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希望としての政策デザイン:Part2 風景の裏側

私たちの見慣れた風景の裏側には「厄介な問題」が潜んでいる。見慣れた風景は、多様な要素が複雑に絡み合った結果生まれたものである。その風景はずっと変わらず存在しているわけではなく、知らぬ間に現れたり、消え去ったりしている。「見慣れた風景の裏側」のイメージをつかむために、いくつか風景の背後に潜む要素を取り出して眺めてみたい。


ゴミ箱のない街

Photo by Jezael Melgoza on Unsplash

日本では、街中に公共のゴミ箱が少ないと言われている。たしかに普段は、ゴミを「持ち帰る」か「商品を購入した店で捨てる」のどちらかが現実的な選択肢だろう。「街中でゴミを捨てない」という感覚は、日常の感覚としてある程度浸透していると言っていいのではないだろうか。しかし、この風景は当たり前のものではなく、複数の要因が組み合わさって生まれたものである。
街中にゴミ箱がない主要な要因として、主に以下の4つが挙げられる。

  1. 治安維持

    • 1995年の地下鉄サリン事件以降、ゴミ箱がテロ対策として撤去された

  2. 維持管理

    • ゴミ回収のコスト負担が大きい

    • 「割れ窓理論」の観点から、ゴミ箱のゴミが溢れた場合、周辺へのポイ捨てが助長される可能性が懸念された

  3. モラル

    • 街中のゴミ箱への家庭ゴミの持ち込みが増え、不公平な利用となることが問題視された

    • 日本の住民はポイ捨てをしない傾向が強かったり、住民やボランティアが清掃活動を行ったりするため、ゴミ箱がなくても街が比較的清潔に保たれてきた

このように要因から、「治安維持」「維持管理」「モラル」といった、複数の要素が絡み合っていることがわかる。
これまでは、ゴミ箱が街中から姿を消しても、比較的問題は生じなかった。しかし、インバウンドの増加に伴い、観光地ではポイ捨てが問題化している地域もある。その対策として、新しい技術を用いたゴミ箱の導入や、ゴミ箱への広告掲載、利用者からの協力金徴収といった、維持管理を容易にし、コスト負担を軽減する工夫が模索されている。

横たわれないベンチ

Photo by Tyler Zhang on Unsplash

公園や広場では、利用者が横になれないような突起があったり、湾曲したりしているベンチが見られる。“通常”の利用——つまり前を向いて腰掛ける——限りは特に問題がないが、横になることは困難だ。これら利用者の行動を制限するような公共の設置物は「排除アート」や「排除オブジェ」、あるいは対象がベンチであれば「排除ベンチ」などと呼ばれることがある。私はこれらの総称として「排除プロダクト」という語を用いたい(※1)。
このような排除プロダクトの背後には、以下のような複数の要因が関係している可能性がある。

  1. 治安維持

    • 泥酔者やホームレスの長時間滞留、若者の深夜の集会を防ぐため、ベンチの形状が一人ずつ座ることに最適化された可能性がある。

  2. デザイン倫理

    • ユーザーの選択の自由を保護するためのデザイン倫理が十分に介在できなかった可能性がある。

  3. 社会保障政策

    • 長時間滞留や深夜の集会が発生する背景に、社会保障政策の不足がある可能性がある。

公共空間の複雑な課題

ゴミ箱がない風景と比べると、この公園の風景の裏側には、より曖昧で複雑な状況が絡み合っているように思える。

たとえば、1の「治安維持」はそもそも実際にこのような目的があったかすら明らかではない場合が多いと考えられる。2021年にTwitter(現X)で話題になった東京都中央区京橋のベンチの制作および突起撤去の顛末を紹介した記事では

さすがに、恒常的な設置であれば、手すりが必要ですよね

出典:「排除ベンチ」抵抗した制作者が突起に仕込んだ「せめてもの思い」. https://withnews.jp/article/f0210713003qq000000000000000W08k10201qq000023319A (2024年9月9日アクセス)

という“声”によってベンチに突起が付けられたと紹介されている。ここでは排除の意図があったかどうかは明確ではない。

2の「デザイン倫理」は、デザインの過程でユーザーの自由な選択可能性が阻害される設計が行われてしまったのではないか、という課題意識である。まず公共の空間では、基本的には誰もが公共の利益に反さない限り、自由に自分なりの過ごし方ができるべきである。ただ、前述したような長期滞留や深夜の集会では席の独占や騒音といった公共の利益に反する状況が発生する可能性がある。しかし、その行為を抑制するため寝そべることができない形状にすると、同時に体調不良の人が休息することができなくなるなど、問題のない行為も同時に制限してしまうことになる。
デザインにおいては、行動経済学的知見と人々の行動を設計するUXデザインの知見を利用し、人々をそれとなく公共の利益に適した選択に誘導することがある。これを「ナッジ」と呼ぶ。 ナッジ理論は、利用者が自由な選択の余地があることを前提にし強制的な制約を避けつつ、人々が無意識に「望ましい選択」を取るような誘導的な環境設計を許容する。このような、選択肢を残しつつ公共の利益に資する方向に人々を導く考え方を「リバタリアン・パターナリズム」と呼ぶ。 しかし、リバタリアン・パターナリズムの考え方にもとづいたナッジにおいても、そもそも「何が望ましい選択なのか」を決定することに一定の恣意性があり、望ましさの決定には非常に慎重な姿勢が求められる。この望ましさの設定に理解が得られなければ、ナッジの行っていることは構造的にダークパターン(※3)と近しいものだとも言いえるだろう。
ベンチに話を戻せば、寝そべる事が難しいような形状のベンチは、まっすぐ前を向いて座るという設計者の想定する“通常”の座り方以外の利用方法を拒絶する。ここではユーザーが選ぶ権利は侵害されており、これは「ハード・パターナリズム」(強制的介入)に近い手法であり、リバタリアン・パターナリズムの原則から逸脱している、すなわち、デザインの過程において倫理的観点が不在であった、もしくは介在できなかったと言えるのではないだろうか。

