他者比較の中で生きない努力
「心の中のモヤモヤ&気づきシリーズ」
ふと腹落ちした話
あるラジオを聴いていて、
「わたしは自分は暗い人間だと思っているが、周りからは明るい人間だと言われる」
とおっしゃってる方がいた。
話を聞いている限りは明るい人だと認識していたし、一般的に見ても明るいか暗いかで言われたら『暗い』方には見られないタイプの人
でもご本人は「わたしは暗い」と言う
これ、めちゃめちゃ面白くないですか?!
自己認識と他者認識のギャップ
要するに、明るいに対する定義と暗いに対する定義が人によって全ッ然違う!
もちろん明るいから良いとか、暗いからダメとか、そんな短絡的な話ではない
僕自身の話をすると、ベースは暗い人間だと思っている。
理由は、すごい人見知りをする/大勢よりも一人のが好き/喋ることがめんどくさくなる時がある/自己否定的 etc
でも友達と話す時には、ボケることもあるしツッコむこともある
大声で笑うこともあるし、基本的には楽天的な考え
スポーツ全般好きで、体よく動かすし筋トレは日課
こうやって文字に起こすと、自分の中に明かるさを持っている部分と暗さを持っている部分があるのに気付く
ただ、その明るさ・暗さはどこが判断基準になるんだろう
結局他人と比較してしまうから、不要なボーダーラインを設けて無駄なジャッジをしてしまうのではないだろうか、、
学生の頃の僕はずっとそんな感じ
人と比較して面白い話ができないから暗い
→ そうなると余計に喋らなくなって暗い
→→ 人と喋らないから友達が少なくて暗い
自分で自分を追い詰めるループに陥っていた
自然と明るくなれる時の自分/不必要な明るさを排除した時の自分
色んな自分がいていいんじゃないだろうか
人の性格はオセロみたいに分かりやすくはないし、黒と黒で挟んだからって黒にはならない
白と黒があっていーし、グレーがあっても赤があってもいいんだと気付いた
人は自分とは違う生き方や考え方をしている人を排他的に扱いがちだし、群れから離れて一人でいる人を敬遠(軽蔑)しがち
それって人間が人間として、種を保存するための自己防衛本能の一つなのかもしれない
群れを作った方が強いし、守られてる感じがするしね
でも自分と違うそんなところも素敵と思える、言葉に出来るようになれたらどんなに素晴らしい未来が待っているんだろう
だいぶ年齢を重ねてから色んな気付きが多いのが残念、、、
もっと若い頃からたくさん考えて、経験して、ができたらもっと色んな色の世界が見えていたんだろうなぁ
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