BEN-Eを巡る冒険【校正希望】
「ぼってぃちぇり」
ぽってりとしたお腹を出してポーズをとる仁美の姿は、なるほど確かにかの名画の女神のようだ。しかしその顔には、コミカルな行動とは裏腹の憂いが浮かんでいた。
美脚・美乳・美クビレがウリの超人気コスプレイヤー『柚華』の面影は、残念ながらそこにはなかった。
オレの最愛の恋人、仁美を悩ませているもの。
それは便秘だった。
ぽっこりおなかの触り心地はそれなりに悪くないもので、先週までは
「よしよし、元気に産まれておいでー」
とか
「あ!今動いた!」
などと言って、二人で『待望の第一子を心待ちにする結婚2年目の夫婦ごっこ』に興じていたりしたのだが、さすがにそろそろしんどそうである。
「仁美、どのくらいでてない?」
「うぅ......今日で一週間......」
「全くか?奈良の鹿さん的な何かくらいは......」
「全く!ナッシン!!」
事態は深刻だった。
オレとて、対策を怠っていた訳ではない。水溶性食物繊維と不溶性食物繊維のバランスがとれ、イソフラボンも摂れる大豆を使った料理を食卓に並べ、腸内環境を整えるために朝はヨーグルトスムージーを飲ませ、冷えが良くないのではと寝る時には腹巻きを巻かせ、考え得る限りのことを試してみた。薬嫌いの仁美が縋るような思いで手にした便秘薬も効かず、最早便秘外来でも受診するかという状況だった。
「......と、トイレトイレ」
出ない事に苦しむ仁美を横目に、オレの腸内から本日何度目かのワーニングが鳴る。
......全く、分けられるものなら分けてやりたい。
『快便王に、オレはなる!!』などと宣言した記憶はないのだが、オレは人生で一度も便秘をした経験がない。
同じ食事を摂っているのになぁ......
数百グラムの軽量化に成功し、トイレから出ると、仁美は正座してTVの通販番組を食い入るように見ていた。
『しつこい便秘の最終兵器!ガンジス丸G!!』
番組では、利用者の喜びの声が続々と映し出されている。
曰く、『頑固な便秘が治った』、『体質が改善されて肌荒れが治った』、『ぽっこりお腹が引っ込んで彼氏ができた』等々
『しつこい便秘にはもうサヨナラ!! インド産まれの各種の有効成分が、あなたの腸にダイレクトアタック!!』
......いやいや、こういうのはどうなんだ?
大体この『ガンジス ガンジー』ってネーミングセンスはなんなんだ?
今時こんなあからさまに怪しげなもん買う奴いるわけが......
「コーイチ......アタシ、これ欲しい......」
ここにいたよ!
「アタシ、これならイケる気がするの!」
「イケねぇよ!明らかに字が間違ってるよ!むしろ逝けちゃうよ!!」
TVからは、更にヒートアップした売り文句が響く
『インドの神秘! 聖なるガンジスの恵み! 有効成分が、あなたの腸内環境をデストロイ!!』
デストロイしちゃダメだろ!!
「いやおい仁美、デストロイだぞ? 腸内環境がデストロイされちゃったら色々とヤバいぞ? それにこれ厚労省の認可とか......」
だが仁美もまたヤバい女だ。こうと決めたら頑として譲らない。
「ヤダヤダヤダヤダヤダ!買うのー!絶対買うぅぅぅぅ!!」
......幼児化した。
「なぁ仁美......」
「コーイチは快便マンだからアタシの気持ちなんてわかんないのよ! いっつもいっつもプリプリプリプリ......アタシがこんなに苦しんでるのに、よく毎日何回もできるよね!」
「いや、どうしろと......出るものは仕方あるまいよ......」
「コーイチはアタシの事、もう愛してないのね......」
「何故そうなる!!!」
「今夜のお味噌汁の中に入ってたお豆腐が一個少なかった!」
「数えたんかい!」
「もういい! もういい! もういいぃぃぃぃ!! ......コーイチがアタシの事いらないんなら......いいよ、別れてあげる......グスッ......新しい人を幸せにしてあげてね」
「いねぇから! 別れねぇから! 好きだから!」
期せずして五七五。季語は『好き』。季節は……多分春(適当)。
「お腹の子は心配しないで......アタシが一人でちゃんと育てるから......」
「それ子供違うから!う○こだから!!」
長引く便秘によって仁美の情緒はかなり不安定になっているようだ。そもそもかなりエキセントリックな女だが、カッ飛びの方向性がネガティブ過ぎるし、面倒くささが当社比で20%程UPしている。
TVではガンジス丸Gの紹介番組が終わり、車のキズ隠しペンの番組が映しだされている。
10分
20分
無言で睨み合ったまま、根比べの様相を呈してきた。
30分経過。普段ならここでオレが折れているが、こんな怪しげなものを仁美に飲ませる訳にはいかん!
