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2023年4月26日(水)

今日は最近自分が聞いて面白かった話について書く。
いつも聴いているラジオでの内容なのだが、そこでは“人は生きているだけで価値がある”と語られていた。よくきく話だと思うし、人生そんなあまっちょろくねぇよって思う人もいると思うけど、ここで言う“人は生きているだけで価値がある”とは、生きるという行為そのものが「歴史として蓄積されるから」価値があるということらしかった。

例えば、とある引きこもりの男がいたとする。資本を持たず、労働もせず、自身を粗末に扱っている。そんな彼にも親がいて、これまでに関わってきた何人もの人がいる。
彼は引きこもる人の歴史を積み上げていると言える。大袈裟かもしれないけれど引きこもる人がいなければ、引きこもらない人のことについても考える機会がないかもしれない。彼の人生があるから彼の親は自分たちの子育てについて考え直すかもしれないし、彼と関わってきた人は彼を反面教師として成果を上げることがあるかもしれない。もしかしたら同じく引きこもる生活をしている誰かは、彼がいるおかげで孤独にならずに生活を繋ぎ止めていられるかもしれない。彼の歴史が他の人らに蓄積されてそれぞれの生活に作用していく、みたいな話。

私はどんな分野においても秀でていると思うことはないし、特別賢いわけでもない。また仕事でものすごく成果をあげているわけでもないので、資本主義社会においてはお荷物なのかもしれないと思うことさえあった。だから自分にはなんの価値もないと思っていたし、価値のない自分に耐えきれずを自暴自棄になることもあった。

でもこの話を聞いた時、たしかに意味のない生活とか無いかもしれないな〜と思えて、気休めかもしれないがほっとした。また決まった視点からでしか自己を評価できていなかったかもしれないなとか、必要以上に自分を呪うのはやめようと思えるきっかけになった気がしている。

そういう意味で僕らは生きているだけで十分かもしれない。
どうしようもないな〜と思いながら生活をやって苦しんで少しずつ良くなるために死ぬまで歴史をつくっていくしかないと思ったという話でした。さようなら〜。

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