日本人として和を考える
パリオリンピックと東京オリンピックの違い
オリンピックに賛否両論、功罪はあれど、競技だけでなく、今の世界が持っている社会全般の課題や問題等が浮き彫りになり、スポーツ以外のことも考えさせられます。
開会式の入場も国別で行なわれ、メダル獲得数も国別で発表されます。ですから、否が応でも「日本人」「日本」を意識します。
パリオリンピックを現地取材したアメリカの記者が東京オリンピックと比較して、「東京に甘やかされた」と題した記事がネットに載っていました。
アメリカのニュースサイト「ビジネス・インサイダー」に記事を寄稿したマンシーン・ローガン記者は東京オリンピックは効率的でクリーンで親切だったと絶賛し、三度目のオリンピックを開催するパリに期待していたが、全くの期待外れだとがっかりしていました。
主催者の宿泊リストから選んだホテルはどこも冷房がなかった、メディアに配られる試供品も東京ではリュック,ノートパッド、ペン、クッションなどをもらったが、パリではコカ・コーラの水筒だけだったと愕然とした差を嘆いていました。他にも、人間を恐れないネズミの存在や交通機関の不便さ、ビザの手続き、水質、ホテルの朝食などについても不満をのべていた。選手からの声もネットから、選手村の食事の不味さを指摘していました。
おもてなしが息づいている
日本は客や来訪者を歓待する「おもてなし」の精神が、オリンピック委員会の組織だけでなく、国民の一人一人に息づいているからだと私は解釈しています。
三年前の東京オリンピックは、後に五輪汚職が発覚したことや、競技場建設のごたごたもあって、私の評価は合格点ぎりぎりでしたが、今回のパリと比較すれば、日本人の誠実さ、奉仕精神の豊かさが改めて、世界に見直された結果になったと思います。同時に日本人としての誇りも強く認識しました。
橋本大輝選手が中国人選手が演技をしやすいように、歓声をあげている観客に静かにと自制を求めた行為が称賛されています。
特別なことではない、さりげない行動です。ささいなことと思われる行動でも人々の心を感動させるのです。日本の社会では目立たない行動も、外国の人の目から見れば稀有な素敵な行動に見えます。私は日本人の財産だと思います。それを世界に広めていくチャンスをオリンピックで得たことは大変喜ばしいのではないでしょうか。
和を貴ぶ日本
体操競技は実質的には個人競技です。サッカーやバレーボールのようなチーム競技ではありませんが、体操男子団体の戦い方は、中国選手の思いもかけぬ失敗演技があったとはいえ、究極的には、和を貴ぶ日本の良さがあらわれた金メダルだった気がします。
「和を以って、貴しと為す」は聖徳太子の十七条憲法の第一条です。和の大切さを説いた名文で、日本人の心の支柱となっていますが、ときどき、この和を悪用する人たちがいます。和を乱す人を排除する行動と悪事に和を悪用する行動です。
和が差別をうむ
前者では和を乱す、例えば町内の決まり事を守らない、職場の同僚の誘いを断ったりすると、町内や職場などの団体から村八分にあったり、一人だけ無視されたり、のけ者にされたりします。それが差別につながっていきます。
日本の社会では政治の話や宗教の話をタブー視する集団があります。主義主張、宗教観の違いは中々うめることはできません。永久にできない場合もまれではありません。混乱した関係が生まれるのを防ぐ意味で、政治、宗教の話をしないのは一理あります。
しかし、〇〇党の人だから話をしない、△△教の人だから仲間にいれないということはよくあります。人種差別、民族差別、障がい者差別と根っこは同じです。
政治や宗教差別は後天的なもので、差別される集団に入らなければいい、先天的で本人の責任が全然ない人種、民族、障がい者差別とは違うと、屁理屈を言う人がいますが、私は差別の本質は変わらないと思います。
米原昶さん
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