「楠」第六章
風聞(四)
「いやあ、なるほどそうだよな、我々高齢者にはよく分かる話だよな」
「どこが? 戦前までの価値観でも残すべきは残すべきだってこと?」
「うん。・・・俺たちが子育てに夢中になっている間に、日本の社会は様変わりしてしまった感があるけど、児童虐待もそうだけど、治安の悪化なども今は目に余るものがあるよね」
「そうね。犯罪は日常的だし、それも強盗や殺人など凶悪事件ばっかり。若者や少年ばかりでなく、大のおとなや、この頃は女性による殺人なんかもあるわね。あと老人を狙った特殊詐欺も、考えて見れば最近のことよね」
「もちろん俺達が働いていた時代にも犯罪はあったし、戦前もそれ相応の事件があったことは聞いているけど、皆多くの人が納得できる、相応な理由があったような気がする。現在の犯罪には単純に良心や、人としての善悪の基準を欠いたそれが多過ぎるような気がする」
「それもこれも、この前の番組で太田という学者が戦前の教育の特徴として挙げていた、ええと、道徳心の欠如よね」
「そうだねえ。戦前の価値観で残すべきものの一つは、明らかにこの人としての道、というか道徳心だろうね」
「ええ、そう思うわ。私たちの学校の頃は、今ももちろんあるんでしょうけど、道徳の授業が週に一回は必ずあって、先生たちもしっかりと教えていた気がするけど、おそらく今の先生たちは、他の教科に比べると、あまり真面目には取り組んでいないような気がするんだけど・・・」
「まあ、先生たち自身が、もう戦前からの価値観とは隔たって敎育を受けて来ている、いうことはあるかもね。この前の番組の中で太田さんも言っていたけれど、結局国をああいう末路に追い込んでしまった根本原因の一つに、戦前までの道徳敎育、道徳観がからんでいた以上、仕方がないのかも知れないけどね」
「特攻精神のことも言っていたわよね。個人が国に命を捧げる、というのはどう考えてもやり過ぎよね」
「ただ民主教育を受けた我々はそう思うかも知れないけれど、戦前の人たちはすんなりとそうは思わなかったんじゃない」
「なるほどねえ」
「当時も今の風潮はおかしい、と思っていた人たちももちろん少なくはなかったろうけどね。いずれにせよ、結局道徳心はどの国、どの時代でも人に必要なものだろうから、それを強調した戦前の道徳観、価値観からも、学ぶべき点は学ぶ姿勢はあってもいいよね」
「そうね、そう思うわ」
「本来道徳心や良心は、外から与えられるものでなく、自身の心の中で生まれ、血肉となるべきもので、そこへ行くと学校敎育よりはきっと各家庭での幼い時からの両親を初めとした家族による育まれ方に、多分に影響されるような気がする。だから、両親始め、家族の、幼少期の子供へ接し方が重要で、戦後第一世代生れの私達は、当然戦前の価値観を身に付けた両親たち家族のもとで育まれたことで、無意識のうちにもそれなりの戦前までの価値観を継続、身に付けることができたんだろうし、また第二世代と言っている幾美や裕太にも、そうした価値観は幾分でも引き継げられたのでは、と思うんだけどね・・・。おそらく他の多くの家庭でもそうした流れで来ているんだろうけれど、代が下がるに従って、その継続が薄れ、途切れ、それまでとは似ても似つかぬような家庭が出現するようになった。それはやはり、敗戦を通じて民主主義的な考えが突出し、戦前の価値になど見向きもしない親たちが少なからず出て来てしまったからかも知れないね」
(第七章に続く)https://note.com/oyoyo_note9096/n/nd6752dcc2173