............1時間後、公式のECサイトでガンジス丸Gをポチるオレがいた。
完全なる敗北である。
仁美は満面の笑みでオレにキスの雨を降らせる。
当然オレは、こんないかがわしいものを仁美に飲ませる気は更々ない。
幸い家を空ける時間は半ニートのオレより仁美の方が長いし、仁美のいない時間帯に配送希望時間帯を設定し、中身をすり替えるのだ。
「ん~♡ たのしみー♪」
仁美、すまない。でもこれは、お前を守るためなんだぁぁぁ!
後日、予定通りの時間帯に、シンプルな茶箱が届けられた。
箱を空けると、黄色と茶色というなんだかアレな配色のラベルのガンジス(ry が鎮座していた。
おもむろにキャップをあける......
......
............
..................んっっぐっっ!!
強烈なヘドロのような臭いが、1LDK・28㎡の部屋に充満した!
堪え切れず窓を開けると、ベランダの手すりにとまっていたスズメがポトリと落ち、痙攣し始めた。
なにこれ?バイオテロ?兵器?兵器なの!?
鼻をつまみながらトイレに駆け込み、中身を全てぶちまける。
............うぶんとぅっっっっ!!!!!
便器の中で、ガンジス(ry はメタモルフォーゼを起こしていた。
便器の水を吸ったガンジス(ry が、増えるワカメよろしくうぞうぞと増殖し始めたのだ!!
自己増殖......自己再生......自己進化......これが......DG細胞ッッ!!
水に浸されたことで、更に兇悪な臭いを発しながらドンドン増殖するガンジス(ry 。
便器からはみ出ようかというガンジス(ry の勢いに戦慄を覚えたオレは、初めて戦場に降り立った新兵が恐慌のあまり小銃フルオート全弾撃ち尽くしでゲリラをミンチにしてしまうが如く、狂ったように水を流した。
メディーック!!
メディーーーーーーーーーーーーッッッック!!
うぞっ......うぞる......ぞぷっ......ごぷっ............ぶりゅっ............ぐぽっっっっ......
クトゥルフの呼び声が聞こえてきそうな、SAN値をゴリゴリと削るおぞましい音を立てながら、ガンジス(ry がゆっくりと排水口を降りていく。
完全に流れたことを確認すると、オレは壁を背に座り込み、汗だくで荒い呼吸を整える。
脳内ではトム・ハンクス似の軍曹が『グッジョブ ボーイ!』と言いながら肩を叩いてオレを労っていた。
スプレー式消臭剤を一缶カラになるまでスプレーし終え、用意しておいた乳酸菌系サプリメントをガンジス(ry の容器へ詰め替えると、疲れ切ったオレは深い眠りに落ちた。
「............ち」
「............イチ」
「コーイチ!」
呼ぶ声に目を開くと、スゲー美人がそこにいた。
「......ここが約束の地ですか?」
寝ぼけた眉間に、大量のスワロフスキーが盛られたネイルアートによるデコピンが文字通り突き刺さる。
「おごっぷ!」
涙で滲む視界の先に、仕事帰りのバッチリメイクの仁美がいた。
「コーイチ!それ!」
仁美は期待に満ちた目で、オレの右手に握られたガンジス(ry を指差している。
オレの眉間から流れる血に関しては、完全にスルーである。
「ああ、届いてたよ」
「やったー♪ ......って、なんかパッケージ開いてない?」
「一応どんなものか確認したんだ......(口笛ぴゅー)」
「変な匂いだね......でも臭さの中に甘酸っぱい匂いも......」
あー、強烈な臭いでしたからねぇー......そりゃ容器にも臭い残ってるよねぇ......甘酸っぱいのは乳酸菌サプリの匂いだねー。
「早速飲んでみよー♪」
というと、仁美は偽・ガンジス(ry を3粒飲み下す。
「でるかなでるかな~♪ ○研の~おばちゃんでるかな~♡」
「出てたまるか!」
翌朝、仁美は何かをやり遂げた漢の顔でトイレから出てきた。
オレと目があうと、サムズアップし、笑顔を見せる。
「ガッツリ出ましたぁぁぁぁ!!」
「8888888888」
オレは、惜しみない拍手を送った。
「いやー、スゴイよこれ! また便秘続いたら買っちゃお♪」
良かったな、仁美。
でもその快便は、昨夜の料理に混ぜ込み始めた『にがり』のおかげだ、多分。
にがりの成分が便秘に良く効くと聞き、味が変わらぬ程度に投入してみたのだ。
その夜、スパム入りのゴーヤーチャンプルー(にがり投入)とオリオンビールというウチナーリスペクトな夕飯を食べながらTVを見ていると、ニュース画面にあのガンジス(ry が映った。
『効き目の強い便秘サプリとして商品名、ガンジス丸Gの製造・販売を行っていた、群馬県高崎市の△△商会の代表、□□容疑者が、食品衛生法違反の疑いで起訴されました。ガンジス丸Gは、インド原産のハーブと偽り、ガンジス川で採取された藻の一種と、川底の汚泥を乾燥したものを錠剤として販売し、総額7億3000万円を......』
............ぱたり。
TVを眺めていた仁美が、蒼ざめた顔で卒倒する。
おーい! 大丈夫だから! お前アレ飲んでないから!
ぺちぺちと仁美の頬を叩くオレの平手の音が、東中野のマンションに響いていた。
fin