカな理由で、再就職の目処も立たぬままに離職して、家族を困窮させる自分に対する自責の念、早くお金を稼がなきゃという焦り。
それらがないまぜになって、精神がグチャグチャの状態だった。
色々もがいてみたものの、常に「心ここにあらず」の状態で、まともに手が付かないし、引き続き眠れていなかったので、思考力や認知判断力もかなり低下していた。
さらにタイミング悪く、海外在住の叔母が我家に逗留することとなり、4月から約1ヶ月ほど「出社するふり」をする必要がでてきた。
毎日「出勤」をして、図書館へ行くか、けっこうな時間歩いて新宿パークタワーの8階のラウンジスペースへ行き、およめさまと待ち合わせて、書けないながらも何かしら書いたり、読めないながらも本を読んだりしていた。
お金は使えないから、朝おにぎりを作って、500mlのマイボトルを4本持って、その上ノートPCと本を持って歩くので、結構な重量だった。
朝でかけて、19:00くらいまで時間をつぶして、働いてきた体で帰宅する。
架空の仕事話を話し、夕飯を叔母と一緒に摂ることが、騙しているようで苦痛だった。
妹でありライバルでもあるような関係の叔母に、母は真実を言うことができなかっただろう。母からは特に何も言われなかったが、明らかに隠し通して欲しい空気だった。
自分のことでさえ持て余している状況で、母の面子を保ちつつ、火のついた家計をどう回すかを考え、これからの生活についても考えなきゃならない。
在職中とは違うタイプの、うっすらとした希死願望が、ずっと頭の片隅にへばりつき、精神を侵食し続けていった。
この期間が、母との軋轢を生んだ。
いや、実際には、ずっと前から、その種は蒔かれていた。
不和の種は静かに芽吹き、少しの違和感を伴いながら、深く深く根を張っていた。
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このシリーズ、どこまで書くべきか、どこまで書いて良いものか、毎度迷う。
離職→今日までの期間の間にも、苦しいことばかりではなく、ふと気持ちが楽になる日もあったし、全く何もできなかったわけでもなく、動けるときには、色々と足掻いてもみたのだけれど、僕自身だけでなく、他の方にも迷惑がかかる可能性もあり、全てを書くことができないものもある。
特に人のことについては、書き連ねれば連ねるほど、恨み節のようになってしまいそうだし、僕としても、あいつが悪い、そいつが悪いと誰かを糾弾したい訳ではない。
今回の件も、誰が悪いというのではなく、ただただマッチングが良くなかっただけなのだし。
僕をスカウトした人には、悪気は一切なかった。
実際彼の所属部署は定時退社可能だったし、既存代理店の対応が主で、新規を取る必要がなかったので、ある程度技術屋に徹することができた。
彼自身も、彼の待遇のレール上で、僕の待遇を想定していたのだと思うし、実際、
「OZZYさんと一緒に働きたいからスカウトした」
と言っていた。
彼に人事権があるわけではないし、恨むのは筋違いだ。
僕を詰めていた直属の上司も、単騎の営業マンとしてはとても優秀な人だった。
マネジメントスキルがなく、人を運用する能力に欠けていただけで、下手に役職なんて付けられずに、自分なりの営業で数字をあげ続けていれば、適性のない人間に手を煩わされることもなかっただろう。
「俺はおしえないよ」
と言っていたけれど、教えられないのは仕方のないことだと思う。
彼のやり方が、僕にとっての正解であるとは限らないし、彼個人と部署の成績の維持を行わねばならないので、時間もない。
とはいえ、上長としては何もやらせないわけにはいかないし、「営業部」である以上、延々と営業の真似事でもさせておくしかなかったのだと思う。
彼もまた、営業マンという適性から外れた「管理職」という不適切な枠組の中で、評価を得なければならない重圧があったはずだ。
日本法人のトップも、非常に狭い領域の裁量しか与えられていない中で、成果を上げなければいけない強い重圧に常にさらされていた。
どうしても戦力を内製していく余裕はなくなるし、ニッチ性の強い業界で、知識や知見のコンバートも効きづらいので、他業種からの転入は難しく、競合他社や代理店等で、ある程度数字をあげられる人間を、外から引いてくるしかなかったのだろう。
誰も悪くはない。
いや、悪くなくはないのだろうけれど、どうにもできない。
あえて悪者探しをするのであれば、「システム」あるいは「空気」なのだと思う。
チームは一緒に食事をするものという「空気」
ある程度の年齢と成績の者には、管理職ポストを用意せねばならないという「システム」
昇給はポストと連動しなければならないという「システム」
いろんなものが悪い方に作用して、残念な結果になっただけなのだと思う。
この解にたどり着くまで、結構な時間がかかってしまった。仮にそれが間違いであったとしても、自責という自傷行為で自分自身を損なう状況から僕が抜け出すためには、こう考える他にはない。
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