【駿河国・葛山城 vol.2】遺構がはっきり残る二重堀切
今回から現地の写真も交えて葛山城の遺構を紹介していきたいと思います。vol.1の葛山城のあらましについてはこちらから。
仙年寺と葛山氏墓所
葛山城へは城がある愛宕山の南麓にあるこの仙年寺というお寺の境内から登っていきます。このお寺もかつては葛山城の寺曲輪としてその一部となっていたようです。
仙年寺は葛山氏の菩提寺とされ、浄土宗のお寺です。
『駿河志料』によれば、室町時代の文明12年(1480年)に没した光冏(増上寺四世)が開創したとされていますが、それまで仙年寺は葛山城西方の山中にあったとも言われているため、光冏が現在の場所へ移築して浄土宗寺院として開いたのかもしれません。
さて、それはともかく。
葛山城へはこの仙年寺本堂の向かって左脇の道を奥へ進んでいくと、ほどなくして階段があるのでそこを上っていきます。
少し上ると玉垣に囲われた古そうなお墓があります。
こちらが「葛山氏墓所」とされるもので、中央に大きな五輪塔、その左右や脇にたくさんの宝篋印塔が並んでいます。葛山氏のどなたのお墓なのかはわかりませんが、登城の上り口にあるのでご挨拶がてらお参りされるのが良いでしょう。
葛山氏墓所の前から伸びる長い階段を上っていきます。この上った先が葛山城跡です。
階段を上っていく途中の右手には、このような竪堀があります。これは次にご紹介する東二重堀切を形成している堀の一つ、1号堀がそのまま南へ下ってきているもので、かなりはっきりと竪堀の痕跡が残っています。
東二重堀切
階段を上りきると正面に早速、東二重堀切を形成している堀の一つ、2号堀があります。先ほど上り途中に1号堀が竪堀となって南に下っていましたが、そうなるとこれまで上ってきた階段は2号堀がそのまま南に下って竪堀になっていた所だった可能性があります。
(1号堀のように階段の両側が高くなって溝のようになってれば気づけたと思いますが、こちらは現状よくわかりません)
さて、「階段を上りきったところ1」の写真の左手(西)へ行けば横堀(堀底道)から二の郭虎口の方へ、右手(東)へ行けば東郭、大手曲輪の方へと行けます。
ちなみに、写真正面奥に見えている階段を上っていけば、二の郭東側から一の郭へとショートカットできますが、城攻め気分を味わいたい方はぜひ左手の堀底道ルートから行くことをおすすめします。
この東二重堀切は葛山城の東の守りの要となる重要なものでした。
1号堀は深さ3m、幅4m、長さ13mにも達するとあり(『日本城郭大系』)、2号堀の寸法は記載がないものの現状では1号堀と同じような様相をみせていることから、同規模の堀であったと考えられます。
また、1号堀と2号堀の間には高さ6m、幅7m(『日本城郭大系』)にもなる土塁があって、かなりしっかりした造りの堀切であったことがわかります。
横堀(堀底道)
横堀は二の郭の下段にあり、その南側を沿うように走っている幅2~3mの空堀で、堀底道となっています。
この横堀は南側(仙年寺側)に途切れ途切れの土塁があり、土塁が途切れたところからは竪堀が何本か南へ下っています。現在確認されている竪堀は3号堀と4号堀の2本ですが、それ以外にも土塁が途切れて竪堀のようなものが数本下っているため、これも竪堀だと思われますが、特に番号が振られているわけではないので、当時からのものなのかはわかりません。
この横堀は西端で二の郭の虎口と通じる道があるため、往時は城の東側から二の郭へと通じる城内道として使われていたと思われます。
なお、『日本城郭大系』ではこの横堀を二の郭下段の帯曲輪として説明しています。
ということで今回はここまでです。
次回は葛山城の主郭部分、二の郭と一の郭をご紹介したいと思います。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
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