遅刻【ニンジャ読書感想】「ファスト・アズ・ライトニング、コールド・アズ・ウインター」を読んで
このエピソードは、善良で腕のいいスシ屋が、向かいに出店した邪悪なニンジャのスシ屋の嫌がらせにより廃業の危機に陥ったところで、たまたま店を訪れたエーリアス=サンとニンジャスレイヤー=サンの協力によって、スシ勝負を通じて危機を脱し、邪悪なニンジャはニンジャスレイヤー=サンに殺される、というものだ。
ここで私が注目したいのは、邪悪なニンジャのスシ屋のメイヴェン=サンだ。
メイヴェン=サンは単にスシを握るだけではなく、チェーン店を経営する社長だ。彼の店では高級なトロと貴重なオーガニック・アナゴを安く大量に提供し、しかもネタを捌くメイヴェン=サンのニンジャならではの派手なワザマエのパフォーマンス体験も加わりネオサイタマの消費者を惹きつけている。しかし実際には彼のスシネタは違法な危険食材であり、彼の握るスシは派手な量産に傾いて、客へのきめ細かい配慮が欠けていることを気骨ある審査員のユノモ=サンから指摘されている。
しかしメイヴェン=サンは、伝統的なスシ職人の心得をあざ笑い、愚かな消費者を欺きながらビジネスの手段としてスシ屋経営を用いてひたすらカネ儲けに邁進しているのかというと、それだけでもないところがある。
それをもっとも示しているのが、終盤にニンジャスレイヤー=サンとニンジャとして対峙したときのセリフだ。
「俺のスシはがらんどうのからッポだ」
彼が提供するスシそれ自体に価値があるものかどうか、それを問うているからこそ出る言葉であり、スシ屋としてのワザマエと心得に意味を見出していないなら、出ない言葉だ。
そしてニンジャスレイヤー=サンとカラテで対決し、倒された彼は自らハイクを拒否し、ニンジャスレイヤー=サンのカイシャクを受けて爆発四散する。
ニンジャが死ぬ前のハイクは、彼らが従った信念を語るもの、あるいは未練や心残り、己の人生の総括や今この瞬間の感慨などがあるが、メイヴェン=サンのハイクの拒否は、彼にはそうしたなにかなどないのだということだろうか。メイヴェン=サンへのニンジャスレイヤー=サンのカイシャクは、彼の「がらんどうのからッポ」を終わらせてやったものにも見えてくる。あるいは、スシ勝負の続きを求めるニンジャスレイヤー=サンに対して、特にイクサに長けているようでもないメイヴェン=サンがカラテを挑んだことが、メイヴェン=サン自身がこの結末への道筋を選んだようにも思うのだ。
スシ屋としてのメイヴェン=サンは、マグロを捌く際にユノモ=サンから「確かな解体の腕」と評されたことからも、単にニンジャ器用さ頼りではない、モデストな修行の背景もうかがわせるところがある。彼がなぜあのようになったのか、ニンジャになったことが契機なのかそれはわからない。いずれにせよ、ワザ・スシと対峙してから、メイヴェン=サンが楽しそうに見えたことはほとんどない。むしろ、経営者ではなくスシ屋としての在り方を問われるたびに、苦し気であった場面が印象的だ。
メイヴェン=サンと対照的なのが、スシ勝負の審査員として呼ばれたカスマ=サンとタケチ=サンだ。彼らはメイヴェン=サンから事前に買収されており、露骨に彼の店を贔屓するコメントを発していた。しかしワザ・スシの赤身とトロのスシを食べたところ、彼らはそれぞれのプロとしての矜持から、ワザ・スシのスシがうまいと認めずにはいられなかった。その一方で彼らは、勝負の投票の際はメイヴェン=サンのスシ屋へと投票した。己の人生とプライドを裏切る言葉は出せないが、それはそれとして報復はコワイので投票は事前買収に従う。みっともなさと良心と強かさが混ざった、ケオスなネオサイタマを生きる市民の生きざまだと思う。
メイヴェン=サンは、もしニンジャではなかったらこのような生き方もできたのだろうか、それでも生真面目なスシ屋あるいはスシ屋になり切れなかった男でしかなかったのだろうか、そう考えてしまう。