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『ニア / 甲斐田晴 (cover) 【歌ってみた】』感想

にじさんじに所属するライバーで桜魔皇国の研究者、『甲斐田晴』さんの歌ってみた動画、『ニア / 甲斐田晴 (cover) 【歌ってみた】』の感想記事です。


歌ってみた動画の内容のネタバレを多分に含みますので、記事を読んでいただく前には必ず動画の視聴をお願いします。
(下記、歌ってみた動画へのリンク)



さっくり感想


甲斐田の歌声によく合う選曲だと思いました。
特に、サビでの高音が聴いていてとても心地よかったです。

この記事を書いている途中に何度もリピートしていましたが、耳が全然疲れませんでした。

つまり、何回でも聴けるし何甲斐田って聴く。

原曲やMVのストーリーや構成をリスペクトして踏襲しつつ、カバー作品としてそれを制作した甲斐田晴のオリジナリティが随所に感じられるような、素晴らしい作品だと思いました。



①今回の歌ってみた動画に関わったクリエイターの方々


今回の歌ってみた動画では、甘鶏さんがイラストをご担当されています。
甘鶏さんの描くイラストの色づかいや柔らかさ、甘鶏さんが描く甲斐田晴が本当に大好きで、にじそうさく04で頒布されたイラスト本は表紙からもうほんとにきれいで美しくて宝物です。今でもよく眺めています。
今回、甲斐田晴の歌ってみた動画の制作に携わってくださったことで、甘鶏さんが描く新たな甲斐田晴の姿を見ることができて、個人的にとても嬉しかったです。
(以下、ツイッターからの引用)


曲名『ニア』の手書き題字を担当したのは、同じにじさんじ所属ライバーの実験大好き系女子高生、葉加瀬冬雪さんです。

歌ってみた動画公開前に下記のツイートをしていたので、一体何に関わっているんだろうと思っていたら、まさかの題字担当でびっくりしました。
万年筆で書いたようなインク溜まりがある手書き(もしくは手書き風の)題字で、原曲MVでフキダシと共にその中に書かれている手書きの文字の雰囲気に似ていると思いました。
あえて似せているとしたら、そこには原曲へのリスペクトを感じます。
(下記、ツイートの引用)


そして、はかちぇと同じくSpecial Thanksとしてクレジットされているのが、甲斐田晴の同期のライバー、VΔLZ弦月藤士郎長尾景です。

同期の二人がこの歌ってみた動画にどう関わっているかは、後述する雑談配信にて話してくれています。


今回は甲斐田晴自身でMIX及び動画の編集も行ったそうです。
日々配信をこなしながら並行して作品制作を行ってクオリティの高い作品を発表できるのは、ライバーとクリエイター両方のタスクを日々着実に処理する甲斐田晴自身の能力の高さが伺えると思いました。


甘鶏さんのイラストについて、はかちぇに手書き題字を依頼した経緯、弦月・長尾の両名がこの動画にどう関わっているのか、MIXや動画編集についてなど、雑談配信の中で振り返って細かく話してくれています。
ぜひ視聴してみてください。
(下記、該当配信へのリンク 冒頭~20分間程度)



②原曲の紹介


『ニア』はコンポーザーの夏代孝明さんが作詞曲したオリジナル楽曲です。
2017年6月~7月にかけてニコニコ動画にボーカロイド版、YouTubeにセルフカバー版が投稿されています。
(以下、ボカロ版へのリンク)

(以下、セルフカバー版へのリンク)

私は、今回の歌ってみた動画で初めてこの曲の事を知りました。
曲の中で歌われている「ニア」という存在が人間ではないことや、詞で語られているストーリーを考えながら聴くと、ボカロでの歌唱、人の肉声での歌唱、どちらもそれぞれの良さがあると思いました。


また、夏代孝明さんご本人が、今回の甲斐田晴の歌ってみた動画について、Twitterでメンションを甲斐田に飛ばしてくれていたり、呟いてくれたり、YouTubeのコメント欄でも反応してくれていました。
(以下、ツイートへのリンク)

