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TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 13
13
視界に映る『ハのまち』のマップを見ながら勇助が訪れた場所は、二度と拝みたくないと思っていたあのボロ宿だった。
今朝見たとおり、滅入りそうになるくらい外壁が黒ずんでいて、腐った木製扉の横に立てかけてある看板には、かすれた文字で『はいがん荘』とある。
ちなみにこのゲームの世界のマップは、自分が開拓した場所であればきちんとデータが残る。皮肉なことに『フロントマン鈴木』との命がけの鬼ごっこのおかげで、だいぶ行動範囲が広がり、楽になった。
そんなアクシデントが無ければ、いつ何が起こるかわからない恐怖に怯え、ろくに町を歩けなかったかもしれない。
『ハのまち』の全体マップを購入しようとした場合の金額は、なんと五百万円だった。道がわかる、ということそのものが、いかに貴重なことかを痛感する。
『フロントマン鈴木』がまた現れるのではないかとびくびくしながら、視界のレーダーをチェックする。
レーダー円上に表示されているのは、白い点が一つだけ。
目の前にいる女の子を表しているのだ。
「ほんとに勇助先輩だ。ウケるっすね」
その後輩──一条河音《いちじょうかわね》は笑わずに言った。
照れている時に頬をかく癖は相変わらず、昔のままのようだ。
「いや、ウケねぇよ……でも、マジで久しぶりだな、一条」
「うっす。もう、会うことは無いかもしれないと思ってましたが」
「腐れ縁ってやつなのかな」
「そう言わずに。腐っても縁っすよ」
一条は冗談めかして言い、二人して笑い声を上げた。だが一条の顔は笑っていなかった。
勇助は一条を観察した。
最後に会ったのは、勇助が中学三年生、一条が中学一年生の時。春休みだった。
一条の外見は、あの頃とだいぶ変わっていた。
仮に現実世界であったとしても、すぐに彼女だと認識するのは難しかっただろう。
明るく赤茶けた髪は頭頂部で結い、可愛らしくまとめられている。耳には小さなリングピアスが二つ。尋ねると、現実世界で愛用していたピアスらしい。このゲームは着用しているアクセサリー類すら連れてきてしまうのか。
低かった身長は少し伸びたらしく、百七〇センチある勇助のあご先に届くくらいだろう。
体つきがかなり女らしくなっていて、白いセーラー服が窮屈そうに見える。
「いやぁ、それにしても……いきなり朝からホテル銃撃して、『俺は綱渡勇助です!』って。マジでどんだけって感じっすよ。びびりましたからね」
一条が勇助のことを知ったのは、実はあの『テイコクホテル』で男性プレーヤーと交渉した時だった。一条は交渉の内容を聞いて、勇助を助けるために動いてくれたのだが、あいにく、その男性プレーヤーと一時的にチームを組んでいたがために、色々と事情があり、すぐに行動を取ることができなかったという。
「あの時は、ああするしか無かったんだよ」
「違いないっすね」
勇助がふてくされて言うと、一条は笑い声を上げた。いたずらっぽい猫目と尖った八重歯は相変わらずだが、気になることがあった。
「なあ、お前、さっきから顔が全然笑ってないぞ」
「え?」
「え、じゃなくて。自覚ないのか? ずっと真顔で喋ってるから、結構、気持ち悪いぞ」
一条は首を傾げた。
「ああ……勇助先輩は気がついてなかったんすね」
「気がついてないって、何が?」
尋ねると、一条は目線をちょこっと上に動かして、小さな鏡を出現させた。
「先輩、笑ってみてください」
勇助に鏡の面を向ける。
「いや、いきなり笑えって言われても」
「笑顔を作るだけでいいっすから」
鏡に映る自分の顔を見ながら、勇助は渋々、作り笑いをした。
「……あれ?」
口角を上げているつもりが、鏡の向こうの自分の表情はほとんど変わらない。心なしか口が開いている程度だ。
一条が、自分の頬を引っ張りながら言った。
「この世界では表情での感情表現ができないんすよ」
「はあ?」
「本当に自分がゲームキャラになった感じです。ほら、CGの3D系ゲームって、そういう感じっすよね」
「……」
勇助は試しに色々と表情を変えてみた──つもりだ。
眉間や額が全然動かない。頬の動きも制限が極端だ。
