日曜日の夕方
今日は日曜日。
午前中ジムに行って、終わったら吉祥寺でご飯して買い物して、午後2時前に帰宅した。
三連休最初の二日はなんだかんだで時間使っちゃったから、今日こそちゃんと勉強しようと思ったが、2月の試験がまた延期できるようになったというニュースが知ってしまったせいで、なかなか勉強するってやる気にならなかった。いざ始まったら、知識を蓄える喜びで一日はきっと充実感にあふれるだろうなとわかっていても、パソコンを開くという動作に移る引き金を引くのをしぶりつつあり、部屋の片付けと掃除に逃避してしまった。
勉強への反動のおかげで、放置していた雑物を整理できたし、ご飯さえ作った。引越ししてきてから使えなくなったラックを粗大ゴミにだそうと思い、寮のフロントで申込書を取りに部屋を出たら、同期の女子が実家」から帰ってきたところを目撃し、彼女の後ろに、箱詰めのペットボトルを3階まで運んでいたお父さんがいた。
その子の両親とも帰化した中国人という話を聞いたことがあるので、そのお父さんを見ていたら、フロントから自分の部屋への帰り道に、遠くに荷物を持って寮に帰っていている人たちを眺めて、中学校と大学のときの日曜の夕方を思い出した。
転校前の中学一年と二年は、全寮制の中学校に通っていた。市内に住んでいる学生たちにとっては、金曜日の夕方放課後から日曜の夕方自習前は実家可能な時間なので、いつも日曜の夕方に家から親に学校まで送ってもらった。大学のときも全寮制で、地元は新幹線一時間半ぐらい離れているので、連休のタイミングに合わせて月1の頻度で実家に帰っていた。だから、日曜の夕方は、月曜の到来を示しているよりは、親元から離れるという意味の方が強い。
留学で一人暮らしを始めてから、日曜の朝や昼から荷物を整理し、気持ちを整理し、出かける準備をするようなことがなくなった。その代わりに、社会人の月曜への恐怖と抵抗が、日曜の夕方に新しい意味を付与した。
今週は仕事で失敗してしまって、月曜への不安が一層高まってきたのに、同期のお父さんが送ってあげたところを目撃したことで、学生時代の日曜日が突然5、6年ぶりに蘇った気がした。コロナで一年以上帰国していないからなのか、本当に親にあいたくなったのか、それとも、いつでも簡単に帰れる場所がある人が羨ましくてしょうがないのか。
日曜日の夕方は、学生時代寮に住んでいた私にとっては、暦の上の時間の境目だけではなく、最大の信頼と安逸を与えてくれる場所から、一人で戦う戦場へと赴く立場の分割点でもあった。日曜の昼ごはんはいつも家で食べていた。実家での最後のご飯だから、もう少なくともこれからの一週間は実家の味が食べれなくなるから、いつも母やおばあさんが思い切り振る舞ってくれる。私の好きなものや、たまにあるリクエストに応じて、何でもわがままを聞いてくれる。しばらくの離別を悲しむわけではないけど、その離別を煽るような食卓の風景、「荷物はまだか、チケットはちゃんと取れたか、間に合うか」としつこく注意してくる会話、駅まで送ってくれる途中高速使うかどうかでなりかけた口喧嘩、重たい荷物をトランクからおろしてくれる父の姿といつも助手席に座らせるペットのポメラニアン。新幹線に乗り込む瞬間が日常なのか、帰途のバスに乗り込む瞬間が日常なのか、日曜のよると日曜の昼間、どっちが本当の日常なのか。一人暮らしが日常になった今日、なぜか私がこういうことを思い出すようになって、とても不思議な気持ちになった。
結局今週の日曜日、私は勉強できなかった。あれこれ考え出して、疲れた自分を労る口実を作って、一週間をそのまま無駄にしてしまった。
テレワークが日常になり、月曜の場所の移動もなくなった今日、一週間の区切りがさらに曖昧になってきているのに、感覚が鮮明に軋む音がこの狭くて静かすぎる部屋の中で響いた。
実家や母国を離れて、ほとんど本当の意味での一人になってから、自分の中でのバランスのとり方を苦労するようになった気がする。昔は特に何も考えなくても、最終的になんとかなったけど、今は何もしないままだと、その先にあるものが怖くて、なんとかしようと思っている。その分、いつもいつも自分で頑張ってバランスを取っている様になっている。仕事の失敗を抱え込むときも、悩ましい人間関係も、考えるのを諦めたくても諦められない、期待があるから絶望も山程あるとわかる。
寂しさに強いと思っていたけれども、寂しいでしょと予め質問されると、私は本当は寂しいんだと、気づいた。寂しくても寂しさを紛らわすような努力をしているから、私はまだまだ大丈夫だ。
日曜の夕方は、いつもきれいな夕焼けが見れたらいいな。あ、でも夕焼けを見ると、思いがまたどこかにはせるだろうな。