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プロレスの不思議


格闘技の好き嫌い

私は殴られることも殴ることも嫌いです。理由はいたって簡単、痛いからです。相手もきっと痛いだろうからと考えると、殴るのを躊躇します。
生まれ変わっても格闘家には絶対にならないですね。

とはいっても、格闘技をスポーツとして見るのは好きです。矛盾しているかも知れませんが、人は矛盾の動物だから仕方ないと思います。(矛盾の動物については後日説明したいと考えています)

相撲、柔道、プロレス、ボクシング等が好きです。キックボクシングやKI、総合格闘技はあまり好きではありません。
プロレスと総合格闘技はよく似ている、ボクシングとキックボクシングは蹴りが入っているかどうかの違いだけではないか、といわれますが、なぜか、私には好き嫌いの境があります。

総合格闘技などで無抵抗で体を丸めている相手に、殴るけるをしているのをみると、違和感を覚えます。ルールがあっても、喧嘩やリンチと同じでないかと思います。

ほぼプロレスも同じではないかと問われても、なぜかプロレスには華がある気がするからです。

プロレスがテレビ普及に一役



昭和30年代の私の子供のころは、プロレスはプロ野球や大相撲と匹敵するくらいの人気スポーツでした。(スポーツではなく、ショーだという人もおり、現在では見解が分かれていますが、当時はスポーツとみなされていました)

外出時に注目の試合のテレビ中継があるときは、テレビがある飲食店を探して観戦したことがあります。プロレスを見るために、テレビを購入する家庭があったほど、テレビの普及に一役かっていました。

このプロレスを日本の人気スポーツにしたのは、力道山という大相撲出身のレスラーでした。

力道山の功罪



力道山はプロレスの興行主であり、看板の人気レスラーでした。ピンチになると、天下の宝刀空手チョップを繰り出し、外国人レスラーをばたばたと倒していく姿に、日本人の観客は留飲をさげていました。

力道山は映画や劇画のヒーローに匹敵する存在で、戦争に負けた日本人がアメリカ人に仕返しをしているようににうつったのも、プロレス人気を沸騰させた要因の一つです。

総理大臣の名前は知らなくても、力道山の名前を知らない人はいないといわれるほどの有名人でしたが、彼は日本人ではなかったのです。現在の北朝鮮に生まれた朝鮮人だったのが、死後、何年かして世間が広く知ることになりました。

力道山以後、ジャイアント馬場やアントニオ猪木等幾多のプロレスラーが日本で誕生しましたが、力道山をしのぐ、カリスマ性とスター性を持った人物はあらわれていません。

日本にプロレスを根づかせた功労者であり、伝説の人です。

反面、粗暴なところもあり、一般人に対して暴行をはたらき、新聞沙汰になったのも一度や二度ではなく、今なら表舞台から追放されているほどの功罪両極端が並び立っていました。

力道山とプロレスの五つの不思議

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