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演じる仕事をおやすみして、絵を描いているしあわせ。そう、演じるように描きたい。そのルーツを探ってみる。#001


わたしは、1960年、詩人・水野陽美の長女として横浜に生まれました。
父は、水野陽美(詩人)Akiyoshi Mizuno(1926-1977)
大正15年1月27日、横浜生まれ。雑誌森林派を主幹。
「此の詩集『人神の石笛』は、如何なる虚栄の種族にも属さない」という言葉とともにたった一冊の詩集を残して他界しました。『日本詩人全集11 -戦後百人集-』(創元文庫)に「死滅宇宙」「刺客」「父の造型」が収録されています。ほかに『未完成詩論-非連續者の詩学-』という詩論があります。

父の兄弟は、みな画家です。特に父の兄(わたしにとっては伯父)は、妻子を捨てエチオピアに永住、平成4年ケニアで他界しました。
画家・水野富美夫 Fumio Mizuno(1917-1992) 。この伯父の生き方にわたしは、強く刺激を受けました。1917年、東京伊皿子で生まれた伯父は、画家として白日会会員、運営委員横浜支部長などを務めたのち、戦後の日本の俗物主義を嫌い、妻子を捨てエチオピアに永住してしまいました。以降、一貫して《エチオピアの女性の美しさ》《尊厳》を描きつづけました。朝日新聞『地球市民』、フジTV『海外で活躍する日本人』読売新聞『世界で活躍する人々』、テレビ朝日『住めば地球』など多くマスコミにもとり上げられました。朝日新聞社主催『エチオピアの光と影展』(1987)西日本新聞社他主催『エチオピアの光と影展』などが生前に開催されました。

もう一人わたしをとても可愛がってくれた叔父がいます。
蜷川幸雄  Yukio Ninagawa(演出家)(1935-2016年)。母の弟、つまり母方の叔父です。ギリシャ悲劇やシェークスピアの演出で人気を呼びました。
昭和10年10月15日、埼玉県川口市に生まれ。1967年に劇団現代人劇場を創立。1969年『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。1972年演劇集団「櫻社」結成、1974年同劇団を解散。1974年、当時東宝のプロデューサーであった中根公夫氏との黄金のコンビが生まれ『ロミオとジュリエット』『王女メディア』『オイディプス』『近松心中物語』ほか名実共に演劇界の第一人者として刺激的な演出をしつづけました。英国エジンバラ大学名誉博士号(1992)、 紫綬褒章(2001)、 名誉大英勲章第三位Commander of the Order of the British Empire(CBE) (2002)、文化功労賞(2004年)、2010年 には文化勲章を受賞しました。

そんな刺激的な親族に囲まれて育ったので、《絵を描くこと》《文章を書くこと》《演じること》は毎日のお食事とおなじくらい、わたしにとって大切なことです。


あの蔦の絡まる小さな家。静かで優しい思考の流れる場所。あの家こそが私の精神の地形の一部を成している

蔦の絡まる小さな家。横浜の上大岡と弘明寺のあいだぐらいの場所に、その家はありました。小さな庭があり、楓や鳳仙花、梔子の花が植えられていました。父の書斎には大きな本棚があり、庭に向かって置かれた机には原稿用紙の束がかさねられていたのを記憶しています。わたしは、ラジオから聴こえる《鸚鵡のペラペラートおばさん》のお話をよく耳を傾けていました。本が大好きで、父の本棚の一番下のスペースをわけてもらい、いつも絵本を出したりしまったりして遊んでいたそうです。そして、お部屋の中には、なぜかブランコが。鴨居のところにかけられる子供用の籐で編んだブランコです。よその子が勝手に入ってきて、ブランコに乗って帰っていったと母が話していました。しあわせな時間。父と母と乳母車に乗った妹とよくお散歩をしました。玄関の横にかけられていた母のレインコート。内側が花模様になっていて、大人の女の人の香りがしました。

赤ばら組、白ばら組、ゆり組 ... ...

丘の上の幼稚園は、ミッション系で赤ばら組、白ばら組、ゆり組と三つの組にわかれていました。わたしは、ゆり組でした。綺麗な色に染められたイースターの卵。天使やマリア様の絵が描かれたカードの美しかったこと。聖書の一説を暗唱するとそのカードをもらえました。牧師さんのお嬢さんが、わたしより小さいのにスラスラと暗唱できたのに驚いたり。めったにおねだりしたりしない子供でしたが、どうしても欲しいとお願いして、父に赤い小さな『聖書』を買ってもらったときの喜び。わたしはクリスチャンではありませんが、いまでもそれを宝物として大切にしています。


いま赤い薔薇の絵をたくさん描いているのも、そのとき赤ばら組が羨ましかったせいかしらかもしれません。 幼稚園のときのキリスト教文化との出会い。その衝撃と憧れ。17歳のとき『サロメ』の主演でデビューしたのも、いまダンテの『神曲』の超大作の制作に励んでいるのも、根幹にこの幼少期の衝撃があったからなのだと思います。 

                            (つづく)


蜷川有紀  YUKI NINAGAWA  -Profile-

1978 年、つかこうへい構成・演出『サロメ』にて、三千人の応募者の中から主役に選ばれ女優としてデビュー。1981 年、映画『狂った果実』でヨコハマ映画祭新人賞受賞。以降、映画『ひめゆりの塔』『もどり川』『人でなしの恋』やTV『鬼龍院花子の生涯』など出演作多数。舞台では『仮名手本忠臣蔵』『にごり江』など様々な異色の作品に出演し、確実な演技で評価を得る。
女優業だけにとどまらず2004 年には、鈴木清順原案の短編映画『バラメラバ』を監督・脚本・主演。『バラメラバ』小説&DVD を上梓。
2008 年、Bunkamura Gallery にて絵画展『薔薇めくとき』を開催。同年度情報文化学会・芸術大賞受賞。2010 年、松坂屋デパートメントストア100 周年記念企画・蜷川有紀絵画展『薔薇まんだら』は、松坂屋上野店及び大丸心斎橋店イベントホールで開催、2012 年『薔薇都市』(Bunkamura Gallery)、2013年『薔薇迷宮』( 大丸心斎橋店イベントホール) などの個展も大盛況をおさめる。また、2017年 蜷川有紀展「薔薇の神曲」では、ダンテ「神曲」テーマにした3m× 6mの超大作を発表。アートイベントとしても異例の成功を収める。
その他、テレビ東京開局45 周年番組「寧々・おんな太閤記」タイトル画、ワコールPR 誌表紙画なども手がけ、岩絵の具で描き上げた魅惑的な作品が女性たちの圧倒的な支持を得ている。
また、大正大学客員教授、日本文化デザインフォーラム幹事 、(財)全国税理士共栄会文化財団/芸術活動分野選考委員、InnovativeTechnologies特別賞選考委員(経済産業省、2017年終了)、JACE イベントアワード選考委員、青森県立美術館アドバイザー等として多くの文化活動にも貢献している。

http://www.oyukibo.com/info/ YUKI NINAGAWA official web site





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