![うめさん_覚醒2up](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/4312838/rectangle_large_20ffb6b4f47305d9964e9dc1f802e171.jpg?width=1200)
TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 10
10
息切れや足の疲労、発熱が無いことに感謝しつつ、反対に、勇助はこのふざけた世界を呪った。
逃走し続けて、もう二時間になる。
背後からは未だ『フロントマン鈴木』なる顔だけの化け物が、じわじわと迫ってくる。
「お客さぁん、いい加減にしてくださいよぉ」
時折発せられるその低い声も、何度聞いたことだろう。
『ハのまち』特有のセクシーパブのヌード看板の女性の顔部分から、ちょうど重なるようにその顔面が出現した時には、妙なユーモアを感じて笑ってしまった。
……この追いかけっこに心が蝕まれ始めているようだ。
生死がかかっているというのに、勇助は現在のところ、それを表面上は容易に回避できている。
ついには単調な逃走劇に退屈さえ感じている気がして、自分で自分が怖くなる。
ここで立ち止まってしまっても大丈夫なのではないか……?
そんな危険な思考さえ生じてくるので、慌てて否定する。
『ホテルテイコク』で会った男性プレーヤーの顔を思い出し、モチベーションを高める。
めちゃくちゃムカついてくる。殴りたい。
とはいえレーダーに他のプレーヤーを示す白い点を見つけて、懲りずに助けを求めてみたが、未だ救いの手は差しのべられない。
なんなら、交渉してきたプレーヤーは例の男だけ。
他の者は建物に隠れ、その姿を現そうとすらしなかった。
何がどうして、こんな世界なんかに……。
勇助はこの理不尽に対する怒りを原動力に逃げ続けている。
だが、それも長くは保てない気がする。
この昭和的な歓楽街は想像以上に広い。同じ道をぐるぐる回っていたこともあったものの、未だに通ったことがない道も存在する。
永遠にこんなことを続けるわけにはいかないと思った。
だから勇助は、そんな未開の細い路地へと逃げ込んでみることにした。
しばらく走って、道なりに進んだ。
カラスが多くなってきた。
木造の平屋が隙間なく並んでいる路地は、裸の電球が所々に吊るされているだけで、かなり暗かった。
屋根の上で、あ゛ぁーとカラスの耳障りな鳴き声が重なる。
今さらながら、悪い予感しかしない。
早く大きな道に出てくれないかと思いつつ、その細い一本道を進む。
勇助の願いとは裏腹に、分岐すらしていない。
ひたすら、道なりに歩く。
残念ながら、勇助は『ハまち』のマップを持っていない。案の定、金額がべらぼうに高いのだ。
不安は募るばかりだが、引き返すこともできない。
進めば進むほど、カラスが増えてきた。
そして、あろうことか道は行き止まりになっていた。
「う…………」
正面に、明らかに不穏な様子の古い屋敷が建っていて、行く手を塞いでいる。
深紅の屋根瓦は所々が朽ちていて、黒ずんだ白壁には真っ赤な手形がべたべたと付着している。
中央には錆びた青銅の扉がある。
絶対に入りたくない。だが、引き返すことはできない。
ところが扉の前には……
死体が二体、転がっていた……。
もはや赤い塊になっているそれらには、カラスが何十羽も群がっていた。
ゲームとは思えない光景だった。
勇助は恐怖でおかしくなりそうだった。体が震えたり、腰を抜かしたりしない自分が、自分じゃないみたいだった。
まさかこの死体は……俺と同じプレーヤーなのか?
あのチュートリアルの日、キクコが言っていた。プレーヤーの死体はゲームの臨場感を高めるために、死亡時刻から二十四時間はそこに留まると。
ただの恐怖演出の一つであってほしいと願いつつ、それは違うだろうと直感的に否定する自分がいる。
この世界で楽観視しろという方が無理だ。
勇助が近づくと、カラスは一斉に羽ばたき、周囲の屋根にとまった。うるさく鳴き続けている。
死体は血まみれだが、顔はいくらか判別できる。二人とも男のようだ。髪が短く、ぼろぼろではあるが、男物の学生服を着ている。
腐敗した臭いが、ぷんと鼻を突く。
勇助は鼻を手で覆った。効き目は全然なかった。
この身体には、嗅覚があるのだ。普通ならこの光景と臭いで、たちまち嘔吐するだろう。
だが吐き気はまったく催さない。このゲームらしい、無茶苦茶な設定だ。
「それより、マジでどうする……!」
勇助は呟きながらも、屋敷に入らなければならないことを覚悟していた。
屋敷の中は通り抜けできるのだろうか。
もし、できなければ?
勇助は左右を挟んでいる似た造りの平屋を見上げた。
この壁をよじ登り、屋根を乗り越えることはできないか?
妙案だとは思うが、勇助はクライミングなどしたことがない。ささっとよじ登ることができればいいが、おそらく時間がかかる。
むしろ正面の屋敷は城のようでもあり、三階建てになっていて、三階の部分にベランダのようなものがある──廻り縁《まわりえん》というやつだ。そこから屋根を伝って降りられる場所を探した方が現実的だろう。
その時、鼓動が危険レベル三になった。
どくどくと速く脈打つ心臓。すでに『フロントマン鈴木』は、背後五百メートル圏内に迫っているらしい。
迷っている暇は無い。
勇助が屋敷の青銅扉へ向かうため、死体を跨ごうとした。
次の瞬間、なんと視界のレーダー上部──北側に赤い点が複数出現し、勇助を示す中心のカーソルに向かってきたのだ。
北側は勇助の正面、つまり、屋敷の方向だ。
どきりとして距離を取ったが、敵は現れず、死体が動くわけでもなかった。
その赤い点の群れは、ある部分を境に群がって、ゆら、ゆら、と動いていたが、一向にこちらへ近づけていないように見えた。
勇助はピンときた。その境というのは、屋敷の扉なのだろう。このレーダーには建物は表示されないのだ。
ということは……。
敵の群れは、屋敷の扉の向こうで、勇助を今か今かと待ち構えているというのか……!
ぞっとすると同時に、背後から声が聞こえた。
敵が迫って来ていた。
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![尾崎ゆうじ@創作コーチ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/34777621/profile_62ed3cd4542d696d722cae7ae7c23172.png?width=600&crop=1:1,smart)