困窮してみた No.5 〜ポップにいこうぜ!〜
【1.苦悩】
限りなく覚醒に近い、途切れ途切れの睡眠の後、逃走2日目の朝が始まった。
100円のおにぎりを2つ買い、妻と二人で食べた。
前夜も、同様の食事だった。とにかく、一回一回でていくお金をセーブしなければならなかった。
開業時間を待って、法テラスへ連絡。
これも、極力お金を使わないため、妻が持っていた古いテレホンカードを利用した。
駅前の公衆電話から、債務整理の案件を進めてもらえるようお話し、一旦宿へ。
スーツを取りに、家に戻らなければならない。それは、母と対面することでもある。
何を言われるのか、訊かれるのか。
気が重いけれど、翌日の面接のために、どうしてもスーツが必要。
具合が悪そうな妻をベッドに寝かせ、家に向かった。
車中、車窓に映る街並に、全く懐かしさも帰ってきた感も感じない自分の心に、すこし驚いていた。
とても気に入っていて、愛着があって、ずっと住み続けたいとすら思っていた街に対する愛着が、これほど簡単になくなってしまうものなのか……。
最寄り駅に降り立つ。
足が重い。
前職出社時のような憂鬱な気持ちで家に向かう。
現実感は、ほぼゼロ。
永遠に家に着かなければいいのにとすら思いながらも、徐々に家は近づき、無情にも到着してしまった。
ドアを開ける。
当然のように母がいた。
逃げるように自室に入り、スーツケースにスーツとシャツ、妻の着替えや常備薬を詰め込む。
ドアが開く。
入ってはこない。
戸外の視線を感じながら、応募書類を探す。
出ていく朝に持っていくことを断念した、麦茶の入ったボトルを見つけ、キッチンに向かう。
麦茶を捨て、ボトルを洗う僕に母が声をかける。
お昼食べた?
ーいや。
食べていったら?
ーいらない。
今どこにいるの?
ー都内。
妻ちゃんはどうしてる?
ー友達の家(ということにしていた)にいる。もうここには戻らない。
どうするの?
ーさあ? なるようにしかならないんじゃね?
土産として買ってきたらしき、『ままどおる』と『エキソンパイ』を渡された。
いらない、と突っぱねたかったが、正直、口に入るものならなんでもほしかったので、受け取った。
バタバタと、母の顔もろくに見ることなく、荷物を詰め込んで再び家を出た。
ドアを閉める瞬間、母の口から
「こんなふうに出て行かないでよ……」
そんな言葉が零れた。
知るか。
この事態を招いたのは、あなただ。
暖かさよりも、暑さを感じ始めた6月の半ば、ガラガラとスーツケースを引きながら、心は極北のように冷えていた。
宿に戻る電車の中で、メッセを受け取る。
『これまでありがとう。もう帰ってくることはないのかもしれないけれど……』
といった内容。
ヒロイン的な感情に浸りがちな母の一面を知っている身としては、どう返信したものか躊躇われる内容だった。
宿に戻ると、妻が泣いていた。
妻にも、同様の(もちろん文面は違う)メッセが届いていた。
「わたし、どうしたらいいかわからない……」
僕も、どうすればいいのかわからなくなっていた。
昨日物件探しをしていた不動産屋に連絡をする。
自分の現状を話すと、物件の斡旋ができないことはないが、全く無条件に貸せるような物件だと、やはり色々と問題のある(借家人が偽名だったり、使途が不明だったり、そのエリア自体の治安に問題があったり等)物件が多く、正直おすすめはしないという事、相談に際して、保証人は立てる必要はないが、緊急時に連絡できる人を一人立ててほしい旨を伝えられた。
困った。
それを頼むとしたら、適任は母だ。
父方の実家とは断絶しているので、こちらの線は全く考えられないし、母方についても、つながりの端緒である母との関係が切れていれば頼めないし、こんな事情を話したところで、力になってくれそうな人はいない。
O:「友人でも可能ですか?」
不:「できれば一親等内の親族の方が……」
O:「ですよねぇ……」
不:「難しですかね?」
O:「はい」
不:「わかりました、では、ご友人様でも良いので、誰かしら立てていただけますか? その上で、私の方でご提案できそうな物件を探しますので」
O:「ありがとうございます。早速連絡してみます」
お願いできそうな候補は2〜3人。
なんといっても今回は、話がこじれにこじれまくっている。
妻とも協議の上、僕の知人の中で、最も紆余曲折の多い人生を歩んでいる、後輩Kくんに頼むことにした。
Kくんは、高校の後輩(といっても、丁度3年離れているので、在学時期は被っていない)であり、かつての職場の上司と部下であり、僕が彼を面接して採用したことから関係が始まった。
僕の離職後、長いブランクを経て、6年程前に、僕の自宅付近でばったりと出くわした。
なんと彼は、僕の自宅から徒歩5分の場所に、何年も前から引っ越してきて住んでいたのだ。
Facebookのメッセンジャーアプリで、彼に相談したい旨を送った。
O:「ちょっと相談があるんだけど、オカンと離れて暮らすことになって、緊急時連絡先ってのが必要になってね。お願いできないだろか?」
