好きなことをして生きる私の生活は、夫の犠牲の上にあるのか?
とふと思った。
最近、ゆったり過ごして毎日が楽しい。
しかしながら、
夫が働いてるからこそ
私が好きなことをして
自由に生きている。
のではないか。
と思った。
なぜなら、
占いでもらうお金は生活を支えるほどのものはなく、ほぼ夫の給料で生活しているから。
ありがたい。
とは思うものの。
もしや夫は本当は
働きたくなんてなくて
したいことがあって、
でも生活のために
仕方なく働いてるのだとしたら?
最近夫が
「農業で稼ぐ」「農家になる」的な
本をよく読んでる。
この人はもしかしたら
農業を本当はしたいのでは?
私のこの好きなことをして
楽しい穏やかで幸せだと思っている日常は
夫の犠牲の上に成り立っているのか?
と考えたらぞっとした。
この考えが以前から根底にあったから
私は「稼がなきゃ」に囚われてたのかも。
しかし。
誰かの犠牲の上にしか成り立たない
幸せや日常などあるのか?
それはとても不自然で不健全だと思った。
夜な夜な考えた。
お互いが好きなことをして生きる方法は
ないのかと。
あった。
ありました。
ギリギリの生活かもしれないけど
生きれる。
そして、その方法でも私は幸せだ。
ということで、
翌日。
好きなことして幸せに生きさせてもらってることの感謝の意を夫に伝え。
でも夫の人生を犠牲にしているならそれは
嫌なので、やりたいことがあったら、
仕事が嫌なら、いつでも辞めていいこと。
辞めてもこういうプランで
幸せに生きれること。
をプレゼンした。
そうしたら、
夫は別に仕事辞めたいわけでもなく。
農業を本業にしたいわけでもなかった。
むしろ。
私が占いして楽しそうに頑張ってる姿をみて、
俺が安定して働いて支えていこう
みたいなかっこいいこと言ってきたのだ。
人の気持ちは聞いてみないと
わからないものでした。
夫の収入があるから
好きなことを自由にしてる。
と思ってる、そしてそのことに
罪悪感を感じているひとがいたら。
果たして本当にそうなのか、
はわからないよってお話でした。
だからね、
ひとりで罪悪感感じて
"稼がなきゃ"とか"ちゃんとしなきゃ"とか
"頑張らなきゃ"とか
抱え込まなくていいのかもしれない。
まずは目の前の
その人に
"ありがとう"って
伝えてみるのはどうかしら。
ではまたね。