小二の孫と
現在小五の孫には、言葉もろくに解らない頃から、駄洒落を言いまくっておりました。
先日、長男夫婦と長男夫婦の次男(小五長男は、祭りに参加したいと自宅に残った。思春期の始まりか?)と、長男の友人と当地で夜に会う為に訪れました。実は、急に亡き妻の儀叔父の葬儀があり長男は、前日に訪れていました。
帰宅する朝、孫が両親より早く起きてきて、朝食の支度が終わった私と、テーブルを挟んで向かい合って座りながら、私の横に置いてあったコーヒーミルを持ち出しハンドルを回しながら
「これ、お兄ちゃんが、欲しいって言てた」。
「欲しければやるよ、持って行く?」と、話している中、
「おじいちゃん、きたない」(暫く使ってないので、埃が付いている事は、承知している。)
「キタナイ?北ならばあるよ。あっちが北で、こっちが南」
「ジャなくて、これがきたない(ミルを指しながら)」
「これ(ミルを指して)これにも、北はあるし、こっち側は東、あっちが西」暫くおいて、「ほこりが、きたない」
「お前さ、こう言う言い方は、聞いた事ない?(胸を叩いて)自分に誇りを持てって」
「きいたことは、ある」
「あるだろ?埃にも誇りがある。その言い方は、埃に対して、悪いと思わないか?」
「そうじゃなくって、これにほこりが付いていて、きたない」
「そうか、おじいちゃんは、お前の言いたい事がやっと解った。」
この時期は、未だ未だ、文章としてしっかりと、構築して話せない時期であると思う。以前、大阪府出身の児童文化研究家「吉岡たすく」氏が、小学校3年~4年生は、「ギャングエイジ」と呼ばれ、頭(頭脳)の大工事期と言っていた事を、覚えていて、ヨガの教室に母親と一緒にヨガをしていた子供達を、見ていて、このギャングエイジに関して、「その通り」と、思っておりました。其れは、何故かというと、ギャングエイジ前後は、片足立ちは、しっかりとできていても、このギャングエイジに入ると、片足立ちが、極端に不安定になります。
この時期に、様々な刺激を与える事は、とても良い事だと思っております。小学校高学年までは、持久力や、同じ筋肉ばかりを使い過ぎる事、筋力増強等のきついトレーニングは、身体を壊す(使い過ぎによる野球肘等)。小学校高学年までは、できる限りの多くの筋肉に刺激を与える事が大事との、事でもあるので、ヨガの様な、きつい運動ではなく、できる限り様々な筋肉に刺激を与える運動(呼吸筋には、特に良い)が、良いと確信しております。この事は、我が子の成長を見ていて、確信しています。小学校高学年~中学校、特に小学校高学年ころは、私が、幼い頃より病弱で小さかった事もあり、我が子達も、それ程大きくありませんでした。その為、それ迄は、ケッコウ足も速く、運動神経にも自信を持っていた我が子は、相対的に体力が、劣ってしまっていた時期に、自信を無くしておりました。
しかし、高校に入り、身長も体格も成長してきた時に、ヨガを、嫌々ながらだったかも知れませんが、続けてきた影響が、出て来ました。
多くの同級生達は、野球教室、サッカー教室、水泳教室等で、スポーツを、
経験してきてきた存在ばかりです。我が子達は、遊びのクラブで、夏は磯で潜って貝獲り、野山での様々な物を採集、年代の違う子達との真剣な「缶蹴り等の鬼ごっこ」この様な事だけしかしてこなかった我が子達は、体力測定、運動能力テストにおいて、殆ど、Aランクを、得る様になりました。
学力的にも、体力面と同じ様に、様々な経験をさせる事が、良かったと確信しております。(栄養面も)
そこで、我が小二の孫に戻ると、そろそろギャングエイジに入る頃でもあるし、現在は、単語でしか、気持ちを伝える事が出来ない状態の子に、遊びながら、言葉を伝える方法を、教える事、方法を、体験させてみました。
どうしてこんな事を敢えてしたかと言うと、前日に私の次男の子(孫=年中)と、長男の次男と母親が来る前に、家の前の余り車の通らない道路上にチョークで絵を描き、絵とは、道路と線路、建物。前日にこの孫の誕生日がクリスマスと、とても近いので、近い時に好きな物を選ばせていると言う次男が、子供と相談で買った、組み立て式のブロックで作る消防車を、前の日に作ったので、私に見せたいと来ていましたので、インフラを描き、火災を描き、消防車で消火するという遊びの為の絵です。
この様な時に長男の妻と孫が、来て孫二人と私の長男、次男と五人で遊んでおりました。その中、長男の小二の孫が、以前は、大好きなDr,イエローを、物凄く簡単に描いて、(以前は大好きだったからかなり描き込んでいたと、夜に言てました)次男の孫と同じ位の画力で、遊んでおりました。
その日の夜に、長男と酒を飲みながら何時も通り様々な事を飽きもせずに話している中、長男が、小二の息子に、要約すると言語力を付ける為に、「どうして?」と追求していく等の話をしたので、私は、「余り焦らずに対処していった方が良い。」等、様々に話していく内に話は、ドンドン大きくなり、チョット収拾が付かなくなったので、「この話は、これで終わり」と、強制的に終了致しました。その話の中で、「サバン症候群」で、言語力がとても劣っているけど絵画の描写能力が、優れていた若い女性に言語能力を、付ける訓練をしている内に、絵画の描写力は、極端に衰えてしまったという事、フランスの洞窟に描かれた古代の壁画の優れた描写力は、言語の発達に連れて衰えてきた等の話を致しました。
此れ等の事を、考慮して見ると小二の孫の状態は、ギャングエイジ、絵画の描写力と言語能力等の相関関係が、混ざり、その上、大好きなサッカーチームができ、頭の中は、このチームの事ばかりになって(チョークで絵を描いている時にも、そのチームのホームグラウンドを、描き込んでおりました)いる状態では、「長男も親になり子供のいく末が、心配になって(長男は、口から生まれてきた様な子でした)しまったのか?」と、思ったので、「言葉も遊びながら教えていって見た方が良いのでは?」と、してみた次第です。
小学校二年生で「防災士」の資格試験に受かり、同級生にも理解できる様に、夏休みの自由研究で、資料を作成した子のNEWSを、報じておりました。この、NEWSで報じられた子は、物凄い言語能力を、有しておりました。子供の能力には、とても格差も、育つ時期的な格差もあります。その子その子に合わせて、其れ其れに合わせて、その時に一番栄養になる方法で、接していく事が、とても大切だと、私は、ここまで生きてきて感じております。