6月のエッセイと中学時代の友達
窓から入ってくる風が心地よい。
6月のエッセイがアップされましたので、よければぜひ。
私は所属するエージェント『ボイルドエッグズ』のサイトでエッセイを月1のペースで載せているのだが、毎回エージェントから出されお題にゆるく応えた内容にしている。
今回のお題は『観ないで観る!』。
ドラマや映画や劇では思いつかず、未読の世界文学『失われた時を求めて』を読まないで読む、にしたのだが、これがなかなか苦戦。
そもそも何を題材にするかが難しい。例えば私は『鬼滅の刃』の映画を観ていないのだが、あまりにも多くの人が観ているものだと、それはそれでやりにくい(私の場合だが)。
かといって、まったく知らないものだと、想像するにも手立てがない。
なんとなーく知っているようで知らない、というラインが大事だ。
また、誰も知らない無名のものを選べば、何の話なのかわからなくなってしまう。
多くの人にとっても、なんとなーく知っているものである必要がある。
というわけで『失われた時を求めて』を妄想で考察。
苦労して書いている様子が行間から冷や汗になって滲んでいるので、そのあたりもむしろ楽しんで頂ければと。
さて、緊急事態宣言は延長された。まだまだ遠出できない日々である。
春に緊急事態宣言が解除された束の間、2泊3日で実家には帰ることができた。あのタイミングで帰省しておいて本当によかった。
そういえばこの時、十数年ぶりに中学時代の友人Jと会った。
たまたま帰省する数日前に、Jから連絡が来たのだ。私のTwitterを見つけてDMを送ってきてくれて、今週末に大阪に帰るんよ! と言う話になり、会おう会おう! と、娘ちゃんと一緒にうち遊びに来てくれた。
Jはびっくりするくらい変わっていなくて会った瞬間に爆笑してしまった私だったが、向こうも同じように爆笑していた。
Jとは中学2年に同じクラスで、主に5人組で仲良くしていた。
誕生日も近いし、姉妹の末っ子という共通点もあり、私は親近感を持っていた。それに加えて、飄々としていながら頭が良くて、絵も上手くて、尊敬できる存在でもあった。
Jとは卒業してもたまに連絡をとっていて、就職してからも一度東京に遊びに来てうちに泊ってくれた。教師になったJに、職員室の内情とか聞いたような記憶が微かにある。
久しぶりに会ったJは相変わらず陽気で楽しくて、そして妙なところでシャイだった。そのシャイっぷりもまた懐かしかった。
どういうところが妙かというと、例えばこんなことがあった。
東京に遊びに来るというので待ち合わせ場所を決めようと電話で話していた。
「どこで待ち合わせようか」
私がそう言うと、
「あんな、『笑っていいとも!』のペアで観覧に当たったから見に行こうと思って」
と、Jは言った。
なるほど、ペアということは、Jは友達と一緒に東京に遊びにくるのか、と私は考えた。
「そうなんや、すごいなー。ええやん、タモさんに会えるんや」
「そうやで。楽しみやろ」
「楽しんでおいでや。じゃあ、いいともが終わった頃にアルタ前で待ち合わせしたらいいわ」
「うん、わかった」
というやりとりをして、私たちは1時過ぎにアルタ前で会うことになったのだ。
そして当日。
てっきり友達と二人で現れると思ったら、Jは一人だった。
「あれ? 友達は?」
「えっ、一人やで」
「一人なん? 一人でいいとも観てきたん?」
「そうやで」
「そんなに、いいともが好きやったんや?」
「まあ、好きやけど、英子と一緒に行こうと思ってんけど……」
Jはモニョモニョと言った。
「ええ! そんなん知らんやん! だったら言ってや! あたしもタモさんに会いたかったし!」
私が驚いて言い返すと、
「だってー、なんか、アルタ前で待ち合わせっていう流れやったし、行きたくないんかなと思ってやー」
Jは照れ臭そうに言ったのだった。
なんやねん、そのシャイ!
と、ツッコミを入れたものの、昔からそういうところがあったな、とおかしくもあった。この間大阪で久しぶりに彼女とおしゃべりして、そんなことも思い出した。
時間は一方的に、単調に流れているようで、こうして懐かしい誰かと会ったりすることで過去に戻り、思い出を上書きしてまた進んでいく。揺らいで、厚みができて、複雑な流れになる。
だから、人に会いたくなる。
でないと、つまらないから。
いまだ大阪の緊張感は緩んでおらず、医療関係者、そのご家族の心身のご負担が大きい状況だろう。従事されている方々には感謝しかない。
一日も早く、この複雑怪奇なウィルスが収束して会いたい人に会える日々を取り戻せますように。