パラダイムシフトについて

あまりにも疲れているのでまたnoteに手を出すことにした。2ヶ月くらい前になんとなくで始めたが、結局デビュー作(デビューしていない)から全然書かないままここまで来てしまった。昔はそういうのを処女作と言ったと思うが、女性の体験を表す言葉のみが一般的に使われる言葉に流用されているのはおかしいという意見を見て、わたしの中ではまだ判断がついていないのだが、考えるべき対象ではあるのでそう表現することにする。

令和というのを変革の時代だとわたしは勝手に捉えている。現代文の授業で「今まで全く予想もつかなかった考えが出てくる」という概念を扱ったのを思い出した。作品名はうすぼんやりとしていたので、軽く検索をかけたが思い出せなかった。
多分その概念を知ったのはそれよりも前に倫理の授業で見たパラダイムシフトというワードだったと思う。
今のわたしは、パラダイムシフト前後の考えを俯瞰的に見られて、その後の思考が染み付いているから、その時代のパラダイムシフトの感覚は分からないけれど、様々な思考が漂流する現在を見て、これがきっとパラダイムシフトというものなんだろうなと思う。
「俯瞰」と書いて唐突に思い出したのだけど、現代文の作品は「異時代人の目」だった。別にその記述箇所に戻って直せばいいだけの話ではある。
なんというのだろう、完成した文章を見たら、そこは「その文章が書かれた過去のある時点」にしか見えないけれど、書いているときの時間経過の合間にもわたしは生きて、思考し続けているから、その痕を、この文章を見た人はもちろん、この先のわたしのために残しておきたいと思う。

上にはこう書いたが、数日後に続きを書きながら表現などを手直ししている。過去の思考や行動すべてを残したいという考えで書いたものなら、伝えたいことの為なら過去の思考の痕跡を変えることを厭わないというものもまたこの思考し続けた結果の一つだろう。という言い訳をしておく。

その道に明るいわけではないから頓珍漢なことを言っているかもしれないけれど、昨今の少子化や結婚する人が減っている理由の一つにはやっぱりこの価値観の変化の違いというのがあると思っている。
結婚というものが社会に生きる人間共通のゴールでなくなってきたら、それをしんどいと思ったり他に自分の選びたいものがある人は別の生き方を選択するだろうし、労働力のために子供を産むことが必須でなかったり、子供を一人の人間として扱い、責任を持って育てるということが重視され、それを難しく感じる人間が多ければ少子化の傾向が進むのも頷ける。
わたしはあまり結婚願望も子供を持つ願望もなく、社会から外れた方の価値観なのかもしれないが、世のそういう流れに影響されている部分が大きいのだと思う。結局人間が周りの環境と世間の価値観からの影響から離れて思考することは難しい。

この大きな潮流の中で、自身の定位置を見つけることは無理に等しいかもしれないが、考え続けるという行為に意味があると思うので、どんなに流されたとしても自分の船に乗り続けるための不断の努力を惜しまずに生きたいと思う。

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