困窮してみた No.6〜そして現在へ 「落ち着いた」と「解決した」は、似て非なるもの。
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ここまで、2017年11月〜現在(2018年10月)に至る、OZZYの転落と困窮の経緯を記してきました。
その中で、母との確執や、父母に纏わる問題を綴り続けてきましたが、少なくとも現在は、父に対しても母に対しても、恨みや憎しみのような感情を抱いてはいません。
この「困窮してみたシリーズ」で描かれる母の姿は、どうしても僕の視点、それも、よそ行きのフィルタをほぼ完全に取っ払った、「インナーチャイルド視点」とも言える視点で書かれているので、ストレートに読んでしまうと、母がものすごくひどい母のようにも見えてしまう。
母を悪く言うことも、悪く思われることも本意ではないのですが、備忘録+アウトプット+自分の心の整理として書く以上、ある程度は仕方ないのかな、と思ってもいます。
貧困を絵に描いたような家にあって、英会話とギターを学ばせてもらえたことは、たとえその動機が見栄からきたものであったとしても、確実に僕自身の文化的素地になっていますし、多額の借金こそこさえましたが、父が与えてくれた豊かな食と遊びの体験によって、貧しさの中にあって、侘しさも引け目も感じずに生きてくることができました。
そのことについては、感謝しています。
ただ、やはりそれを「借りた金」で回していたことは問題だったし、今回の件についても、残念ながら数ヶ月で『喉元を過ぎて熱さを忘れて』しまいました。
今後の僕達夫婦の生き方を考えたときに、「この先に連れて行くことはできないな」と判断せざるを得なくなりました。
親を捨てるということはできませんが、心の中で距離を置く。何人かの、僕の大切な人々の中でのプライオリティを、ひっそりと数段下げることは、せざるを得なくなりました。
もしかしたらこれが、世間に言う「親離れ」なのかもしれません。
親側が「子離れ」をしてくれるかどうかは、親側の問題なので、これについては僕がどうこうできることではありません。
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【1.契約書】
一応の帰宅が決まり、僕と妻を包んだ感情は「安堵」だった。
現金で、情けない話でもあるけれど、この先宿を転々としながら生きることを考えると、絶望しかなかったので、「安堵」が正直な気持ちだった。
昨日の今日で戻るのもはばかられたので、「週末に」と咄嗟に言ったのだが、丸3日(3泊4日)の猶予があった。
無駄遣いにはなってしまうが、次の宿は、もう抑えてしまったし、キャンセル料もかかる。
せっかくだし気持ちの整理をつけるため、楽になった気持ちで二人きりの時間がほしかった。
お金を無駄にできない状況は変わらなかったが、丸3日、ただただのんびりするだけの時間を持とうということになった。
次の宿は、谷中だった。
谷中ぎんざがほど近かったので、近所をブラつくていどのことはしたが、それ以外は観光をするでもなく、近所のスーパーで買ったご飯を食べ、ネットとTVと惰眠を貪った。
ちょうど金曜ロードショーで、「ズートピア」が地上波初放送されるタイミングだった。
あの日は、ホテルで放送を見つつ、実況ツイートしていたのだ。
とはいえ、ただ帰るだけでは、ワガママな子供の家出とおなじになってしまう。
なぜ出奔に至ったのか、こちらの要求はどのようなものか、なぜそうすることが必要であるのかについての共有がなされないかぎり、再度決裂するだけだ。
多少は頭の回転が戻ってきたので、3日の間に書面を作成した。
・収入からいくらを家計として渡すのか。
・どの項目について誰がいくら支払うのか。
・家計費用、個人利用問わず、クレジットカード利用の制限。
・新しい借金の禁止。
これら項目を盛り込んだ文書を作成し、当日に臨んだ。
【2.帰宅】
大量の荷物を抱え、列車を乗り継ぎ、梅雨だというのに容赦なく照りつける熱い太陽に体力を奪われながら、僕と妻は自宅へ向かった。
ドアを開け、荷物を置く。
荷解きはしない。
交渉が決裂すれば、また出ていくのだから。
作りすぎたという雑炊の残りを食べ、母がお茶を淹れる。
気まずい沈黙を崩したのは母だった。
「なんか気まずいね」
空気が崩れてくれたのは、ありがたかった。
枕もおかず、僕は本題に入った。
・自己破産については一旦ストップしたが、今後諸々の目処が立たなければ、生活保護(=自己破産もセット)の可能性もある。というか、可能性が高い。
・収支のバランスが明らかにおかしい。是正をしようにも家計を握っている人間にその意識がないのでは、何も変えられないので、摺合せの必要がある。