できることと言えば、上下に口を開閉することと、目を閉じることくらいだ。
勇助は表情を動かしているつもりだし、その感覚があるのに、鏡の自分はそれを表現しきれていない。
「結構、厄介なんすよ。他人との意思疎通がしづらいんで、やりづらいっす」
ゲームキャラと化した一条は、口をパクパクさせながら、肩をすくめるアクションをしてみせた。
確かに相手の意図が上手く読めないのは、コミュニケーションに摩擦を与えるだろう。
「相変わらず、嫌なゲームだな……」
「あんま驚かないんっすね」
「それは皮肉か?」
「あはは、ナイス指摘」
驚いていたとしても、呆れていたとしても、笑っていたとしても、お互いにほとんど無表情のままなのだ。
「まあ、嘆いても仕方ない。それよりも」
勇助は一条に尋ねたいことだらけで、何から話せばいいのか非常に困った。
「とりあえず『フロントマン鈴木』を止めてくれたのはお前なんだろ? 礼を言うよ。マジで助かった。ありがとう」
勇助は、すぐそこのボロ宿に目を向けて言った。その壁から、あの顔面が出現した時を思い出し、ぞっとした。
「で、どうやって止めたんだ?」
「あ、ちょっと待ってください」
勇助が尋ねると同時に、一条が何やら身構え、周囲をきょろきょろと見回した。
この黄昏の空間には、そのボロ宿と、壁板の剥げた木造家屋や、趣味の悪い大きな鬼の絵がガラス窓に飾ってある店などが並んでいる。
ふいに、とくん、と鼓動が鳴り出した。
敵が近づいている!
「まさか、『鈴木』じゃないだろうな」
「それは絶対違うっす。出現条件を満たしてないんで」
「出現条件?」
「あとで説明します。まずはここを」
「わかった」
勇助はメニュー画面を操作して、ショットガンを出現させた。
「おっと、飛び道具、いいっすね!」
一条も武器を手に持っていた。ピザカッターを巨大化させたような回転式の刃物だった。
竹刀程度の太さの柄を両手で握り、ぎゅんぎゅんと刃を回転させる。
「芝刈り機みたいでしょ?」
一条が構えつつ言った。
「もっと物騒な感じだけどな」
「一応、円形《サークル》チェーンソーって名前らしいっす」
音が少しうるさくて、二人とも声を張り上げた。
「来ましたよ! ま、雑魚の部類っすね!」
『はいがん荘』の隣、壁板が剥がれて変色している木造家屋の隙間から、毒々しい模様の黄色いカメムシが数匹出てきた。
鼓動が高鳴る。
どこかで見たカメムシだと思った。
「あの虫が、敵なのか?」
そのカメムシは、この世界に来たばかりの時に、キリコのチュートリアルを受けた『はじまりの広場』で目撃したカメムシと同種だった。
「そうっす! 正確には、虫と──」
一条の言葉が、チェーンソーの音でかき消される。
勇助の鼓動がさらに速くなり、危険レベルが上がっていく。
すると、その木造家屋の玄関の引き戸が、がたり、と三十センチ程開いた。
中から痩せ細った老婆がこちらを覗いていた。
目がぎらぎらと血走っていて、勇助はぞっとした。
老婆は白い手に柄杓を持っていて、打ち水をするように、外へ赤い液体を撒いた。
ふぇ、ふぇ、ふぇと気味の悪い笑い声を発している。
家屋手前、地面に広がった赤い染みに、カメムシが群がった。液を舐めているようだ。
全部で五匹。
老婆は戸を閉めるも、やはりわずかに開けて、目だけでカメムシとこちらの様子を覗き見ていた。
「あのババァはNPCっす。倒すべきは虫!」
一条が言う。
するとカメムシの体が一斉に巨大化した。形はカメムシのまま、体長が成人男性並みになった。
後ろ脚二本で立ち上がり、残り四本の脚がこちらに向けられている。黒い鉄筋のように光沢があり、先端は鍵爪状。あれで引っかかれたら致命傷になりそうだ。
頭部の両脇についている目は、虫のくせに人間の眼球と似ていて、ぎょろぎょろと黒目が動いている。
「こいつら、臭いだけで大して強くはないっす。頭を狙って、ぶっ放しちゃってください」
「ああ、わかった」
のこのこ近寄ってきた一匹の頭部目がけて、勇助は銃弾を撃ち放った。
一発目はわずかに逸れてカメムシの眼球だけが吹き飛んだ。もう一発で、ど真ん中を貫き、赤いしぶきが弾けた。敵はひっくり返り、六本の脚をしばらくわきわきと動かした後、沈黙した。
「本当だ、簡単に倒せる!」
「たまに飛んで襲ってきますから、それだけ注意してください。あとは落ち着いて一匹ずつ殺《や》っていくだけっす!」
