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多くの山にある浅間神社について

要約「昔は、火山や休火山、火山ではない山の区別がつかなかった。いつ噴火するかわからないので、お鎮まりください、の意味で山に浅間神社を建てたのではなかろうか」

自転車で走っていると浅間神社がいくつかあった。みると「あさま」と読むのではなく「せんげん」「じんじゃ」と読むところもある。これは、かなり昔に、なんでもかんでも漢字は音読みにしてしまえ、のようなことがあったようで(興味ある人は「浅草時」「せんそうじ」などで調べてください)もとは「あさまじんじゃ」だったらしい。

寺田寅彦の「火山の名について」(青空文庫)に書いてあるように、「あそ」「あさ」(「うす」もある)という発音されるのは、日本から南洋にかけての山々に多く見られるとのこと。著書では、統計的に取り扱っており、たとえば、アイヌ語の火山にまつわる単語の最初のRをとると、「あうす」「あうし」などとなる、と書いてある。おそらく、「あさま」もそういった由来なのだと自分は考える。

浅間神社といえば、富士浅間神社が有名だ。さらに、東京の渋谷近郊の神社だけみても、品川神社には本物の富士山の溶岩から作られた富士塚があり、千駄ヶ谷の鳩森八幡神社にも富士塚がある。これらは、実際に富士山にいけない人でもそこで代わりにお参りし、信仰したい、とのことだろう。このように日本人と富士山のような火山の関係は深いものがある。

ここからは自分の私見がかなり入る。昔は、どの山が火山なのか、いつ噴火するのか不安でしかたなかったと思われる。そこで、火山でもない山の頂上などに「浅間神社」を祀って、お鎮まりください、の意味をこめて神社を建てたのではなかろうか。もちろん、wikipediaにあるように富士山信仰の意味が一番強いのであろうが、たとえば、柳田國男の「日本の伝説」(青空文庫)で紹介されているように富士山以外の山にも浅間神社が残っている(現存はしていないのかもしれないが)のはそういった理由だと考えられないだろうか。

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