歌ってみた動画を制作して世に出すために許可を出してくれるだけもありがたいことには違いないのに、それだけに留まらず公開された作品を見てくれたり、二次創作的な活動にも寛容な姿勢を示してくれていることは、甲斐田晴にとってとても嬉しいことだっただろうと想像できます。



③原曲へのリスペクトとオリジナリティ


この歌ってみた動画を視聴して、原曲へのリスペクトが感じられた箇所と、甲斐田晴のオリジナリティが感じられた箇所について書いていきたいと思います。

私は音楽や映像の制作については全くの素人なので、見当違いのことを言ってしまっていたら申し訳ありません。


③-A リスペクト


動画のストーリー及び構成


まずは原曲MVについて、自分の言葉でそのストーリーと動画の構成をまとめます。


原曲MVには、歌詞の中の語りの役割を務め、デスクに置かれたPCの画面やホログラムで映し出されるグラフから研究職だと推測される壮年の「男性」と、白髪で長髪の幼い女の子の見た目をしている「ニア」の二人が登場します。

二人は椅子に座りながら会話を交わし、交流を図っている様子が描かれます。

最初は「ココロないキミ」と呼ばれ、男性の問いかけにも無表情だったニアでしたが、曲が進んでいくにつれて、男性と会話を交わしていくにつれて、その表情には感情が宿って楽しそうに話すようになっていきます。

歌詞で語られる「明日のない暗いこの宇宙」や、「ボロボロでもう見る影もない(けれどキミが居るこの)地球」という言葉から、確実に終末へ向かいゆく世界が描写されていることや、男性とニアは今まさにその渦中にいて一緒に時間を過ごしているということがわかります。

曲の最後には、ベットに臥した男性とその手を握って不安そうに男性を見つめるニアの姿が描かれます。

男性から「ネムラナイキミ」と呼ばれるニアに対して、男性の手からは力が抜け、まさに眠るように崩れ落ちてしまいます。

自分の手から男性の手がこぼれ落ちてしまったことで、感情を堪えきれずに涙を一杯にあふれさせて泣くニアの表情が映し出され、MVは終わります。


今回の歌ってみた動画では、原曲のMVのストーリー及びその構成をしっかりと踏襲していると思いました。

原曲MVの中に登場する男性と甲斐田晴は同じ研究者という点で共通項があります。
「ニア」をカバーして二次創作的に新たなストーリーを構築する上でも作りやすかったところがあるのかなと思いました。

①椅子に座りながら会話を交わし「ニア」と交流を図っている様子やその構図

②甲斐田がベッドに臥せ「ニア」に手を握られている様子やその構図

③間奏での、「ニア」の稼働時間やマスターである甲斐田晴との会話の履歴がデータとして蓄積されていく描写

これらについては原曲の要素をしっかり踏襲しオマージュしていて、原曲へのリスペクトを感じました。


③-B オリジナリティ


桜魔皇国の要素

「ニア」をはじめ、原曲MVの映像において様々な要素が桜魔皇国の様式に置き換えられて表現されていると思いました。

◎舞台

原曲MV:終末へ向かう世界(私の解釈)
室内ではあるが壁には大きく穴が空いており、そこから天に向かってそびえ立つ大きなモニュメントが覗いている

甲斐田歌みた:甲斐田が暮らす桜魔皇国(多分平和で壁に大穴は空いているということはない)
ベッドがあることから甲斐田の私室か研究室の中

◎植物

原曲MV:壁に大きく空いた穴のそばに置かれた観葉植物

甲斐田歌みた:ベット横の窓近くにサボテン
と甲斐田のデスクに置かれたの幼木

◎写真

原曲MV:「ニア」によく似た女性と子供の頃の「男性」が一緒に笑っている写真が壁に飾られている

甲斐田歌みた:「ニア」によく似た笑顔の女性の写真がデスクに置かれ、VΔLZの3人が写った写真が壁に飾られている

◎「ニア」

原曲MV:白髪で長髪の幼い女の子の姿で、白を基調としたワンピースを着用している

甲斐田歌みた:臙脂色で短髪の甲斐田と同じくらいかそれよりも若い女性で、大正ロマンと呼ばれるような和服(袴?)、髪には大きな紫のリボン、耳に鈴蘭(?)のピアスを着用している

