TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 09
09
勇助は視界の左上部のダッシュゲージを気にかけながら、走っては歩きを繰り返して、『フロントマン鈴木』という名の顔面から逃げ続けていた。
黄昏《たそがれ》た昭和っぽい歓楽街の中を突き進む。
途中で幽霊らしき敵に遭遇したが、無視して走った。
このゲーム内には、しつこく追跡してこない敵もいるらしい。
その点『フロントマン鈴木』のしつこさは異常と言える。
「お客さん、勘弁してくださいよぉ」
敵の声が聞こえてくる。
また、勇助の鼓動が大きくなった。
ダッシュゲージが減って勇助が歩き始めると、どんどんその距離が縮まる。
敵はあらゆる障害物をすり抜け突進して来るのだが、どうやらその移動速度は、勇助の歩くスピードより速く、走るスピードよりは遅いらしい。
ダッシュゲージの回復を待ち、勇助が再び走り出すと、その顔面はみるみる内に遠ざかる。
かれこれ三十分近く、こんな逃走劇を続けていた。
終わりそうにない。
とはいえ、敵に攻撃が効かない以上、どうすれば良いのか……。
鼓動が危険レベル1に収まったところで、走るのをやめた。
レーダーに映らない『フロントマン鈴木』との距離は、鼓動でしか計れない。
歩きながら、ふと、その役に立っていないレーダーを確認した。
やはり敵の存在を示す赤い点は見当たらなかった。
ところが。
「い、いる! いるじゃないか!」
なんと、レーダーに白い点が三つ出現していた。
この近くに、他のプレーヤーが三人もいるということだ。
待望の、自分以外のプレーヤーとの出会いが、そこにある……!
勇助はその方向に向かい、走った。ダッシュゲージは回復途中だったが、そのプレーヤーたちとの対話の時間を優先した。それに、どうせ話している間にゲージは回復するのだ。
まだ見ぬプレーヤーと会って、何を話そうか。
今、最も知りたいのは、敵に関する情報──特に、撃退法。それを知っている人がいれば、最高だ。
白い点がある場所に到着した。
周囲を見回してみるが、誰の姿も無かった。
一瞬、何かの間違いかと思ったが、すぐそばに年季の入ったホテルを見つけ、合点がいった。
三人のプレーヤーたちは、ここに宿泊しているらしい。
『クコイテルテホ』という横書き右読みの看板が、ガラス戸の入り口の上部に掲げられている。
灰色の外壁はぼろぼろと欠けていて、エントランスにある大きなプランターの草花は、どれも茶色く枯れ、放置されている。
なかなか酷い有り様だが、勇助が宿泊した宿よりも上等だということは、間違いなかった。
さて、どうする?
勇助は、はやる気持ちを押さえつつ、エントランスの前で考えた。
こうして立ち止まっている間にも、鼓動は鳴っている。『フロントマン鈴木』がここに辿り着くまで、時間はそれほど残っていない。
ホテルの中に入るのはリスクが高そうだ。
敵は壁をすり抜けてくるので、勇助の逃げ場が無くなる恐れがある。
かなり気乗りしないが、自分にできることは一つしか残っていないと思った。
その思いついた方法は、みっともないといえばみっともないし、嫌な思いをする可能性もある。
どうする……どうする……?
勇助は悩んだ。逆に、もしその方法を取らなかったとしたらどうなるか、想像してみる。
……この機会を不意にしたら、自分はこの逃走劇を永遠に続けることになるかもしれない。
……誰かに会えるチャンスは、そうそう巡って来ないかもしれない。
……そしてそのまま丸二日間、寝ずに走り回り、睡魔カウントのルールに抵触するかもしれない。
……もしかしたら、死ぬかもしれない!
勇助はショットガンを握り締め、黄昏の空を見上げた。
「こんなことで、死にたくねえぞ」
銃を構える。
銃口を向けた先は、『ホテルテイコク』の窓だ。
二発撃ち込む。
轟音が響く。
適当に撃ったわけではない。特定の窓を狙ったのだ。
十階くらいあるホテルの建物。数十の部屋があり、その窓はどれもカーテンが閉まっている。
だがその内一つだけ、閉じたカーテンにわずかな隙間のある部屋があったのだ。見る限りでは六階に位置する部屋だ。
弾は窓に命中した。
しかしガラスが割れることはなかった。黄色の閃光が弾けたので、おそらく壊せない建物なのだ。
少し待つが、反応がない。
しんと静かな黄昏のまち。耳に入る音は、勇助の鼓動と、空の薬莢《やっきょう》が地面に落ちる軽い音だけ。
銃弾の自動装填が完了し、真ん中から二つに折れたショットガンが、自然にガシャリと元の状態に戻る。
勇助は、改めて同じ窓に弾を放ち、叫んだ。
「誰かいるんですよね? 俺は、綱渡《つなわたり》勇助《ゆうすけ》という者です!」
窓から顔を出す者はいなかったが、構わずに続けてみる。
「今、『はいがん荘』というぼろ宿の化け物に追われています! 名前は『フロントマン鈴木』です!」
鼓動が危険レベル2を示し始め、勇助は焦る。
「壁をすり抜ける顔の化け物で、銃が効きません! あと、レーダーに位置が表示されなくなりました! ずっと追われ続けています!」
そこまで言うと、なんとカーテンが開き、男が顔を見せた。
勇助は思わず笑った。声が届いたのだ。
その男は白いシャツを着ていた。とても若く見える。
「あんた、ビギナーか?」
男は無表情に尋ねた。
「そうです」
勇助は正直に答えた。
すると、男はこう言った。
「そいつの倒し方なら、二十万で教えてやるよ」
「ええっ!?」
「破格の値段だぞ?」
勇助は面食らった。
確かに、まともにメニュー画面経由で情報購入すれば、最低でも三十万円は必要だから、安いと言えば安いが……。
「そこを、なんとかしてもらえませんか?」
現在の勇助の所持金は、五万円だ。払えない。
男は溜息をついて、首を振った。
「残念だが、交渉決裂だな」
勇助は言葉も無かった。
「おい、来たぞ。死にたくなければ、さっさと失せた方がいいぜ!」
鼓動がさらに速くなった。
男が顔を向けた先にある建物の壁から、見飽きた顔面がぬっと現れた。
「…………」
勇助は何か良い交渉カードが無いか考えてみたが浮かばず、ほぼ放心に近い状態で逃げ出した。
「サービスで一つ教えとくぜ! そいつに一回でも捕まったら、即死らしいぞ!」
勇助の逃げる背に、そんなアドバイスが届いた。
怒りと悔しさがこみ上げた。