われても末に逢はむとぞ思ふ、平川地一丁目の再結成に想いを寄せて
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院が詠んだ、百人一首で私が一番好きな和歌だ。
「恋の歌」というカテゴリー分けされる歌だが、詠んだ作者、時代背景という観点から恋の歌ではないともされ、多くの人たちがそれぞれで思いを馳せる歌。自称歴女としては、雨月物語にも出てくる崇徳院の話が特に好きなので、私もそのうちの一人だ。
タイトルにもある通り、
大好きな平川地一丁目が再結成して、音楽活動を始めていた。
平川地一丁目という兄弟でのギターデュオ。知っている人はどれくらいいるのだろうか、あるいは、どれだけの人が彼らの再結成を知っているのだろうか。
2003年11月、もう18年も前になる頃、当時彼らは中学3年生と小学6年生という若さ。「とうきょう」という曲でデビューし、無垢な少年たちがギター2本で鳴らす音と、切なさを感じる詞(兄・林龍之介が作詞作曲)。彼らと同年代である当時の私が言葉をまだ知らずにいて言い表すのに悩ましかったが、「哀愁」という形容がぴったりなんじゃないだろうか、と、大人になって改めて思う。
▼メジャーデビュー曲「とうきょう」
(MUSIC STATION 初登場)
2008年5月に解散発表。その夏に解散ツアーを行い、彼らは一線から退いた。大学生になっていた私は平川地一丁目の音楽にたくさん触れていた時。自分で稼いだアルバイト代でアルバムを買い集め、iPodに入れていつも聴いていた。解散と知り、「彼らの生の音楽を聴かないと」と掻き立てられてファイナルツアーの新潟LOTS参戦。彼らの地元である新潟が良い、と安易なのか単純なのか。私にとっての初めての新潟だった。
そして今、空白の時を経て。
いや、「空白」ではなかったのか。
それぞれ人生を歩み、重ね、解散から10年後の2108年には「解散十年記念ツアー」として、一夏限りの復活を果たした。
その一年後の2019年12月に、翌年の春に再結成を発表。(していた!)
2020年4月にアルバムをリリースして始動。(していた!!)
2021年4月28日、過去に「平川地一丁目」に関してツイートしたつぶやきに「いいね」の通知。なんでだろう、と思ったら、その日は「悲しみのない世界へ/玄関灯」(斉藤和義プロデュース)リリース日だった。
▼悲しみのない世界へ
平川地一丁目が、この令和の時代に現在進行形で活動している、だと…
解散10年記念ライブも、再結成していたことも、アルバムを出していたことも、リアルタイムに情報を追えていなかった自分にグーパンしたい。私は一体何をしていたんだ。
随分と久しぶりに見る、最新のふたり。
少年、青年だった彼らも、いわゆる大人に変わっていた。けれど、変わらない、懐かしいなぁと思う感覚。溢れ出る雰囲気の根本は全く変わっていない。安心感。
しかし、今はあの時と時代も異なり情報化社会だ。時代も変わって令和だ。ワード検索しただけで、関連するページ、コンテンツはたくさん出てくる。YouTubeチャンネルなんてのもある(!)あまり得意じゃなさそうだな、と思っていたSNSも活用している(!!)TwitterやInstagramで知る、彼らの今の私生活。(好きだった人をSNSで見つけて一気に人生の経過を知れてしまう時のワクワク感と色々と掻き乱される心情になる現象に正式名称ってなに?)
お互い、一度別々の人生を歩み、離れてしまったけれど、今またふたり一緒になって、「平川地一丁目」が存在している。
結成に至るまでとこれからを知りたくて、2021年3月にリリースされた「大海へ再び舟をこぎだす平川地一丁目 2020再結成記念ドキュメンタリー」を手に取った。
再結成した、今の彼らが語る言葉たち。ふたりはやっぱり、ふたり一緒になることが運命だったのか。兄弟という関係性、お互いをよくわかっている、と言うのか、良い距離感を持っているんだなぁというのが、映像を通して伝わってくる。
「われても末に逢はむ」と思っているのはお兄ちゃんの龍之介だろうな、なんてことも感じられる。それに対しての弟の直次郎は、今の彼だからこその“らしさ”で呼応しているようだ。
平川地一丁目、再結成してくれてありがとう。
ふたりの音楽を生み出される時代、生きていて良かった。
今月、8月21日(土)には、なんとワンマンライブ開催が決まっている。
解散10周年記念ライブや再結成後のライブには参戦できていない私としては、2008年の解散ツアーぶりに彼らの生の音楽に触れられる。
楽しみで浮き足立つ、2021年8月上旬。
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