まだまだ、こころに潜むレットウカン
お久しぶりです。
ozenです。
3年ほど前に、精神的に苦しんでいる投稿などをしていました。
当時は、「自分は社会人として自立することができるのか?」「ていうか、仕事毎日行けるのか?」「気分落ちて会社休んで、信頼失って、自己否定をして苦しむ日々が続くのでは?」と不安でいっぱいでした。
しかし、ここ1年ほど、仕事を精神状態が理由で休むことはなく、無事に社会人をできています。とりあえず、自分ひとり生きていける分は稼げている。一安心です。
そんな今の私があるのも、コツコツ自分に向き合ってきたからであります。
薬物療法からはじまり、カウンセリング、日記や瞑想、やさしく体を洗う(大切な友人が教えてくれた技)など、コツコツ、無理なくやってきたからであります。
しかしながら、まだまだ自分に対して、キツいことを言う自分もいます。
雨の日に古傷が痛むように、こころの治らない、けど治したいとおもう癖は残っているのです。
昨日、家族に「そんなことも知らないの!常識だよ!!」と驚かれました。
「第九ってベートーヴェンだっけ?」と聞いた私の質問に対しての反応です。
私は家族に、「常識だよ!!」と言われたとたん、わんわんと泣き始めてしましました。私も別に泣きたいわけじゃないんですが、ぼろりぼろりボロネーゼなのです。
泣いているときは、”常識を押し付けられた!!悔しい!!”気持ちで泣いていると思っていました。
そのあとすぐ落ち着いて、けど何となく自分の泣いた理由にもやもやしていました。
そして、お風呂に入りました。
そこで、ぐるぐる考えて気づいたこと。
どうやら私は、常識がないこと≒知識がないこと≒記憶力が悪いこと、をコンプレックスに思っており、それでわんわん泣いてしまっていたらしいのです。
コンプレックスに思っていないことは何と言われても基本気になりません。
最近自ら進んでスキンヘッドにしたのですが、その時ハゲだとか、ご来光だとか言われても、なんとも思いませんでした。心のふっくに引っかからないわけですね。
だから、私がわんわん泣いた分、その涙パワー分、コンプレックスに感じていたことがわかります。記憶力が悪いことを。
そして、なんで自分が記憶力が悪いことをコンプレックスに感じているかというと、他人と比べてしまっているからです。しかもたぶん、記憶を得意とする人間と自分とを比べてしまっているんでしょう。
とりあえず、対処法。
まずは、”私は自分自身の記憶力が悪いと思っていて、それをコンプレックスに感じているんだな。なんでコンプレックスに感じているかというと、他人と比べてしまっているんだな。”と受け入れてあげること。
上記を受け入れたくない!!と思うと、わんわん泣くような過剰な反応が生まれるのかな、と思います。
そして、受け入れた後、”自分がありたい自分であるためにはどうしてあげたらいいかな?”って考えてあげること。それが大事かなと思いました。
まずは、どんな気持ちも受け入れてあげる。私が私のために。
まだまだコンプレックスとか、苦しいことはある。
だから、どんな私であっても、私なら受け入れてあげられる。っていう安心感を持って過ごせたらいいなと思いました。
上記の文を読むと、「私」や「自分」というワードがいっぱいでてきている。私:11回、自分:11回。
多分今は、自分自身と向き合って大切にしてあげる時期かなと思います。
ぼちぼち、頑張ってまいります。
読んでくれて、ありがとう!