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人の死を利用するクズ
はじめに人は己の幸福を最大化するためにほとんどの人は生きている
おととい、ばあちゃんが死なれたらしい。
自分にとってパッと思いつく思い出は何か手伝いしたら100円をジュース代としてくれた、それをジュース買わないで貯金してたらすごい怒った。
あと、犬の散歩で原付を使って犬が泡吹いても引きずった、、、らしい。
あとは、北海道人なので時折アイヌ語?的な単語を喋っていた。
気になって今検索したら全然出てこない、、、何語だったんだあれは。
それで本題だが。
死なれたのがわかったのは昨日、職場で湯沸かし器が余ったのでこれは実家で使える!とその日は休みだったので原付でリュックを背負い、外気温5℃のなか持っていった。
家につくとお昼前で誰もいない。
買い物でも行ったのかな?と薪ストーブを焚いて待つことに。
お昼過ぎ、まだ来ない、、、
冷蔵庫に賞味期限切れの食パンがあったので、残飯処分がてら食べることにした。
午後四時になってもまだ帰ってこない、ちょっと胸騒ぎがした。
こういうの、じいちゃんが死なれたときもあったからだ。
ざわめく気持ちを抱えつつ、帰って来るまで薪ストーブ横のソファで寝ることにした
午後四時半、やっと帰ってきた
母ちゃんの第一声は「ばあちゃんが死んだ」だった
その表情は悲しみは特になくてちょっとホッとしているようにも見えた
いや、自分が内心「よかったなぁ、母ちゃん」って思ってたからかもれない。
正直、湯沸かし器を届けに来ただけで6時間近く待ったからもう帰りたかったが、そのままばあちゃんに会いに水あげに行った。
写真のばあちゃんは、なんとなく顔が伸びていて自分の知ってるばあちゃんとはちょっと違っていた。
でもすごく笑顔だった、享年92歳。
八年くらい前にじいちゃんが91歳で死なれたから大体同じ年だ。
一緒に住んでいるおじさんが夜中に気づいたら気絶していて、そのまま天に召されたんだと。
その時は、あんまり悲しくは無かったのだがこうやって書いてるとなんだかしんみりしてきて感傷的になってしまうな
それはさておき自分の話。
今月末に人生初の大冒険、深夜バスに乗る!と愛知まで行く!が控えてて、それにどうやって予定をこなすか考えていた矢先ばあちゃんの死。
思いついてしまった、悪魔的な計画。
そう、ばあちゃんの死を理由にズル休みしようと考えたのだ。
本当は自分がやるべきこと孫としてやる葬式のイベント「水あげ」は終わってるのにそれを連休前の日にしたらもっと遠出前に余裕ができて目標成功しやすくなるのでは?とそう考えてしまった。
もちろん、身内の死を自分の利益に利用していいのか?こんな罰当たりなことしてばあちゃんが悲しまないか?
まあまあちょっと葛藤があった。
そして次の日の今日。
迷った末に実行してしまった。
上司にばあちゃんが死なれた件を伝え、それを理由に25日に色々やることがあるので仕事を早く上げて(帰らせて)もらえないか?、、、と。
結果、同情もあって2時間も早く帰らせてもらえることになった。
これで自分の予定はより強固に、安全確実に実現できるようになったが。
早くあがらせてもらって行くのはばあちゃんの所ではなく愛知、、、
安心感もあるし罪悪感もある
なんとなくモヤモヤしててここに懺悔として書き残そうと思った。
これで行く先で何かトラブルがあったらばあちゃんのタタリだなぁ。。。