TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 12
12
「来るなあ!」
勇助はショットガンで敵を撃った。もちろん、銃弾はあっさりと弾かれてしまう。
退魔手榴弾さえ無効化されるなんて……!
敵が一時的にバラバラになった時、油断せずこの場を離れていればこんなことには……!
悔やんでも悔やみきれない。
もう、ダメだ……。
銃弾のリロードが完了し、銃がガシャンと音を立てても、勇助は次の弾を放つ気になれなかった。
アイテムボックスに気を取られたせいで扉から離れてしまい、屋敷の中に逃げるという選択肢も無くなった。
「お客さん、落とし前つけてくださいよぉ」
『フロントマン鈴木』の顔面がゆっくりと迫ってくる。
勇助は建物の角に追い詰められた。怯えることしかできなかった。
近づいて来る顔をはっきり見ることができた。電球の光で照らされ、影もくっきりしている。おぞましいほど不気味な笑み。だが笑っていない両目。
先ほど会った憎たらしい男性プレーヤーは、『その敵に捕まったら即死になる』と言っていた。
俺は、これからどうなるんだ?
こいつに捕まったら、何が起こるんだ!?
顔面は、すでに三メートル圏内に入っていた。
怖い!
「う、うわあああ!」
勇助は最後の悪あがきで、持っていたショットガンを逆さに握り、上段から一気に振り下ろした。
グリップが『フロントマン鈴木』の脳天に炸裂した。
キィン! という固い音と、黄色い光が散った。勇助は、銃ごと背後に弾き飛ばされ、背中を壁に打ちつけた。
「あ、が……」
ダメージ判定があったらしく、勇助の背中に痛みが走った。HPゲージが少し減少する。
案の定、敵には全く効いていない様子だ。
笑みを浮かべた顔面が肉迫する。
勇助は思わず、地面に尻をついた。
「落とし前、いただきますよぉ」
低い声。
敵の口が大きく開かれた。
口内には、歯や舌の他にイソギンチャクのごとく無数の手が生えていた。
勇助は自分がどうなるのかをすぐに悟った。
「やめろ……やめろぉ!」
一口で腰まで丸呑みされそうな口が、すぐ頭上に。冷たい唾液がどばっと頭にかかり、勇助は叫ぶ。
口内の腕の一本が伸びてきて、座り込んでいる勇助の二の腕を掴む。
死の間際、わずか十七年の思い出が、一瞬で蘇る。
後悔ばかりだ。
最後に不思議と脳裏に浮かんだのは、片想いの相手──赤池戀《あかいけこい》の笑った顔だった。
たったの一度だけ見たことがある、その笑顔。
思えば、彼女のことが気になり出したのはその時からだった。
もう一度、見たかった。
「嫌だ……!」
こんな死に方は嫌だ。でも……。
勇助の顔が、無数の手に捕まれる。鼻の付け根に指が掛かり、こめかみを握られ、首や肩も──。
もうすぐ自分の体は、こいつの歯で噛み砕かれてしまうだろう。
勇助は強く目を閉じた。
…………。
…………が、その瞬間はなかなか訪れなかった。
勇助は恐るおそる目を開けてみた。
暗い。
右目は敵の手で覆われていた。左目を懸命に動かす。
口の中。おそらく上半身全体は、その口に包まれている。
敵は動きを止めてしまったようだった。あとは口を閉じるだけだというのに。
手が一本、二本と勇助の体から離れ始めた。
「え? え?」
次々と手から解放されていく。
ついには『フロントマン鈴木』は勇助に噛みつくことなく、一メートルほど距離を取り、元の営業スマイルに戻っていた。
勇助にとっては喜ばしいことだが、状況が掴めず呆然としていた。
「毎度ありがとうございますぅ」
『フロントマン鈴木』はそう言って軽くお辞儀をしたかと思うと、そのまますーっと後退した。
近くの平屋の壁をすり抜け、あっという間にいなくなった。
「……な、何が起きたんだ?」
なぜいきなり『毎度ありがとう』になったのか、理由が全く分からないが、命拾いしたのは確からしい。
鼓動も止まっている。
レーダー上ではすぐそこで赤い点が群がっているのだが、屋敷のなかにいる敵については現時点では危険と判断されないらしい。
