「京都人はコワイ」について
「京都ってあれですよね、ぶぶ漬け出されたら「早く帰ってください」って意味なんですよね」
府外の人と会ったりお酒の席などで、そんな話になったことは数知れず。
盛り上がる話題でもある。
「何か裏がありそうですね」
「京都人ってイケズな人多いんですよね」
そういったイメージは普通にあるようで、裏表があると認識されている。
でも、だからと言って、私含め京都人は嫌な気持ちにはならない。
逆に、そういった言葉を投げた時、相手の京都人の方はどんな反応をしたでしょうか。
むすっとして黙り込んだか?
はぁ、とうんざりした様子だったか?
その後、避けられるようになったことがあるか?
おそらく、こうだ。
「そうですか〜、そらすんませんでしたね〜。」(コテコテ)
「ははは、そうかもしれませんねぇ。」
と、にっこり、笑う。
これが、京都流、京都式。
世知に長けているというか、なんというか。
京都では人間関係を構築するうえでの一つの当たり前。
「裏表がある」ということについて、
そもそも「裏」と「表」という認識がない。
京都のイケズ文学者である入江敦彦さんはこう表現している。
(おっと。こういう表現、ちょっと敷居高いところから言われているみたいだけど、、?冷や汗)
ただ、その後に続けてこう説明されている。
京都人の私もなるほどでした。
裏表がある1枚の紙ではなく、高さや横幅がある立体的な空間があり、世界観がある、と。
江戸時代、豊臣秀吉がつくった御土居(おどい)。
御土居で囲まれた街は京都の中心地となり「洛中」と呼ばれた。(御土居の外側が「洛外」)
洛中という範囲が限られた街の中で暮らす人たち、いわば、世間が狭いというような暮らしの空間で、お互い心理の読解術は必須だった。
幕府から政治機能を奪われ、江戸時代以降は職住一体型のビジネス都市として発展してきた古都京都。
他者との適切な距離を測り、気持ち汲み取り、直接表現を避けて築いていく関係。
ここで暮らす子どもたちは「近所の人には挨拶しぃや」なんて言われて、他者への斟酌を叩き込まれたであろう。
小さい頃から「空気を読む」ということは当たり前であり、現代は事情は変わっているものの、京都で育つことでそういったことが自然に備わっているみたいだ。
ビジネスの場でも同様。
大小関わらす、探り合いももちろんあるかもしれないが、丁寧な斟酌が生まれているはず。
ビジネスだから「ダメなものはダメ」で良い、とはならない。
ビジネスの場面でも、ひとつの人間関係として捉えている。
100年前にお世話になったから、100年後にお世話になるかもしれないから、返事ひとつにしても慮る。
京都人の商売はスパンが長い、老舗が多いことも、なんだか納得する。
ビジネスひとつで、過去・現在・未来を考えている。ここでも空間が出来上がっているようだ。
最後に、再度イケズ文学者入江先生のお言葉を引用、拝借。
ちなみに、この返答の襞には様々な感情が隠れているそうだ。
怖い。
無駄な時間って感謝するものなんですね。
だそうです。
さ、まとめてみたけど「京都人って面倒臭い」と思われるのか、な。
京都流のコミュニケーションであり、独特な面でもあるかもしれない。
お店で1個モノを買うにしても、労いの言葉や時候の挨拶をかけたりと、ちょっとした意識とこだわりを持っているところは良いなぁと思う。
そして私はというと、「京都の人は腹黒いですよ〜」なんて自ら話題にする。
イケズエピソードで盛り上がったり、「やっぱり京都はねぇ〜」と京都のイメージを膨らませている。(植え付けてしまっている、、?)
どんなオチになろうとも、私はにっこり笑っている。
※写真は、今年(2017年)から始まった、西陣の地にある本法寺ライトアップ
人が全くいなくて穴場感!
和傘 × 紅葉 の組み合わせは新鮮、来年からじわじわと、「知る人ぞ知る」の幅が広がり、人が増えるかもしれない。
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