感覚テスト
ヤッホ〜寝正月。
まったりと過ごせています〜。でも今背後に洗濯物の気配を感じてて、無視してこれを書いています。違うの〜今は洗濯物のターンじゃないの。
noteを書きたくなるのは、文章を綴りたいというより、キーボードを打ちたいからみたいなところあります。なぜなら万年中二病ですから。こわいこわい、寒い寒い。
文章で伝えたいこと、本当にあるかと言われたらうーん、となることしばしばなんだけど、たまにどうして、頭の中で誰かに伝えるように言葉を組み立てちゃうのかなと思ってね。
あ、なるほどもしかしたらと、大学受験時によく対策をしていた「感覚テスト」を思い出したんです。
高校生の時の話をします。
多分だけど、やりたいことってそんなになくて、今思えば当時趣味趣向だと思っていたものも、少し周りに合わせていたもののような気がして、だからかな、なんかめっちゃ焦りました。進路。
(てか、もちろん誰かと共有する趣味の生活はとても楽しかったよ)
焦ったというか、何も考えていなくて、そしたら周りは当たり前に進んでいたんですよね、すげー!
そうして、急いで勉強を始めた頃にはもう何からやればいいかわからなすぎて、私の勉強への興味は、下部マントルへ。さようなら、掘り起こせなくなってました。
だけど、進みたい路がわかってない不安と焦りは半端なくて、当時ミュージカル映画にハマっていた私は、映像だこれだ、映像を作るためにすることならなんでもできる気がする!と思って、安易に美大を目指し、美術予備校に。
そこで「感覚テスト」に出会いました。
美大の、映像科の試験に「感覚テスト」っていうものがあるのを知らなかった。
このテストはね、あるお題があって、それを絵と短い文章で作品にしていくテストなんです。
そのお題は、図形だったり写真だったり文章だったり。
そこから想定される場所だったり、出来事だったりを好きに描いていい。
とっても楽しそうですよね。
実際は、
とっっっっっっっっっっっても楽しかったです。
例えばお題が○とか×とかだったりして、そこから感じ取れるイメージが、暖かいとか冷たいとか、○だったらなんとなくホッとするとか、×だったらなんだか怖いとか、最初の印象で感じ取ったものから、自由に空想を広げて、なんだか納得する物語にしていいんです。
だけど当たり前に、簡単ではなかったですね。
採点基準や、細かい点の取り方はもう忘れてしまったけど、高得点を取っている人の解答用紙は、見応えや読み応えがあって、たまに情景を想像できてじんわり泣きそうになることもあったのを覚えているんですよね。
図形の形から、「もうそれにしか見えない」と、虫やお花の目線で物語を作っている人もいたし、心情ではなく情景の移ろいとかをとても綺麗に書き上げていく人もいたし、同じもの(お題)を与えられてこんなに物語がうまれるんだと思うと毎日、片道1時間半だけど通うのがとっても楽しかったです。
あ、ここまで書いたけど、結論大学全部落ちてます。
(でもほらこんなに元気に生きている。)
いまだに何か、今の感じ残したいかもと思った時、頭の中で感覚テストみたいな文章の編み物を編んじゃうみたいです。
今、昔と同じお題でテストをしたら、また別な解答になるんだろうなと思うと嬉しいな。
ていうかきっと、1日ごとに解答は違うんだろうなって思います。
難しいことに対面した時、これって感覚テストなんだと思うようにしよっかな。
同じものでもみんな違って、毎日変わって、それは自分の感覚でしか伝わらないですよね。
○が怖くて、×があったかい日があってもいいんだと思えたり。
・・・
なんだか本当に、ただキーボードを叩きたいだけの人の文章になりました。
洗濯物をしますね。バイバイ〜