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~柳川の人に聞く~ Vol6.草野無我さん(眞勝寺)
2022年6月19日、眞勝寺さんにて震災復興の意を込めて年に二回、夏至と冬至の日に行われる「燈明の夜」というイベントが行われました。
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境内にはたくさんの竹灯籠が飾られ、灯りがともされます。今年は特に争いのない平和な世界を願って。当日は追悼法要や被災地の復興支援販売も行われ、スローな時間が流れていました。
そんな眞勝寺さんは、今でいうコミュニティセンターの役割を果たしているそう。実際、燈明の夜以外にも本堂でヨガを行ったり、生け花やお作法の教室といったりした取り組みもされています。
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それでは、なぜそう言った取り組みをされているのでしょうか。眞勝寺第25代目住職、草野無我(むが)さんにお話を伺ってみました。
覆されるお寺のイメージ
無我さん、お寺の元々の役割は「みんなが集まる場所」と話します。それに対し僕はこれまで、お寺に対しては“お墓参りに行く場所”というイメージしかありませんでした。(お恥ずかしい)
お寺は、年齢を問わずつながりを持つことができ、利害関係や忖度を付けない関係性も築くことができる唯一の場とのこと。
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麺を湯切りするのは地域おこし協力隊の横山さん。
僕は小さいころ、近くの公民館によくおばあちゃんに連れて行ってもらっていたのを思い出しました。そこに住む人同士がつながり、そういった時間が地元の魅力や誇りになっていったような気がします。
しかしそんな場所はコロナウイルスの影響もあり、年々減少中。今ではオンラインのグループもありますが、眞勝寺さんのように顔を合わせて集まることができる場所というのは、「この街が好きと言える環境づくり」には欠かせないのではないでしょうか。
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甲子園常連の龍谷大平安野球部という奇跡。
“飛龍”にかける思い
お話の中で、「おにぎえ」の話題が上がりました。「おにぎえ」とは、柳川に秋の訪れを告げる三柱神社の秋季大祭のことで「大賑わい」からその名前はきています。
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町中を練り歩く山車から大きく身を乗り出した踊り手が、お囃子とともに独特の踊りを繰りひろげる「どろつくどん」は迫力満点。といっても、僕はまだ動画でしか見たことがないので、この目で見る日を楽しみにしています。
大正までは24もの地域がおにぎえに参加していました。僕が滞在していた沖端地区からも、以前は3地区ほど出ていたそう。ですが年々その数は減っていきます。
僕が以前参加した沖端水天宮同様、当番制で行われるこのお祭り。無我さんは、自分の住む町がその年の当番で、なおかつ山車を持っていなければ参加できないことに疑問を感じていました。
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※写真は水天宮祭舞台組立のもの
そこで無我さんは「飛龍」という名の町内の人だけに限らない、会員制の新しい山車をつくろうと提案。初めは否定されたり叩かれたりすることもありましたが、5年もの歳月を経て「飛龍」はようやく立ち上がりました。
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※公式Instagramより
ある時、一番歴史のある山車の方から、「お前たちが一番頑張っている」と声をかけられたときは、努力してきた甲斐があったと感じたそうです。
今では、以前柳川に住んでいたときに町内に山車がなく、参加を諦めていた兵庫からの参加者もいるんだとか。毎年お祭りの時に駆けつける人がいる程愛されているお祭りなのだと感じました。
失われてしまった思い出の夜市
そんな無我さん、子供のころ楽しみの一つだった京町商店街で行われていた土曜夜市が無くなってしまったことが悲しいと話します。
この土曜夜市については他の人からも挙がる声が多く、これもまた地域に愛されていたものなのだと感じました。アヒルのレースが懐かしいという思い出や、習い事をすっぽかして親戚のお店のお手伝いした思い出だとか。柳川の子供たちにとって、大きな夏のイベントだったと聞きました。
いろんな思い出を聞くことができたと共に、その思い出の光景が失われている現実を目の当たりに。夜市がなくなってしまったのには、子どもの数が減ったり商店街の活気が弱まってきたりといろんな要因があると思います。
そのまんまそっくりはできずとも、何か形を変えてその時代に合ったお祭りやイベントを続けていくのも一つの策なのではないでしょうか。
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我が子の姿を写真に収めようとする親御さんの姿は
まるで街の運動会のよう。
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千月香社長の「文化財は最高の遊び場」という言葉通り
文化財でこれまでにない価値を創造している。
今回取材した人…草野無我さん
1964年3月生まれ。
田中山眞勝寺25代目住職。来年70周年を迎える、学校法人ポッポ幼稚園の理事長も務める。高校を出たあと、仏教の勉強をするために京都の大谷大学に進学。戻ってきた後、2年間親父さんのもとで学び26歳の時に住職になる。野球が大好き。柳川高校の選手に憧れて中学校から野球を始めるも、入って3日で挫折。バットをギターに持ち替え、バンド活動を今もひそかに続けている。
※この記事は2022年7月発行の「すがわらばんも」第4号に加筆修正したものです。