1時間程して、返信。
K:「いいっスけど、そういうのって親戚とか職場の人とかに頼むもんじゃないですか?」
うん、そうね。そのとおりね……。
O:「いやー、まだ職場変わって日も浅いし、頼める人いなくてね。親戚も高齢の人ばかりだし」
K:「わかりましたー。了解です。 でも、こういう大切な話をメッセで済ますのは、どうかと思いますよ」
3歳年下ながら、体感で僕の20倍以上の人生経験と人的交流(トラブルを含む)経験を持ち、義理や礼節を欠くことが即失注→自分のみならず、勤務先団体の、業界内での立場悪化となるようなシビアな世界に身を置くKくんに対し、こちらも万が一にも礼を欠くべきではなかった。
ジェットコースターのようなこの数日に疲弊し、当たり前の礼儀すら忘れていた。
妻にどうしようか? と相談する。
「ちゃんと会って話すべき。会って話さないと伝わらないこともある」
僕は、正直乗り気ではなかった。
とても疲れていたところへ、昼間の一時帰宅のストレスによって、更に疲れが増大し、一歩たりとも動きたくないような状態だった。
とはいえ、礼を欠いたままではやはり良くないし、なにより、事の次第を打ち明けぬままに、我が家のゴタゴタの片棒を担がせるような事をするのも、非常によろしくない。
O:「そうだよね。近々に会えないかな? 込み入った話だし、ちゃんと説明したい」
K:「なんなら、今夜でも大丈夫っスよ」
O:「じゃあ、今夜、19:00〜時間もらえるかな?」
K:「OKっス」
Kくんの自宅は、自宅から徒歩5分。
僕は、妻と連れ立って、再度地元駅まで向かった
【2.ポップにいこうぜ】
Kくんの自宅の一部を改装したプレハブ店舗にお邪魔する。
Kくんは、伝統工芸系の本業の傍ら、副業としてニッチな玩具の輸入販売を行っている。
現在の状況。
こうなるに至った経緯。
決定的だったこと。
包み隠さず話したのは、Kくんが初めてだった。
諸々全て打ち明けた後、彼が告げた言葉は
「OZZYさん、ダッセーよ」
だった。
「3月からずーっと俺らにそれ、言えずにいたんでしょ? それって、ヘッドハントされて、みんなに祝福されて、転職してすぐダメで、ってのが恥ずかしくて、カッコつけちゃってるんだって、オレには見えるんだよね。そんなん思わねーよ。オレもOZZYさんも、そんなカッコ良くやってくタイプじゃねーじゃん。『てへへー、辞めちった』くらいのかるーーーい感じで行っときゃいいんだよ。OZZYさんは、カッコつけちゃってるんだ」
斜め上から、正鵠を射られた気がした。
たしかに僕は、いつのまにか出来上がっていた「こうあるべき」という自分像に、しがみついていた気がする。
「OZZYさんさぁ、もっとポップにいこうぜ!」
『ポップにいこうぜ』その言葉が、錆だらけで朽ちかけていた心身に、熱い一撃を食らわせた。
「昔のオレ達ってさ、もっとバカだったじゃん。日々しょーもなかったけど、そん中でも笑ってたじゃん。 そんな大層なもんじゃねーんだよ、オレ達なんて。カッコなんてつかなくていい。ただ、下の連中、ウチの子どもたちとかもだけどさ、子どもがみて『カッコ悪い』存在になっちゃダメだと思うよ。 大人社会の目線でみたら、もうどうしようもない人でもさ、ガキ共が『カッコいい!』と思ってくれたら、それもアリじゃん?」
2児の父(現在3人目が奥さんのおなかに)であり、様々なレイヤーの人たちと交流してきたKくんならではの視点だ。
そして、子どものいない僕だけれど、『子どもが見てカッコ悪い大人になってはいけない』という考えは、僕自身も以前から持っていた。
子どもがいないからこそ、『楽しげに生きてるオッサン』の姿を、友人親戚の子ども達を始めとする、近しい子ども達に見せてやるのが、僕の存在理由だと考えていた。
僕は、そんなことすら忘れていたのだ。
この1年の僕の行動は、真逆と言ってもいい。
『ポップにいこうぜ』
この一言が、全てだった。
「とにかく、緊急時連絡先の件はOKだよ。でも、ちゃんとおふくろさんと話した方がいい。ていうか、今この足で一回戻って、話し合ってもいいじゃん。 なんにしてもさ、一応親なわけじゃん。ちょっとOZZYさん、今嫁さんの方に寄り過ぎてると思うんだよね。向こうにも言い分はあるはずだし、どうなるにせよ、ちゃんと話して、筋通さねえと、OZZYさん、カネより大事な『信用』を失うよ」
無年金・無職の母親を手放したとなれば、法的に問題がなかったとしても、倫理的に、風当たりは強くなるだろう。
下世話な話だけれど、金銭的な意味でも、今後最終的に自営の道を想定するのであれば、長年利用しているクレジットカードは、持っておいた方がいい。
審査が通りづらい自営になってからでは、ちょっと作るのも難しくなってくるだろう。
最終的にこの窮状を脱することができず、公助を受けることになれば、いずれにしても、金銭の部分はNGになってはしまうけれど、それであればなおさら、『信用』の毀損だけは避けなければならない。
母のメッセに返信を送った。
「今週末、一旦戻ります。一度、話し合いましょう」