【伊豆国】 八重姫を静かに供養するお寺(真珠院)
今回は伊豆国にある真珠院というお寺のご紹介です。
このお寺はタイトルにある通り、悲恋の末に無念の死を遂げた姫君である八重姫を供養しているお寺です。
八重姫の話はチョット後にして、まずは真珠院の境内の写真から。
地方によくある小さなお寺という感じではありますが、境内はとても静かで、きれいに手入れが行き届いている清々しい感じがするお寺でした。
1枚目の写真の右側に写っている御堂が、冒頭でお話しした八重姫を供養する御堂で、そちらを撮ったものがこちらになります。
このお堂は、八重姫御堂とも静堂とも呼ばれ、中には八重姫の木像と供養塔が収められているんだそうです。
さて、ここで八重姫についてお話ししようと思います☺️
平安末期の伊豆の豪族である伊東祐親には、何人かの姫君がおり、そのうちの一人は相模国(今の神奈川県の大部分)の三浦一族である佐原義連に嫁ぎ、もう一人はこれまた相模国の武士・小早川遠平に嫁いでおりましたが、三女である八重姫は未婚でした。
そんな八重姫のもとに、当時まだ一介の流人であった源頼朝が通うようになり、恋仲となって、やがて二人の間には一人の男子も産まれました。
この男の子は千鶴と名づけられ、頼朝はたいそう可愛がりました。
しかし、これが悲劇の始まりでした。
これらのことは八重姫の父親である伊東祐親が大番役(都の警護番)として在京していた時のことであったため、祐親が都から帰ってきて事情を知るや、これが平家へ伝わったらどうするのだとたちまち激怒
八重姫をただちに頼朝から引き離して、地元の武士であった江間小次郎という者のもとへ嫁がせることとし、二人の子である千鶴はすでに三歳のかわいい盛りを迎えていましたが、郎等(≒家来)に命じて、近くを流れる松川の上流にある白滝の底に沈めて殺害してしまったのです😢
頼朝は祐親を大変憎み、何度も討とうと思いましたが、この時は何も力を持たない流人であったためそれも敵わず、逆に祐親に命を狙われることになって逃げるほかなく、いつか必ず祐親を討とうと決心しつつ、北条時政のもとへ身を寄せました。
その後、月日が流れて治承4年7月16日のこと。八重姫は頼朝に逢いたい一心で侍女六人とともに伊東の館を抜け出し、難路である亀石峠を越えて、頼朝が身を寄せたと聞いた北条時政の館の門を叩きました。
しかし、この時すでに頼朝は北条政子と結婚しており、八重姫は北条の家の者に冷たく門前払いされてしまいます・・・🥺
もはや伊東へ戻ることもできず、前途を失った八重姫は失意のうちに北条館近くの真珠ヶ淵へ身を投げ、その若い命を絶ってしまったのです😢
と、長くなってしまいましたがこんなお話です。この話は『平家物語』や『曽我物語』などに載っており、その後の八重姫が自ら命を絶ったという話については、地元の伝承として語り継がれてきたものです。
まっこと悲しいお話です。
さて、八重姫御堂の傍らにはこのようなものが供えられています。
後世の人々の八重姫への思いがこのような風習を生んだのでしょうね。それともう一つこのようなものも。
八重姫慕情
〽
桜吹雪に木洩れ陽の 揺れて無情の憂いあり
伊豆韮山の中條に 立てば遠き空の果て
侍女に守られ八重姫は 頼朝公を御慕い
悲恋はかなく 落葉舟 真珠ヶ淵の渦の中
里人出でて走れども 岸高くして底深く
夕暮れせまり いかにせん 救わせたまえ姫の身を
那木の木末の そよぐ下 供養の塔にかけられし
小さき梯子 数いくつ 治承の昔 偲ばれる
とまぁ、こんな歌詞となっています。
これを作詞した方は「伊東まで」という方のようですが、伊東氏の子孫の方なんでしょうかね?
節がわからないのでどのような歌かはわかりませんが、八重姫がこうして今でも地元の人々に慕われていることはよくわかります。
こちらは真珠院のすぐ横を流れる韮山古川と呼ばれる川です。狩野川の支流ですが、かつてはここが本流で、八重姫が身を投げ入れたと言われる真珠ヶ淵もこのあたりにあったのかもしれません。(今は川の流れは緩く、底もそんな深くなさそうです)
では、最後にこちらの写真を。
こちらは真珠院門前です。とてもきれいな門前でしたが、ひとつ気になる石碑が。「狩野川台風最高水位」を示す石碑です。
昭和33年9月26日。
私はまだ影も形もないころの事ですので、色々悲惨な話を伝え聞いているだけですが、聞くだけで怖ろしさがわかるあの狩野川台風(昭和33年台風22号)・・・。
狩野川が氾濫して水位がここまで上がったとは・・・。
当然私の身長を優に超えています。
昨今も毎年のように各地で豪雨に見舞われ、甚大な被害を出しています。
自然災害に悩まされるのは古今東西免れることのできない宿命なのかもしれないですが、少しでも自然災害による悲しい出来事が少なくなることを切に願うばかりです。
そして、ただ願うばかりでなく、そのために今生きている私たちが過去の自然災害をこうして記録に残し、後世へ伝えていくのはとても大事なことなんだと思います😌
さっ、今回はここまでにします。
最後まで読んでくださって、また見てくださってありがとうございました🍀
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