3の「社会保障政策の不足」とは、そもそもの長時間滞留や深夜の集会といった公共空間での問題行動が発生する背景には、社会的なサポートや福祉が不十分である可能性があるという問題意識である。
たとえば、ホームレスや低所得層の人々が生活の場を失い、公共空間での長期滞留を余儀なくされるケースや、青少年が行き場を失い深夜の集会に参加せざるを得ない状況が挙げられる。これらは、彼らが通常の社会生活を営むためのサポートが不足している結果として、公共空間がその代替的な場所になってしまっていることを示唆している。したがって、席の独占や騒音といった問題を防止するためには、単なる規制強化ではなく、社会全体の福祉やサポート体制の改善が必要なのではないかという観点である。

「厄介な問題」とは

以上、街中や公園のベンチといった日常の風景を取り上げて、その背後にどのような問題が潜んでいるかを考えてみた。いずれの例にしても、特定の1つの課題を解決するための施策や事業が複雑な状況に対する最適解かどうかは分からない。
もしかすると根本の問題は解決しておらず、問題解決を先送りしているだけかもしれない。木で発生した問題を根本的に解決するためには、おそらく森全体を見ることが有効だろう。しかし、森を見ることは簡単ではない。
このように、私たちの暮らしの風景一つひとつの裏側には、容易に解決策を導き出せないような複数の要因が絡み合った問題が横たわっている。このような複数の要因が絡み合った問題を「厄介な問題(Wicked Problems)」と呼ぶ。「厄介な問題」とは、特に社会的な課題や複雑なシステムにおいて、問題の定義や解決が容易ではない問題を指す語である。身近な例として自転車で考えてみると「パンクの修理」や「時速100kmで走る自転車の作り方」などは難易度の差はあれど何が問題でどのように解決可能かをロジカルに検討することができる。しかし「100年後にあるべき自転車」といった問題には客観的な問題定義や正しい解は存在しない。「厄介な問題」の概念は1960年代にホルスト・リッテルとメルヴィン・ウェバーによって提唱され、公共政策、都市計画などで広く用いられるようになった。主な特徴は以下の10点とされている。煩雑になってしまうため、ここでそれぞれの項目についてすべての項目に対して詳細な説明はしないが「厄介な問題」がいかに厄介なものなのかがイメージできるのではないだろうか。

  1. 問題の定式化(正解を決定すること)ができない

  2. 解決した状態を定められない

  3. 解決策は「正解」ではなく「良い」か「悪い」か

  4. 解決の効果はすぐには分からない

  5. 一度きりの試行である

  6. 解決策の数や操作の範囲は無限である

  7. 各問題は本質的にユニークである

  8. 他の問題の症状である

  9. 説明の仕方で解決策が異なる

  10. 解決の計画者は誤りを犯す権利がない (※3)

「厄介な問題」は、その複雑さと多層的な性質から、従来の問題解決手法だけでは解決が難しい課題とされている。このような問題に対しては、一面的な見方からの決定ではなく、多様な視点を取り入れた柔軟な解決策の探索が重要である。このときに有効だと考えられているのがデザインアプローチである。ユーザー中心の視点で試行錯誤を行いながら問題解決を反復的に進めるプロセスが、その複雑性に対応する上で強力なツールとなる。

※1:誰かが何らかの意図を持って設計、生産、設置したものであることを含意する語として「プロダクト」を選んだ。
※2:ダークパターンとは一言で言うと「ユーザーを騙し、人々の判断を誤らせるインターフェイス」出典:総務省「消費者保護ルールの在り方に関する検討会(第53回)」資料 長谷川敦士『ダークパターンとはなにか』p.3 https://www.soumu.go.jp/main_content/000927768.pdf
※3:厄介な問題の解決は試行が必要であり、その試行は現実の生活に対して影響を与えるため、解決を計画するものは失敗に対する大きな責任が伴うという指摘

Part2のまとめ

  • 街中にゴミ箱がない背景には、テロ対策や維持管理のコスト、モラルなどが複雑に絡み合っている。

  • 公共空間にある排除プロダクトは、治安維持や社会保障政策の不足が関わっていると考えられるが、その関与自体も不確かであり何が問題なのかの特定も困難である。

  • 解決が困難な問題は「厄介な問題」と呼ばれており、その解決にはデザインアプローチを用いた柔軟で反復的な手法が有効と考えられている。

参考文献

希望としての政策デザインの記事


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