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「十九の散華」(九)
「父上様、母上様、嫂様、その後お変わりないでしょうか。今年も新嘗祭を迎えました。今年の収穫は如何だったでしょうか。
先月急遽葉書でもお伝えしたように、私の百里ヶ原基地への移動は当面なくなり、以前のようにここ筑波で実用機訓練に従事していますが、日本軍の戦況は益々悪化しているようで、この先残った練習生一同がどうなって行くのか、心に懸けていたところ、突然昨日私はフィリピン行きを命じられました。
新聞報道でもご存知のように、海軍の将校の一人である大西瀧治郎中将の命により、関大尉の敷島隊がフィリピンで神風特攻隊としての先陣を切り、大戦果を挙げました。誠に喜ばしい限りですが、しかしそれを知るに付けても、特攻の神雷隊に選ばれなかったことは残念に思っていたのですが、一昨日の午後、急遽飛行長室に呼ばれ、今回のフィリピン行きを告げられました。
教官の士官と予備飛行学生が十名、私達甲飛、乙飛、丙飛の予科練出身者が十五名の、計二十五名が、部屋に集められました。飛行長、隊長、副長が前に居並ぶ中、藤吉司令が口を開きました。
「諸君らも知っての通り、特攻を始められた大西長官が先日フィリピンから内地での特攻要員増援要請のため、一時帰国された。我が筑波隊からも、搭乗員確保の要請が軍令部からあり、諸君らを招集した。諸君らは全て先般神雷隊要員としての志願を既に出しており、また零戦操縦の技量の上でも成績良好であるから、今回の選は妥当と思われるが、特攻であるから、もし行きたくないものがあれば、当然斟酌はするから、申し出よ」
誰も手を挙げる者はおりません。むしろ、私もそうでしたが、特攻を始めた大西長官直々の勧誘に応じることに、皆誇りを覚えているようでした。
「それでは十二月から台湾で今回の特攻出撃のための訓練を行うことになるから、全員此処から引き移るための準備を万端怠りなきように――」
司令はそう言って飛行長に話を譲り、次いで飛行長が、この新たな別の特攻の訓練のあらましについて語ったのですが、台湾では、今回大西長官に帯同して一時帰国している、フィリピン内にある二〇一航空隊に所属する猪口という中佐が、陣頭指揮を取って訓練に当たる、ということでした。
筑波隊以外にも、教育航空隊である長崎の大村、朝鮮の元山、それから茨城県内の神ノ池航空隊からも要員が集められ、全体で百五十名以上が、今回の特攻隊を形成するようです。
今後の自身の進路が決まり、今は落ち着いてこの手紙を書いています。
台湾移動の前に是非にも帰省し、父上や母上、嫂と最後のお別れができればと願っているのですが、移動が余りにも急であるため、もしかしたらそれも難しくなるかも知れません。
当隊への早急の面会も叶わぬことではありませんが、九重村から此処まででは余りにも時間が掛かり過ぎますし、また収穫の時期で父上始め忙しいことは分かり切っていますので、どうかそれはご遠慮下さい。今年の盆の休みに最後にお会い出来たことを、今生の慰めにしたいと思います。
今年ももうすぐ師走です。冬に向け皆様お身体だけは大切にお過ごし下さい。
徹より」