一条はカメムシの背後に素早く回り込み、その回転刃を横向きに振り抜いた。
一匹の頭部が、しぶきと共にはね上がる。
一条は流れるようにもう一匹に近づき、相手の前脚による攻撃をかわすと、上段から真っ二つに切り裂いた。ぞっとするほど赤いしぶきが散り乱れる。
確かに一条の言う通り、敵は動きがそれほど速くないし、攻撃も前脚を振るだけで、パターンも少ないようだ。
しかもホラー系が苦手な勇助にとって、虫の相手はまだマシだった。
「『鈴木』に比べたら余裕があるな」
戦いながら喋ることさえできた。仲間がいるのも心強い。
「そうっすね。しかもあいつとはもう遭遇することは無いですし、安心してください」
「何で、言い切れるんだ?」
勇助は、ぶうんと飛ぶカメムシの突進を回避しながら尋ねた。敵は飛行移動も直線的。長時間飛び回ることもないようだ。動きが止まったところを、落ち着いて仕留めればよい。
「『フロントマン鈴木』の出現条件は、『はいがん荘』のチェックアウト時刻に遅れることなんすよ。時間ぎりぎりになると、宿自体がプレーヤーのチェックアウトの邪魔をしてきて、最終的に、あいつが出現します」
「そういうことか。ほんの少し遅くなっただけだと思ったのに……!」
「ああなると、もう一日分の宿代をフロントで支払うまでは追いかけられるので、一人で何とかしようとしても、たぶん難しいっす」
「え、つまりお前、もう一日分、立て替えてくれたってことか?」
「そうっす。この貸しは高くつくっすよ」
「……だよな!」
勇助は羽を閉じたカメムシの頭部めがけて銃撃した。
一発で仕留めることができた。
一条も、さらに一匹倒していた。
これで五匹全てが沈黙した。
老婆は「キィィ!」と悔しそうな声を上げて、戸を閉めてしまった。
「腹立ちますけど、倒せない敵なんすよ」
一条はチェーンソーでその戸を切りつけたが、黄色い火花が細かく飛び散るだけで、家はびくともしなかった。
「この程度の敵もいるんだな。安心した」
「ドラクエみたいに多少のお金も稼げるんすよ、虫だけども。メニュー開いてみてください」
「そうなのか」
勇助は言われるがままにメニューを確認してみる。本当だ、二百円増えている。一体倒して百円という設定か。
「なあ。改めて、助けてくれてありがとな。それに、チームを抜けてまで、こうして一緒に……」
視界のメニュー画面を閉じ、勇助は一条に向き直って言った。
一条は、勇助を『フロントマン鈴木』から救うために、組んでいたチームを抜けるというリスクを負ってくれたのだ。
「いいんすよ、そんなこと。それより、また襲われても嫌なので、積もる話は中で」
一条は手で勇助の言葉を遮り、『はいがん荘』を指差して言った。
「ここに入るのは、あんまり気乗りはしないが……」
部屋の様子を思い出す。
一畳程の狭い空間に、板に布張りの粗末なベッド。窓も無く、赤い染みだらけの壁、天井の蜘蛛の巣、壁を叩くうるさい音、複数の手……不気味なフロントマンの顔。
「もっと早くチェックアウトすれば襲われないんですから、大丈夫っすよ。宿代だって払っちゃったんだし、どうせなら安全な所で話そうじゃないっすか」
一条が言う。
この世界で、色々と文句を言っても寿命を縮めるだけのように思えてきた。
「まあ、そういうことなら。宿代……二部屋分か、いくらだっけ?」
勇助が言うと、一条はあっけらかんと答えた。
「いえ、一部屋しか取ってないっすよ」
「え?」
「二部屋もいらないっすよ」
「はあ!? あの狭い部屋で二人!?」
しかも男女二人。
さすがに思うところはあるし、なんだか気を遣う。
「いいじゃないすか。その方が安全ですし、何より無駄な出費を抑えられます」
勇助は少し粘ってみたが、一条は首を縦に振らず、強情に「一部屋で充分っす」と主張し続けた。
諦めてボロ宿に足を踏み入れようとした時だった。
二人の背後で、頭を失い絶命したはずのカメムシが静かに起き上がった。
なぜか鼓動は鳴らず、レーダーにも反応しない。
二人はまだ、気づいていない──。
(次回、排除しきれなかったカメムシの逆襲。少年少女は狭い部屋に追い詰められ──14へつづく)
表紙画 : 梅澤まゆみ
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