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選挙と想像力

実家の二階には12畳の子供部屋があって、そこは姉3人の居室だった。私はお隣さんのおうちで暮らしていたので、デイタイム会員みたいなもので、ピアノの練習や姉の漫画や本を読む時だけその部屋を使っていた。

子供部屋の壁には、キョンキョンの大きなポスターが貼られていた。キョンキョンとは、なんてったってアイドルの小泉今日子さんである。キョンキョンファンだった長女が貼ったのだ。半畳ほどの巨大なドアップに堪えられるルックスたるや、ショートカットの髪のサイドにレイヤーが入っていて、かわいかった。

ところで少し前、小泉今日子さんがS N Sで発信した政治的な発言が物議を呼んだ。彼女だけではなく、アーティストのきゃりーぱみゅぱみゅさん、俳優の井浦新さんなども叩かれていた。彼らの意見そのものに反発して叩くというのならまだわかるのだが(まったく良いとは思えないけれど)、芸能人なんだから立場をわきまえろ、何も知らないくせに、恥ずかしげもなく、といった……意見したこと自体を叩かれていたりして、なんだかモヤモヤした。

いつから芸能人は政治的な発言をしてはいけないという風潮になったのだろう? スポンサーの絡みが大きいのかもしれない。企業のイメージを背負って生きなくてはならない方は、その報酬をもらっているだけの責任まで担うべきだろう。不用意な発言、とくに政治的なことにかんしては自由に口にできない。それはわかるのだが、なぜそのことを世間から叩かれなくてはならないのか。今は2020年。S N Sで誰もがメディアとなれる時代に、まったく不憫なことだ。

どんな内容であれ、ネットでの発言にはもちろん細心の注意を要するし、その発言にたいして責任を持つ覚悟も必要だ。有名、無名は関係ないが、有名であればあるほど、その覚悟は持っているに違いないし、それでもなお、多くの人たちにシェアしたい、共有したいと思ったことなら、どんな立場であっても発言してもいいのではないのか。

政治について意見するのは勇気がいることだ。私など、まったく何の影響力もない立場であるにもかかわらず炎上したら怖いから、思うことがあってもそのような投稿をしたことがない。まあね、そもそも、政治について意見できるほど知識も見識もないって。
だけど、わからないなりに、政治のことを考えるのは悪いことじゃない。むしろ個々にとって必要なことだと思っている。だって、自分が住んでいる場所のことを考えないのは不自然じゃない? 自分の家について考えるのと同じように、自分がいる国や街の未来について思い巡らせるべきじゃない?

というわけで、今週末は選挙にも行きます。

自分自身について、自分のそばにいる人の未来について想像すること。それがより良いものでありますようにと願うなら、選挙には行ったほうがいい。

選挙にいくことは想像力であり、思いやりだ。

20代の頃、「私みたいな無知な人間が変な候補者に入れたらかえって迷惑かもしれない…」という自虐的な発想から投票に行かなかった時期もあるけれど、それってけっこう不遜な態度だった。
「あたしよくわかんないしー」と言って、タスクを誰かに丸投げする人、あれだった。
わからないなりにも想像すること、面倒がらずに考えることが大事だったのだと、今なら思う。

それぞれが自分なりの想像力を働かせ、それぞれの意見をシェアし、時には議論できたらいいと思う。
名のあるキョンキョンの意見であれ、名もなき匿名の意見であれ。
賛同できることであれ、反発を覚えるものであれ。

「へえー、いろんな考えがあるんだなー」

って面白がりたい。ネットを通して、遠くにいる、普通なら出会えない誰かと繋がることのできるこの時代の素晴らしさだと思う。


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