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大人としての役割を考える

僕は、子供の頃から何かの選択する時かなり自由にさせてもらっていたと思う。
高校を選ぶのも(当時は学区制でどこでもは選べなかった)、滑り止め学校を受けるのも、大学受験をすることも、予備校をどこにするかも、滑り止めの大学ももちろん自分で選択して、親に許可をもらっていたような感じだ。

記憶が確かなら何か否定的なこと言われたことあったかなぁ。。。
あったかもしれないが、記憶の改ざんがこの20年で起きてるってことで(笑)

結局大学は中退して、その後とある専門学校に1年通うことになる。
なんだかんだ楽しかったし、良い経験をしたと思っている。
ただ親にはお金的に大きな負担をかけてしまったことにはかわりない。
ここは僕の大きな一つの反省点。

とは言え、最近になって思うのは・・・
親だからとかに限らず『大人』ってのは、先の時代を生きた責任感をもっと持つべきなのかなと

なにかアドバイスをして、タメになることもならないこともあるだろうし、反発されるかもしれない
もちろん自分とは違う道を歩んでいれば、適切なアドバイスじゃないかもと何か言いたいことがあってもその言葉を飲み込んでしまうかもしれない

でもさ、後ろを歩く人にとっては先の未来はわからないことだらけであって、自信満々にその道を進んでも、全然間違ってしまうってことだってあると思う

選択肢の多さ、選択肢を多く持つことが何より重要なんじゃないかな

不要な選択肢であれば不要とわかった時に、その選択の中から取り除けばいい

何かする時に選択肢が1つだけしかない状況と、3つの中から選べる状況ってなると、きっと周りを見る余裕も生まれるし、Aを選択したとしても、もしかしたらもっと良いA’が生まれる可能性だってあると思う。

こんなことは言いたくないが、僕の周りにはアドバイスも無いが否定の言葉を初めに投げてくるような親族もいたりする

心配だからと言ったら理解はできるんだが、否定の言葉は言った本人にはわからないだろうが、かなり凹まされるんだよね。

しかも否定の言葉は争いを生みかねない
自分の周りにいる人間なら、我慢することもできると思うが、、、
これがSNSとか不特定の人間なら尚更よな

否定ではなく、「ここはこうしたら、こうなるかもよ?」とか「それならこーゆう選択肢もあるんじゃない?」みたいなキャラクターを否定しない言葉選びが大事

大谷選手も高校卒業の時ってそんなじゃなかったっけ?
高卒でメジャーに挑戦ももちろん一流になっていた可能性は大いにあると思う!
けど、栗山監督との出会いでいろんな選択肢を与えてもらったからこそ、日本で二刀流という異次元を実現し、それをメジャーにそのまま輸出することも可能になった!
そして今の活躍にも繋がっている!
その出会いがなければWBCの優勝も見れなかったかもしれない!

そう考えると先人の知恵というか、多少なりとも人生経験を積んだ人間としての知恵とか経験を頭ごなしに決めつけ否定するのではなく、選択肢を増やすためのアドバイスできるような存在になりたいと思う今日この頃、秋の夜空でした。

もっともっとインプットとアウトプットを増やさないとなぁー。。

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