動物媒介か研究所漏出か──新型コロナウイルスの「起源」論争はつづく

第1回

 700万人が命を落としたと推測され、世界中を混乱と恐怖に陥れた2019新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。本稿投稿時点(2023年4月25日)で世界保健機関(WHO)によるパンデミック宣言は解除されていないが(追記:2023年5月5日、WHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を解除した)、世界は事実上「新型コロナ」以前の状態に戻った。ただし、完全に元通りというわけにはいきそうもない。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は人間社会から消え去っておらず、感染者も死者も少なからず発生している。ウイルスは変異しつづけていて、ワクチン接種や過去の感染で得られた免疫が効かない、毒性の強い変異株がまた登場するおそれも消えていないからだ。このウイルスの脅威が去ったわけではけっしてないのだ。

 周知のとおり、COVID-19は中国河北省の省都・武漢市から世界に広がった。2000年年明け早々には、原因ウイルスとしてSARS-CoV-2が特定されそのゲノム情報も公開されたが、このウイルスがどこから来たのか、最初の感染者はだれで、どのように感染したのかはいまに至るまで明らかになっていない。ただ当初(2019年末)、武漢市内にある華南海鮮卸売市場関係者に感染者が多かったことから、同市場で感染がはじまったのではないかと考えられた。2020年1月1日以降、同市場は閉鎖されたままだ。

 SARS-CoV-2は、もともとコウモリ(おそらくキクガシラコウモリの仲間)に自然感染していたウイルスを祖先にもつと考えられている。ただ、武漢市の中心部には野生のキクガシラコウモリは生息しない。同市場では魚介類だけでなく野生のものを含む鳥獣も扱われていたが、キクガシラコウモリは通常食用にされず、売られていなかった。つまり、同市場においてキクガシラコウモリからヒトに直接感染した可能性は限りなく低いのである。

 ただ、2003年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)の原因ウイルスであるSARSコロナウイルス(SARS-CoV)は、最初の患者が発生した中国・広東省の市場で売られていたハクビシン(ジャコウネコ)またはタヌキが媒介したと推測されている。SARS-CoVとSARS-CoV-2は近縁関係にあり、いずれもキクガシラコウモリの仲間が自然宿主だと考えられている。ハクビシンやタヌキはSARS-CoV-2に感染することも確認されており、感染発生時期に華南海鮮卸売市場で売られていた可能性が高い。最初の感染者は、これらの野生動物を通じて感染したのだろうか? これが「動物媒介説」だ。ただし、前述のように同市場は閉鎖されてしまい、また中国の関係機関が詳細な情報を明らかにしてこなかったため、確認することができない。

 一方、華南海鮮卸売市場がある武漢市内には、感染性のウイルス研究、とくにコウモリコロナウイルス研究で世界トップ水準の武漢ウイルス研究所が存在する。同研究所では、「バット・ウーマン」の異名を取るシー・ジェンリー(石正麗)博士を中心に、中国内外でコウモリコロナウイルスを採集し、サンプルを保管していた。そのなかには、SARS-CoV-2とゲノム配列の96.2%が一致する「RaTG13」(雲南省の廃鉱山でキクガシラコウモリの仲間から採種されたコウモリコロナウイルス)もあったとされる。ほかに武漢市疾病予防管理センター(武漢市CDC)でも感染症対策にかかわる研究をしており、研究目的で野生コウモリが飼育されていたという。

 感染事故や検体の不適切な処理、あるいは故意の持ち出しなど、何らかの理由で、COVID-19の原因となるウイルスがこれら研究施設から外部に漏出し、それが広がってしまったのではないか、というのが「研究所漏出説」である。とくに武漢市CDCは、華南海鮮卸売市場からほど近い場所に位置していた。

 研究施設からの原因ウイルスの漏出は、武漢で感染が拡大し海外にも広がりはじめていた2020年当初から疑われていた。それ以外にも、ゲノム配列の特徴から、SARS-CoV-2が遺伝子組み換えによって人工的につくり出されたものではないかという「遺伝子人為操作説」も、のちに否定されたものの当初から根強く存在した。おもに米欧の保守系ニュースメディアやスキャンダラスな記事が売りのタブロイド紙などが、こうした漏出説や人為操作説を繰り返し報道した。2020年当時アメリカ大統領だったドナルド・トランプ氏やその側近たちは、SARS-CoV-2を「武漢ウイルス」や「中国ウイルス」と呼ぶことをはばからなかったが、これも漏出説や人為操作説にもとづくものだった。当然ながら中国は激しく反発。はては、「SARS-CoV-2がアメリカからもちこまれた可能性がある」と、中国外務省の報道官がSNSに投稿した……。ほかに中国国内では、輸入冷凍肉(魚)にウイルスが付着していたという「コールド・チェーン説」も取り沙汰されているが、こちらも科学的根拠は乏しいといわざるをえない。

