【自己紹介】パートで疲弊→スキル0から完全在宅のフリーランスになった話
こんにちは!おゆわりです。
2023年、フリーランスになって1年を迎えました。
この記事では、結婚&出産後は自分のキャリアなんて二の次。
「このまま一生パートで働くんだろうなぁ~」と思っていた私の経歴とフリーランスになるまでと今後についてを書いています。
これからフリーランスになりたい方や在宅で仕事をしてみたい方のご参考になったら嬉しいです!
※長いので、気になった目次をかいつまんでみてください
※また順次付け足していきます♪
簡単に自己紹介
■名前:
■職業:
■実績:
■生活:
これまでの経歴
会社員時代の仕事
様々な仕事のご縁があって収入もそこそこあった時代もありましたが、どこかむなしい日々。
ずっと『どっかに本当の自分はいないかな~』といつも新たな刺激を求めて自分探しをしていました。
そんな時に長男を妊娠し、退職。
結婚後
会社員時代は東京に住んでいましたが、結婚するとほぼ同時期に夫が転職して群馬県に引っ越し。
子どもが生まれるまで、ほとんど誰とも会話しない日々が続いていました。
(ちなみにその頃のお友達といえば、Twitter)
何もできない日々が続いて、当時の私は自己肯定感だだ下がりでした。
自己肯定感マイナス時代
「妊婦生活から解放されかた何か仕事したいな~」と軽い気持ちで思ってました。
ところが、出産後の退院初日に義母から言われた言葉に撃沈。
「幼稚園に行くまでは家庭で育児しなさい。保育園はかわいそうだから」
実は実母が既に他界して相談相手もいない。
この言葉に縛られて、24時間体制で家事育児を精一杯していました。
段々と子ども優先にするのがあたり前になってしまって、自分のしたいことなんてどこかに行ってしまっていました。
夫の転職
未就園児と毎日向き合う日々を送っていましたが、急に夫が転職することに。
群馬県から都内に引っ越ししました。
子連れでの引っ越しは大変で新しい土地への不安もあったけど、「ようやく落ち着ける・・・」とひと安心。
じゃなかった。
(この後10年間で20回ほどの転職を繰り返します)
パートを始める
何度も転職する夫。
何か欲しいものがある度に夫に聞く日々。
子どもの今後の教育費も不安。
自分の使えるお金はほとんどない日々でしたが、上の子が幼稚園に入った冬にようやく先が見えてきた。
求人を毎日眺めて、決めたのは牛丼屋のパート。
理由は、消去法でひとつしか残らなかったから。
子ども達が起きる前の早朝パートを開始して、おばあちゃんになるまで働く覚悟をしていました。
はやり病の時代
「ずっと働く」と思っていたパートは5年目に突入。
時給も徐々に上がってマネージャーになるお誘いを何度もいただきました。
思考停止でパートをしていたかった私は、断り続ける。
そんな時にやってきたのはコロナ禍。
チェーン店だから絶対大丈夫だと思っていたのに、想定外の事が起きました。
在宅で仕事したい!
外にも出にくい世の中になってしまったので、家でできる仕事がないか模索。
でも・・・在宅ワークとして知っていたのは、シール貼りのお仕事など。
絶望的に不器用だったから「絶対ムリだわ」と思っていました。
在宅ワークに挑戦
挫折ばかりの在宅ワーク
アフィリエイトブログに挑戦したり、クラウドソーシングでライティングの仕事を受託してみましたが、パート代を上回るにはほど遠い収益。
もちろん、パートに出勤しながらの家事育児も継続。
このままで5年・10年続けられるか?
ほんの少しですが、経験してみて気付いたことがあります。
「このさきずっとできるかどうか」という視点で考えると、自分だけでやることに限界を感じました。
人に役立つ仕事を長くしたいと思ってしたこと
オンラインで参加できるコミュニティに入る
私は女性のオンラインスクール「リモラボ」というところに参加しました。
どれかひとつのスキルを磨くのではなく、自分の理想の人生を考えることからスタート。
目的から逆算して、「これから何をしていけばいいか」を決めてマーケティングや社会で活躍するために必要なことを学びながら実践。
自分のことを長らく置き去りにしていた人生。
正直なところ、「やりたいこと」を見つけることが案外難しかったです。
よく考えてみると意外とあって、
例えば、いつでも推しのライブに行くためにはどのくらい資金があれば遠慮なく行けるのか、などの小さな幸せをかき集めるだけでもOK。
見つかったら後から足せばいいんです。
学習とパートと家事育児と
新しい環境に入ったときに必要だったのは、学習時間の確保。
パートの勤務時間を減らさずに新しいことをしていたので、やらないことを決めました。
「ドラマを見るのを諦めた・・・」と後ろ向きにとらえるよりは、やりたいことができたことで他の優先順位が低くなっただけというイメージです。
学習開始3か月でパートを退職
クラウドソーシングなどで小さく投稿作成のお仕事を続けていましたが、「リモラボ」に入って1か月ほどで継続的なTwitter運用代行のお仕事をさせていただき、3か月でパート収入を超えてパートを退職することにしました。
また、Twitter運用代行以外にも、企業のSNS広告の運用や平たく言えばオンライン秘書としての業務がだんだんと増えていきました。
いまの働き方になるまで
よく「運用代行を〇件」といった、SNS運用代行に特化して複数案件を抱えていらっしゃる方もいますが、私の働き方は少し違います。
今現在も最初に関わらせていただいたクライアントを1年半継続してご契約いただいており、他のお仕事も自分の幅は広がるとともに徐々に広がっていったというイメージです。
また、「リモラボ」でも今ではコミュニティマネージャーとしてサポートをさせていただいています。
バーチャルオフィス「リモ部屋」には、開始してから毎日通っています。
当たり前に習慣化することを意識づけるためです。
今後について
過去の経験にあったように、私はもどかしいと感じながらも自分の人生を完全に諦めていました。
「現状を変えたいけどどうしたらいいか分からない」
「パートや専業主婦から脱却したい」
「教育資金が不安」
「もやもやする」
と思っている方に、選択肢は無限大なんだということに気付いてもらえたら嬉しいです。
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