
修学旅行に行けなかった君へ
こんにちは。
修学旅行に行けなかった君へ
もしくは、来年予定しているけど行けるかどうか分からない君へ
もしくは、卒業旅行を予定していたけど泣く泣くキャンセルした君へ
もしくは、強行突破で旅行に行こうとしている君へ
本noteを読んでくれてありがとうございます。
この内容は、今の状況とすごく似ているので、学生さん本人だったら、じぶんのこととして受け止めてほしいです。もし、保護者の方がお読みでしたら、対面でもLINE(Twitterなど)でもいいので、息子さんや娘さんに伝えてください。
2009年、私が高校1年の終わりから2年の時、世界で新型インフルエンザが流行(はや)りました。(▼詳しくは下記ウィキペディアを見てください)
端的にいうと、日本でそれほど流行らなかった感染症でしたが、私の高校では修学旅行を含め海外への研修をすべて中止にしました。
一部の高校、例えば私の中学の同級生は「マクス着用・クラス単位で観光バス乗車・自由行動なし」という条件でカナダに行きました。
私は、学校説明会で、海外修学旅行や3週間の語学研修があると知り、中学3年の9月ごろからその高校一筋で入学しました。
なので修学旅行の半年前、高校2年の5月中旬に「海外渡航中止」と告げられた時人生設計が狂うほど、ものすごくショックを受けました。
一つ上の学年は、ニュージーランド・クライストチャーチの名所・大聖堂の前で集合写真撮っていたのに…
一つ上の学年は、ビキニ着てオーストラリアの浜辺ではしゃいでいたのに…
家族の都合以外で10代から海外経験を持てたはずなのに…
私たちはそれができないのかと思うと、怒りやら悔しさやらいろんな感情が湧いてきました。
私は語学研修を目指して受験して、英語の勉強に励んできました。
修学旅行も、入学式の日に4カ国の中から行き先を選びました。
そしてその1〜2ヶ月後にシンガポールの希望者が多すぎるため、2人1組になってジャンケンしました。私は台湾を選んだので関係ありませんでしたが、教室前の廊下がAKBの選抜総選挙並みの盛り上がりでした。
当時、私のクラス担任はものすごく校長や副校長に反発しました。
クラス全員で参加することを目指していたので、その担任自らが旅行会社と語学研修のスケジュールや予算を練っていましたが、これまでの奮闘や中止に対する反発も無意味になりました。
唯一、校長と担任が同意に至ったことといえば、「生徒の命を守ること」でした。
もし、海外研修や海外修学旅行中に新型インフルエンザにかかってしまったら、当然、現地の病院に駆け込みます。
しかし、私たちアジア人(黄色人種)と欧米人(白人)ではウイルスにかかった際の症状や薬の効き目が違いがあるというのです。
もし、海外で承認されているが日本では未承認の薬を投与して副作用が起きてしまったらどうなりますか。担任含めその学校は責任がとれるでしょうか。
学校や担任は「なんであの時止めなかったのか」と一生悔やみます。
生徒側も心の傷や重い障害を抱えて生きていかなければなりません。
保護者や友人、クラスメイトも悲しみます。
飛行機が一日に何千便と飛んでいるこの世の中でも、遺伝子レベルの違いは国境を超えられないのだと痛感しました。
あまりに鬱憤が積もっていたせいか、クラスメイトのひとりは、高2の春休みに外部の留学エージェントを通して2週間程度カナダに行きました。私は大学生になって高校時代の無念を晴らしました。在学中、運よくアメリカへ交換留学も経験しました。
そして、11年後の今、私は「自宅待機」の状態にいます。
万が一のことを考えて、私の家族は近隣の別宅で生活しています。PCR検査を受けなければ出社できませんし、家族と共にクリスマスを過ごすこともできません。
修学旅行に行けなかったからといって悲しまないでください。
この時期に無理してでも旅行に行こうと思わないでください。
じぶんが濃厚接触者になった場合やじぶんが陽性だった場合、家族やシェアハウスなど一緒に住んでいる人や仕事(学校)関係の方、またその家族・関係者など広範囲の人まで動きを止められます。
私も、君も、今はただ耐えるだけの生活で楽しくありません。
しかし、またいつか、君が生きているあいだに、海外に行ける日が来ます。
そうしたら、君が好きな、行きたい国や都市の航空チケットを取って、空白のスケジュール帳を埋めてほしいと思います。
言葉が通じなくても大丈夫です。世界中の、学生たちの共通言語は「私たちの世代は修学旅行や留学に行けなかったから」になりますから。