東京は楽しいけれど、この地で走り続けることへの疑問が湧いてきた
東京はすっかり梅雨が明け、40度まで達する暑い日が続いています。
碧さんや若葉ちゃんが疾走感ある日々を過ごしている中で、私はこの先の未来を考えながらゆったりと亀の様に前進していたよ。
今回は、お二人へのお手紙にするまでに時間がかかってしまって、今の自分のまとめとさせてください。
どんなことをしていたかというと、花以外の仕事を変えて、住む環境も変えて、通勤を自転車に改めたり、恋人と別れて、名刺を作って、次のプロジェクトに向けて色んな人たちと一つの作品を作る方向に進めています。
やりたい!ということに、面白がってくれる大人の人たちがいて、人生の中で今がとても楽しいです。
プライドを捨てて生温い気持ちではなくて、真剣に日本文化を吸収していこうと思って動いていたら、結構楽しく仕事を作れる様になってきました。(相変わらず歩みは遅いのだけれど)
自由大学を退職する時にある人が送ってくれた言葉を、終電が終わった帰り道に毎晩思い出しながら歩いています。
「耐え凌ぎがたきを凌ぎ、偲び難きを偲ぶ」
戦後の玉音放送の暗いイメージを呼び起こしてしまうのだけれど、その先に日本の未来があった様に、私の選択に「背に腹は変えられぬよ」という励ましの言葉を彼は伝えてくれたのだと思う。
目的に向かって、前進あるのみです、時々寂しくなるけど。笑
この地で走り続けることへの疑問
夏になると、小学生の頃の林間学校を思い出します。
蓼科山荘の近くに湖があって、みんなでカレーを作って食べた後にその周りを4km走るというイベントが行われた。
身体は一番小さかったけれど、毎日2時間泳いでいたから体力だけはあって、走り続けたら上位3位以内ではあったのに、何故かゴールが見えた途端にどうでもよくなってしまって。
ひたすら走って走って、走り抜けて、でも何の為に走っているのかわからなかったから。
頑張れーと先生に応援される意味もわからなかった。
走り続けて頑張ってるのは誰が見てもわかることで。その「頑張れ」は本心ではなく、反射的に発せられる頑張れでしかなかったから。
全クラス合同、約130人近くいる中で自信がつく子供は上位のわずかしかいないし、ただの競い合いをする意味もわからないのだけれど。
結果入賞はして、当時の美術の先生が石に蟹の絵を彫った文鎮をもらった私はいい方で、あの長距離走で苦労した子はどれだけいたのだろうか。
この頃から少しずつ気づいていた。時間を消費して自分の特性を伸ばせないところに劣等感を感じる意味のない機会が、社会からなくなればいいのに、と。頑張っている人にどうでもいい「頑張れ」を送らない世の中になればいいのに。社会に合わせることは自分を偽ることに近いなと思う。
時々、仕事で地方に行くことがあって、遊ぶように生きている人達や、画廊でアーティストの方々とお話をしていると気づかされる。
私達の日々は何の為に生きていて、何の為に働いているのか、何の為に地方の人は東京に出てくるのか、お金がそもそも何の為に必要なのか、何のために学校に行って、何を学ぶのか、全ての物事が少しずつズレていて、数多くの人が「本質」を履き違えている気がしているのではないだろうか。少なくとも私がいる、この東京という街では。
そんなことが積み重なってきたので、少しずつ周りの土地を見たり、碧さんの様に違う国に出て見ることも考え初めました。
何を武器にできるか
上のことを考えた時に、何を武器にできるかというと、「メディア」なのかなと思っています。
平成生まれが、平成最後の夏何か作るなんてちょっと良くないですか?
二人の世界は私と違う視点で見ていると思うので、明日の話し合いで、少しここがお話できたら嬉しいです。
おやすみなさい、
おゆ
【過去の日記】
1. 「ありがとう都会のオアシス」
共同作成者二人の紹介と、季節の花についてさらっています
2. 室町・桃山の要素を混ぜた現在を創りたい
好きなこと、目指すところ、時間飛行について
3. 真、問う
感動した金沢での出来事、お二人への手紙
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