・理想は、賃労働+自営による収入で、可処分所得の80〜90%内での生活。負債を速やかにクリアにし、早急に資産構築のフェイズに移る必要がある(既に手遅れだが、足掻かねばならない)。
・社協にどうしても行きたくない(と言っていた)のであれば、都度その内容について共有するので、問題については改善を行い、家計簿のかたちで収支をつけてほしい。
・母の使えるお金は、家計をやりくりすることで節約できた分を、インセンティブとして自由に利用して構わない。うまくやりくりできれば、それだけ自分の所得が増える。
上記のような要望を提示の後、次図のような書面を渡した。
署名捺印と割印を捺し、正副の管理まで行うつもりだったが、そこまでやってしまうと反発が出そうなので控えた(後悔している)。
母は精読の上、いくつかのディスカッションを……行うような展開を期待していたが、残念ながら、やはり形式的に「見たような素振り」をするに留まった。
できれば合意の上で、同じ目標に向かって共に歩んでいければ、と、淡い期待を抱いていたが、まだまだ甘かったようだ。
それでもよい。
自分ごととして危機感を持って、理性で節制して、眼の前の問題を、能動的に解決しようと思えない=どこまでも他人事になってしまう人と、それでも一緒にやっていくために、この書面を作成したのだから。
今後どのような状況になっても、書面に記載されている以上の金額を家計費としては入れない(状況が上向いたら、別途「お小遣い」の名目で渡すことは考えている)し、署名捺印こそないが、彼女自身が「この金額でできる」と言った以上、そのようにしてもらうしかない。
「できない」と言われても、それは知らないし、今後は助けるつもりも、そうできる余裕も僕にはない。自分自身の責任として、破産なりなんなりをして頂くしかない。
どこかで、「最悪、親なり息子なりに泣きつけばなんとかなる」という考えがあるのだと思う。
それは他人事ではなくて、僕自身の中にもどこかそういう甘えはある。
それ自体は責めないし、アクセスできる『共助』に全力でアクセスすることは、僕自身もやっているし間違いではない。
けれど、助ける側には『助けない』という選択肢も存在する。
僕はもう母を、(あくまで経済的な意味においては)助けたくないし、助けられない。
これだけ書いてしまうと、母がひどい人のようになってしまうので、フォローというわけではないけれど、得られた(前進した)ものについても書いておく。
彼女も、譲歩はしてくれているのだ。それはちゃんと評価しないと、正当とはいえない。
①:今、心身を休める必要について、一定の理解を得られた
基本、「鬱は甘え」の人ではあるし、心療内科の診断書を見せても「で?」という反応の人ではあるし、息子の職が決まらないことに、心中穏やかではないとはおもうが、それについて「無言の圧」をかけてくることはなくなった。
彼女が恥を忍んで、祖父から少しの援助を引き出した為、家計の継続に多少の余裕ができたのも大きいと思う。
②:個人事業の必要性についての考えを(恐らく)理解してもらえた
元飲食自営業者だった親父殿は、口を開けば「商売やりたい」と言い、「オレの考えたドリーム起業」ばかり話す人だったためか、母は「起業」「自営業」というワードに、強い忌避感を持っている。紆余曲折を経て、非正規バイトからせっかくサラリーマンになれた息子が、この数年ほど、父親と同じワードを口にするようになったことを、苦々しく思っていたのだと思う。
時代が変わり、状況が変わり、大資本であってもあっさり倒産する時代に、「安定」は誰にも存在しないこと、息子の市場価値が、非常に低いものである現実、息子の市場価値では、満足な生活をしたければ、賃労働だけでは足りないということが、求人票などのリアルな数字を見ることで、多少はご理解頂けたようだ。
一連の騒動についての記録は、ここで一旦終了。
思い出すのがしんどいことや、脳が『忘れたことにしている』記憶、これから起こる新しいトラブルなども出てくると思われるので、今後も適宜、このマガジンへのエントリの投稿は行われるものと思われます。というか、こういう状況になった時にリーチできる公助や共助についても収めていくマガジンなので、今後はそちらも投稿していきたいです。
もう一つの『冴えない貧者(おれら)の育て方』マガジンともリンクする内容がいくつか出てくるとも思われるので、貧者のライフハック系のエントリについても、この件と関連するものは、こちらのマガジンにも投稿されます。
なんともモヤモヤした終わり方ですが、解決をみたわけではなく、『困窮してみたシリーズ』は、今まさに現在進行中なので、致し方ないものとご容赦頂ければと思います。