※首と頬を繋ぐパイプのようなもののデザインは共通


原曲の様々な要素が巧みにアレンジされていて、甲斐田晴が生きる桜魔皇国のif世界線としても、原曲『ニア』を再解釈した二次創作としても楽しめるような作りになっていると思いました。


サビのコーラス

私の耳がおかしい可能性があるということを踏まえて読んでほしいのですが、原曲ではサビは主旋律だけだったのに対して、甲斐田の歌ってみたでは上ハモのコーラスが入っていると思いました。

そこまでがっつりハーモニーを効かせる感じではなく、さりげなく上ハモが聴こえるような作りになっているように感じて、耳馴染みがとても良かったです。
原曲と比較しても大きく改変したというようには聴こえず、特に違和感はありませんでした。

なお、コーラスを入れるか入れないか、その是非を語ったり優劣をつけるつもりは全くないので、読んでいただいている方にそこのところの誤解はしないでいただきたいと思います。


ラスサビの歌い方

最後の「あたたかったからさ」の所は特に、感情がこもった歌い方になっていると思いました。

息が多めに入った歌い方で、甲斐田が最期に声を振り絞って「ニア」に語りかけているような雰囲気も感じられたと思います。

ここは映像でもイラストの背景を白くして消し、甲斐田と「ニア」の二人だけを強調していて、リスナーに二人の関係性を強く意識させて心に訴えかける効果的な演出だと思いました。


「ニア」の表情

原曲MVと甲斐田の歌ってみた動画で明確に違うなと思って私が注目したのは「ニア」の表情の描かれ方です。

原曲MV:無表情→笑顔→泣き顔(号泣)

甲斐田歌みた:無表情→目に涙を浮かべながら微笑む(気丈)

原曲MVの「ニア」が最後に見せた表情は、堪えきれない悲しみの感情を爆発させたような表情でした。

何を問われても無表情だった頃から楽しそうに喋るようになった期間を経て、最後にぼろぼろと涙をこぼす泣き顔を描くことで、眠らない身体を持つ機械は寿命に限りがある有機生物のそれとはまったく違うものだということ、全く異なる存在であるからこそ別れが必ず訪れて逃れられないということを強調するストーリー構成になっていると思いました。

「ニア」の見た目が幼い少女であるということを考慮すると、別れや別離ということに思い至るような精神性の成熟を迎える前に製作者である「男性」との別れを迎えることになってしまった、と解釈することもできると思いました。

「near: age:25Y」
とあることから、創造されてから少なくとも25年間は、「男性」と「ニア」は時間を共にしたとは思いますが、身体とそこに宿る精神の関係については切っても切り離せないものがあると個人的には思います。
(感情を強く持つようになって人間に近づくにつれて身体性が精神性と強く結びつくことは必然で、外見が自我に与える影響は無視できないと思います)

また、「男性」が「ニア」を創造したときの見た目が壮年くらいに見えること、「ニア」の見た目が「男性」の若い頃の知り合いもしくは血縁者の姿を模しているということを考えると、「男性」と「ニア」の関係性は、立場が対等な友人同士というよりは、親子や親類縁者といったような成長を見守り見守られるような関係だったのかもしれない、と想像できそうです。

とはいえ、そもそもこの別れが不慮の事故などが原因であまりにも突然で理不尽なものだったからこそ、ここまで涙を流した表情になっている、という可能性もあると思いました。


