極めて個人的で、だけど外に開かれている物語を読みたくなる

夜です。演技です。こんばんは。

最近めっきり寒くなって、毛布を出してくるまる今日この頃、読書をするのですが、考えることがあります。

それは、自分がどんな話を読みたいのかということである。

である調って、堅苦しいなあ
ま、ま、適当に書こう。

保坂和志さんの本を読みましたよーってなわけで、これ

これ、読んだんですけど、なぜ読んだかというと、小説を書いているからです。
僕は適当に小説を書いていて、べつに書きあぐねているとかないけど、(あぐねているってかわいい響き)保坂和志先生のカンバゼイションピース?だっけ、名前うろ覚えなんですけど、たしかそうゆう本があり、その本が好きなので、これも読んでみました。

千葉雅也さんが、おすすめしてた本だからってのもデカいな。千葉雅也先生が書いてる本も面白い。適当で。本なんて適当でいいんだよね。

んで、この本、結論面白くて、この本に書いてあることの「小説は自己救済であってはならない」とか、「現実での弱者は小説内弱者ではない」とか、確かそんなことが書いてあったんですけど(正確ではないです)、共感できました。

僕は自己救済的な話を読むのが苦手なのです!
という感じかな今のところ。
二個目の現実での弱者は小説内弱者じゃないってのも、おお~、と思って、納得した。

確かに

確かに~って感じです。親が死んだとか、あんだなんだとか、よく分かんないけど、とりあえず小説の主人公は弱者的なポジションが多いけど、それって現実では弱者だけど小説では弱者じゃないって言うか、だって、居場所が与えられている。主役っていう居場所。

現実なんて酷いもんで、ちょっと外れたことをすると仲間外れにされてしまうし、居場所なんぞすぐに追いやられちまうぞってなわけで、現実は厳しめだけど、物語のように上手く転がるわけもなく時間だけが過ぎる。
小説は展開があるので救われたり、あるいはもっと悲惨な目にあったりするけど、結局主役っていう居場所を与えられてるんだからスポットライトは当たってるわけ。

ん~難しいな言語化ってやつはよ。
ともかく僕の読みたい話はって冒頭の話題に移るか。

読みたい話は冒頭に書いている通り「極めて個人的で、だけど外に開かれている物語」だ。
これの説明をとりま、しようかね。

まず極めて個人的という部分。
これは、私小説とかそうゆうことではなくて、その人、個人、に目を向けている小説であること。個人というのが書いている本人でなくても良い。
多くの人が共感できる主人公じゃないということ、なのかなぁ。これ読んでる人はどう思いますか?

鬼滅の刃の主人公である炭次郎くんのことは僕は大好きだけど、そうゆう物語を読みたいというわけではないんです。大衆性を帯びすぎているから? なぜ大衆性を帯びすぎているとよくないのかというと、先のとがっていない針みたいな印象を受けるからです。誰にでも刺さるけど、深くまでは刺さらない的なね。的なね、とか言っちゃってさ、ウケる。

「だけど、外に開かれている」って部分なんだけど、これは上の主張と矛盾している感じがしますね。え、しないだって? うるさいな! 

なんというか、私小説嫌いなんだよね。
自分語り臭が凄すぎるからかもしれない。
だから、主張は大衆性をどことなく帯びていてほしい気もするんです。
めんどくさ~めんどくさいなぁ自分。
でもそうゆうところが人間の面白いところだった。

自分のことを何も主張しないで、自分のことを主張し、さらにその主張が自分だけに向いているのではなくて、外に開かれたものになっている、そんな小説があるんでしょうか?

最近ピンと来たのは、掃除婦のための手引き書です!

いやこれ、私小説やんけ~って思ったそこの馬鹿! 当たり!
でもなんか、開かれている感じがするので、これは面白いものだ!

で、これは結論が出ない話なのかもしれません。僕自身、これがどうゆうことにピッタリくるのかわかってないです。でも読んでりゃピッタリくる本に出合えたりするもんなので、いろいろ読みましょう。皆もサボらず、ね。

とりあえず最近面白かった本を共有

ボルヘスおじさんが好き勝手喋ってます。文章から、というか喋り方から、自分の考えの確固たる自信ってやつが伝わってくるぜ。

でもぶっちゃけのところ、全部読み終わってないんだよね。なんか最近頭がぼーっとするので、あんまり難しい話をされるときついんです。

もう24時だよどうする? 
もう明日が今日になっちゃってるけどどうするんだよ。マジでさ。

さーーーーって、水、水、水を飲みましょう! 水飲んで熱中症予防して、ぱっぱと寝て、健康的な日本男児としてまた今日を迎えます!
寝て起きても今日っておかしいよ!

じゃあな! 去ね!

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?