 SARS-CoV-2のヒトへの最初の感染は、いつ、どこで、どのように(どのようなルートで)起こったのか。それを突き止めることは、新たなウイルスによる感染流行を未然に防ぎ、あるいは拡大を食い止めるためにもきわめて重要である。しかし、起源問題ははじめからあまりにも政治的になりすぎた。米中が強い言葉で相手を非難しあう様子は、「感情的」といってもいいくらいだ。

 一方WHOは、2021年1月から2月にかけて中国政府と合同でSARS-CoV-2の起源にかんする現地調査を実施した。その結果、なんらかの動物を介した感染が最もありうるシナリとし、研究所からの漏出をほとんどありえないと結論づけた。しかし、この調査は中国側が調査範囲を限定するなど、協力的とはいいがたいものだったため、中国政府(とWHO)にたいする批判が高まりこそすれ、漏出説が収まることはなかった。

 中央情報局(CIA)や連邦捜査局(FBI)、国防総省国家安全保障局(NSA)のほか、国務省などの傘下に設置されているアメリカの情報機関は、それぞれ独自にSARS-CoV-2の起源を明らかにするための調査をつづけてきた。それらの機関が入手した、ウイルス漏出を疑わせる情報が、しばしばアメリカのメディアを賑わせた。2021年8月に国家情報長官からジョー・バイデン大統領に提出された統合報告では、さすがに「遺伝子人為操作説」や「生物兵器説」は否定されたものの、動物媒介と研究機関からの漏出はいずれもありうるとし、結論を出せなかった[1]。

 一方で、ウイルス学や進化生物学の研究者らもSARS-CoV-2の起源に強い関心をもっている。たとえば、アメリカ・アリゾナ大学のマイケル・ウォロビー博士やイギリス・エジンバラ大学のアンドリュー・ランボート博士ら、COVID-19やSARS-CoV-2の起源や進化について探索・研究をつづけてきたグループは、華南海鮮卸売市場が感染の中心地であり、そこで売られていた生きた野生動物からヒトへの感染が起こった可能性が高いと、2022年に報告している[2]。さらに、アメリカ・カリフォルニア大学などの研究グループは、動物からヒトへの感染が初期に2度起こった可能性を指摘した[3]。

 2023年2月になって、新たにアメリカ・エネルギー省(DOE)の情報機関による調査結果が明らかになった(DOEには諜報・防諜局〈OICI〉という情報部門がある)。報道したウォールストリート・ジャーナル紙(2月26日付電子版)によれば、DOEはホワイトハウスや連邦議会主要メンバーに提出した報告書のなかで、研究機関からの漏出が「確実度(confidence)は低いが最もありうるシナリオ」だと結論づけたという[4]。ほかにFBIも独自に「(事故による)漏出が中程度の確実度でありうる」としている。しかし、アメリカ政府として漏出説を支持しているわけではなく、その後もそれぞれの情報機関による調査がつづいている状況だ。

 一方で、フランス国立科学研究センターの進化生物学者フローレンス・デバール博士らのグループは、世界的なインフルエンザ・ウイルス情報データベースである「GISAID*」に、2020年1月以降に華南海鮮卸売市場で採取された「環境試料」のゲノムデータファイルがあるのを、2023年3月に発見した。そこにはヒト、タヌキなど何種類かの動物の遺伝子(mDNA)情報が含まれ、SARS-CoV-2陽性を示すものも含まれていたという[5]。このデータファイルは、中国疾病予防管理センター(中国CDC)の研究者によって2022年6月にアップロードされていたものだった。デバール博士らのグループが、中国CDCにこのファイルについて問い合わせると、ファイルはGISAIDから削除された。グループからの情報提供を受けてWHOの科学諮問団(SAGO)は中国当局と会合をもち、関連するデータの開示を求めた[6]。中国当局は、このファイルは科学誌ネイチャーに投稿中の論文のためのものだと説明した。