対して、甲斐田の歌ってみた動画では、「ニア」は目に涙を浮かべてはいるものの笑顔を作っています。

甲斐田との別れを目の前にした「ニア」のその表情を見ると、悲しい顔を見せまいと甲斐田を気遣う気持ちや、悲しみを堪えて気丈に振る舞おうとする意志が感じられました。

相手との別れが避けられないものだと理解して受け入れているからこそ、最期は笑って送り出そうとしているようにも見えます。

甲斐田の歌ってみたの「ニア」は、原曲MVの幼い少女の見た目とは違って、少なくとも10代後半から20代半ばくらいの、ある程度成熟した女性の姿をしています。

甲斐田と「ニア」の関係は原曲MVのそれとは違って、対等な友人や幼馴染といった、同じ時間を過ごしながら周囲の環境の変化や互いに刺激を受けあって一緒に成長していくような関係だったのかなと想像しました。

「ニア」は甲斐田の机の上に飾られた写真の女性と似た姿をしていて、その女性は写真の中で笑っています。
そういった女性を模した「ニア」だからこそ、結果的に笑って甲斐田を送り出そうとする意志を持つことが出来たのかもしれないと思いました。

「near: age:29Y」とあることから、この辺りも甲斐田の年齢と合わせて設定を調整しているのかなとか思いました。
この動画内の甲斐田がそうとは限りませんが、甲斐田は現在26歳なので、29年後の55歳でベットに臥せ、その年齢で逝ったとすればそれはかなり早逝だと思います。
その原因が病気によるものだとすれば、余命を予測することもおそらく可能だと想像できるので、「ニア」にも甲斐田との別れを覚悟する時間の余裕が十分に与えられていて、だからこそ最期に笑って送り出せたのかもしれないと思いました。

また、原曲MVの「ニア」は「age:25Y」で「男性」と別れてしまっていたので、それと比べるとこちらの「ニア」は若干ですが精神の成熟があったのかなとも思いました。


原曲MVの「ニア」と甲斐田の歌ってみた動画の「ニア」を比較してみると、「別れ」という物語の結末に辿り着くまでのアプローチ、ストーリーの構成や演出、諸々の表現には明らかに異なるところがたくさんありました。

曲を聴いて楽しむだけでも十分だとは思いますが、歌ってみた動画全体を細かく観察して表現の意図や構成の妙を積極的に理解しようとすると、それはそれでまた違った楽しさを見つけられるということを再認識しました。



まとめ


今回の歌ってみた動画を視聴して、甲斐田晴というライバーは芸人にもなれるしクリエイターにもなれる、どちらも真剣に本気で取り組める人物なんだなと改めて感じました。

私は、甲斐田晴については、配信を毎回欠かさず見に行くような熱心な応援の仕方をするリスナーではありません。
甲斐田晴に対しては、いわゆる箱推しのようにライトなリスナーだと自負しています。

以前私も遊んでいたことがあり、興味本位でアズレン配信を見ながらこの文章を書いているのですが、アニメ・漫画からエロゲまで、幅広いジャンルの作品と音楽に触れてきて培われた限界化オタク甲斐田晴の姿とこの動画で描かれる甲斐田晴とのギャップがとんでもないと思いました。

しかし、リスナーに大きなギャップを感じさせるということは、甲斐田晴がたくさんの属性や異なる魅力を幅広く内包する存在であるということを逆説的に証明していると思います。

他のライバーとの交流の中で求められる役割、普段から自分のことをずっと見て応援してくれるファンが求める姿、箱推しと呼ばれるようなライトなファンが求める姿、それぞれの違いを理解して適時見せる姿を変え、求められる役割を全うできているからこそ、現在の甲斐田晴という一つのコンテンツは充実したものになっていると思いました。

甲斐田晴の『ニア』めっちゃ良かったです!
次の歌ってみた動画はもちろん、今後の甲斐田晴のライバー活動についてもどういうものになるのか、楽しみにしています。

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