10月のエッセイと小さな運動会
今年もあと3ヶ月もないって知ってました? 毎年この時期になって焦るのだけれど、今年はいつもと時間の流れがおかしくて混乱する。流れが速いのか遅いのかもわからない、パラレルワールドみたいに、少しずれた次元を生きているような感覚すらある。
学校の行事がことごとくなくなった今年だったが、縮小した運動会的なものは開かれた。1年生の次男にとって、入学式以来の大きな、つまり初めての学校行事だった。スケジュール的に十分な練習ができない中だったが、次男は休みの日にも家で練習していたので、私も楽しみにしていた。加えて、裏ミッションもあった。次男が恋をしている女の子がどの子なのかをチェックするというものだ。早熟な次男はその子にぞっこんで、いつもより早く目が覚めた朝には、
「今日ね、夜明けから(夜明けというちょっとポエジーな言葉を使ったことにもびっくりした)お日様が出るまで、○○ちゃんと結婚することをずっと考えてたんだ」
と、いうくらいにぞっこんなのです。
校庭でダンスのスタンバイをしている次男に手を振り、真っ先に私がしたのは、口パクとジェスチャー。「○○ちゃん、どこ?」と訊いたが、音楽が鳴り出して踊り出す次男。私の質問を理解して、次男は器用に踊りながらさりげなく指差す。その指先を辿ったところに、芯の強そうなかわいらしい女の子がキレッキレに踊っていて、なるほど、と納得した。かわいくて、頭がよくて、先生の質問にもいつも手を挙げて答えていて、ダンスもうまい、と次男が言っていたとおりの感じだ。なかなか見る目があるようでホッと安心。
そして6年生の長男たちは大トリでソーラン節を踊る。去年も5年生として、6年生と合同でソーラン節を踊った。たしか幼稚園の時もソーラン節を踊っていなかったか。もう何度目のソーラン節だ……と思いながらも、見ると感動する。まったくリズム感のない長男はよく一人だけ宇宙と交信しているような突飛な動きをしていたものだが、6年生ともなると周囲に溶け込んでいた。それがいいことなのかはわからないが、親としては成長を感じましたよ。
そして何が感動って、息子だけでなくみんながものすごく大きくなっていたことだった。休学あり、ソーシャルディスタンスで授業参観がなかったりで6年生たちを見る機会が減っていたから、本当に驚いた。たった数ヶ月なのに、びっくりするくらい背も伸びて大人びた雰囲気になっているのだ。はじめて会った時には……と振り返ったらもう涙。鬼母の目にもですよ。
ソーラン節の後は、6年生と6年生の保護者だけ校庭に留まって、あとの学年は教室でオンライン閉会式。壇上の前に並ぶ2クラスしかない6年生たちを取り囲むように先生たちがいて、その背後に保護者たちが見守る。いつもとは違って盛大に賑わうものではなかったかもしれない。それでも、これはこれでよかった。小学校最後の運動会を立派につとめた彼らがとても誇らしかった。
(絵が好きな父がいつかに描いた犬の絵。父がかわいがっていたお隣のシロ。たぶん仕入れ伝票の裏に描いてる)
さて。今月のエッセイです。
お題が『古典』ということで、久しぶりに読み返した谷崎。20代そこそこでは気づけなかった谷崎の魅力に気づけた再読の体験だった。
お時間のある時に、こちらもぜひご一読いただけると嬉しいです。