ひとまず、危機は去った。
勇助は心の底から安堵しつつ、今回の失態を教訓に、さっさとこの場を離れようと思った。
すると、レーダーの上端に不審なものを発見した。
虎柄の点だった。黒と黄色の縞模様。
「え、マジで……?」
レーダーに表示される点は色によって、プレーヤーの周囲に何があるか、あるいは誰がいるのかを示している。赤は敵、白は他のプレーヤー、というように。
虎柄は最重要なものを示している。
このゲームをクリアするために必要な、八匹の蜘蛛の居場所だ。
すぐそこに八匹の内の一匹がいる。おそらくは、この屋敷の中に。
勇助は、ゲームのチュートリアル担当であるキリコの言葉を思い出した。
キリコが言うには、このゲーム『TSUCHIGUMO』の世界から脱出するためには、世界中に散らばっている八匹の蜘蛛をすべて捕まえなければならないらしい。
それだけでも大変なことに感じるが、さらに酷いことに、『一回で脱出できるのはたった一人のプレーヤーのみ』というルールが存在するそうだ。
そのプレーヤーは脱出する権利と一緒に、この世界から何か一つ、好きなものを持ち出せるという。
八匹の蜘蛛は役割を終えるとまた方々へ散らばり、三ヶ月間は普通の蜘蛛に姿を変え、一切の位置特定ができなくなる。
勇助は苦々しく毒づいた。
「設定の着想は、絶対に『ドラゴンボール』だな……」
現実世界に帰りたければ、誰よりも早く蜘蛛を捕まえることが重要だ。
そのチャンスが、すぐそこにある。
勇助は悩み、そして……。
屋敷に背を向け、来た道を戻ることにした。
今、あの屋敷に突入する気にはなれなかった。扉の前に転がっていた死体も、蜘蛛を求めて返り討ちにあった可能性があるのだ。
現在の精神状態で、まして一人で、あの中に突入するなんて俺にはできない。
古い平屋で囲まれた路地をようやく抜け、元の大きな道に出た。
時刻は午後十二時を過ぎているが、景色は黄昏のままだ。
薄暗いまち。
昼時だからだろう。そば屋が一つ、暖簾を掲げていた。店先には、先ほど通りがかった際には居なかった怪しいからくり人形が、箸でそばをすすっている。もちろん本当に食べているわけではない。
近づきたくないな……。
トラブルを避けるため、反対側の方向へ歩き出す。
その時だった。
道端にある黒電話(この世界の公衆電話だ)が鳴り出した。
勇助は、この電話が鳴るのを今まで聞いたことがなかった。
リンリンとコール音を発し続ける黒電話。木製の台の上に載っていて、まるで漫画のように受話器が音に合わせ小さく飛び跳ねている。
公衆電話は、この世界でプレーヤー同士が連絡を取り合うための唯一の手段らしい。詳細については、キリコから聞いていない。
コール音は鳴り止まない。
いい加減うるさくなってきたなと思っていると、ふと、ある考えが浮かんだ。
「まさか、俺あての電話……ってことは、ないよな?」
そんなはずがなかろうと思いつつも、ついつい電話に近寄ってしまう。
ダイヤル式の黒いボディを見下ろす。
俺あての電話だと仮定して……いったい誰が? 罠じゃない保証があるか?
だがそんな疑心暗鬼とは裏腹に、なぜか勇助は受話器を手に取っていた。
取る必要がある気がしたのだ。
最悪の場合、様子が変だったらすぐに受話器を置いて逃げようとも思っていた。
「もし……もし?」
勇助は受話器を耳に当てた。
電話の相手はすぐに喋り出した。
『合言葉です。中学三年生の夏に『ワーグナーマイカル東店』で映画『未読アリ』を鑑賞した時、あなたの背中に氷を入れた後輩の名前を答えてください。もしも人違いなら、電話を切ってください』
勇助はどきりとした。
中学生の頃の記憶が蘇る。
「一条……一条河音《いちじょうかわね》」
答えが勇助の口を突いて出た。
応答があるまで待つ。三秒くらい間があった。
『……久しぶりっすね。チキン先輩』
それは、懐かしい呼び名だった。
(次回、勇助は思わぬ人物と再会するのだが……13につづく)
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