 4月5日付でネイチャーのサイトに公開された当該論文によれば、これらの検体は、華南海鮮卸売市場が閉鎖された2020年1月1日から3月2日にかけて、中国CDCからの派遣チームが中心になって同市場内外の陳列台や床、排水溝、排水桝、冷蔵庫や冷凍庫に保存されていた肉類、魚類などから採取したもので、SARS-CoV-2陽性であった環境試料からタヌキなどの遺伝子情報も同時に検出されていた[7]。一方で、動物検体はすべてSARS-CoV-2陰性だったという。複数の店舗から採取された試料からSARS-CoV-2が検出されたことから、市場が閉鎖される以前には、ウイルスが市場内にまん延していたと考えられるとし、SARS-CoV-2陽性の環境試料から動物の遺伝子が検出されても、その動物がSARS-CoV-2に感染していたことを示すものではない、と念を押している。

 結局、ウイルスがどこからかもちこまれ混雑した市場内で広がったことまではたしかなものの、「動物媒介説」を裏づけるには不十分で、ヒトや冷凍肉(魚)を通じて市場にもちこまれた可能性も排除できないという。ヒトがもちこんだとすれば、それはどこからか? この結論からは、研究所漏出説もまた排除できない。

 しかし、この論文のデータには、通常市場で検出されるとは考えられないジャイアントパンダのものが含まれるなど、正確性に疑問を投げかける研究者もいる[8]。結局、起源論争に決着をつけるどころか、疑念と混乱に輪をかけただけだった。

 先述したように、SARS-CoV-2がいつどこでどのようにヒトに感染し、それが広がったのかを突き止めることは、今後同様の動物由来感染症の発生を防ぐために重要である。SARSの流行のあとに、その起源とルートをきちんと解明し、対策をとっていれば、COVID-19パンデミックは起こらなかったかもしれないのだ。

 わかっていないことはまだある。そもそもなぜ、動物のウイルスがヒトに感染し、重い症状を引き起こすのか。それらのウイルスはどのようにして人間にたどり着くのか。COVID-19は完全に終息するのか、するとしたらいつ、どのようなかたちでなのか。SARS-CoV-2は人間社会から消えてしまうのか、それとも残っていくのか。また再燃することはないのか。そして、それほど遠くない将来に、新たな動物由来感染症──たとえば「新・新型コロナウイルス感染症=COVID-XX」──が発生することはないのか。などなど。

 それらの疑問について明確な答えは得られていないが、予測し対策を立てるためには、まずこれまでをふりかえってみることが必要だ。<つづく

 *:GISAIDは「全インフルエンザ・データ共有のための国際イニシアティブ」の略語で、2006年に高病原性鳥インフルエンザ・ウイルスのゲノム解析情報を共有するための公共データベースとして発足、2008年に運用開始した。2020年1月以降は新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のゲノム解析情報も扱われている。掲載される情報は著作権の発生しないパブリックドメインである。



[1] Office of the Director of National Intelligence:“Unclassified Summary of Assessment on COVID-19 Origins”, Reports & Publications, August 27, 2021

[2] Michael Worobey et al.:The Huanan Seafood Wholesale Market in Wuhan was the early epicenter of the COVID-19 pandemic, Science, 377(6609), 2022

[3] Jonathan E. Pekar:The molecular epidemiology of multiple zoonotic origins of SARS-CoV-2, Science, 377(6609), 2022

[4] Michael R. Gordon and Warren P. Strobel:Lab Leak Most Likely Origin of Covid-19 Pandemic, Energy Department Now Says, Wall Street Journal, February 26, 2023(電子版)

[5] Alexander Crits-Christoph et al.:Genetic evidence of susceptible wildlife in SARS-CoV-2 positive samples at the Huanan Wholesale Seafood Market, Wuhan;Analysis and interpretation of data released by the Chinese Center for Disease Control, University of Nebraska Medical Center, March 22, 2023

[6] World Health Organization:SAGO statement on newly released SARS-CoV-2 metagenomics data from China CDC on GISAID, News, 18 March, 2023

[7] William J.Liu et al.:Surveillance of SARS-CoV-2 at the Huanan Seafood Market, Nature, published 05 April, 2023

[8] Dyani Lewis, Max Kozlov and Mariana Lenharo:COVID-origins data from Wuhan market published/ what scientists think, Nature, 616, 13 April, 2023

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