姉妹

姉のことを少し書かせてもらう。

のんびり読んでほしい。

私の姉はもう死んでしまったが、とてもいい姉だった。
26年という短い人生だったが、姉にはたくさんの友達、先輩、後輩、親友がいた。
とても慕われていた。
私とは大違いだ。
どうしてこうも姉妹で違うものか、不思議でならない。

小さい頃は喧嘩ばかりだったが、私が高校生になったくらいから一緒に出かけたり
旅行に行ったりした。
私は友達がいないから、姉の存在は大きかった。
どこに行くのも一緒だったから。
姉は時間がないなりに、私との時間を作ってくれた。

もちろん、たくさん思い出はあるんだけどやっぱり姉が病気になってからの記憶は強い。
5年生存率が5%と言われてから、姉との時間を大切にした。
姉が死ぬなんてこと想像もしてなかったけど。
生存率の話なんてされたら、やはりいろんなことを考えてしまう。

姉の病気の診断を聞いた時、私が一緒に診察室にいた。
泣き崩れる姉に、
大丈夫。大丈夫。
しか言えなかった。
憧れのニューヨークへの留学が目前だったこともあり、相当ショックだっただろう。

それから姉は、留学をとりあえず中止し治療に専念した。
辛い抗がん剤や、激痛を伴う骨髄検査など弱音ひとつも吐かずに成し遂げた。
本当に強い人だった。
私だったら、治療なんてごめんだ。

長い入院生活。
私は少しでも姉の暇つぶしになればと、毎日見舞いに通った。
皆勤賞だ。
これが仕事に活かせないものかと切に思う。

ゲームをしたり、お茶を飲んだり、おいしいと噂のコンビニスイーツを食べたり、自分のお尻のにおいをかいで失神するチンパンジーの動画を見たり。
病院でもいつもと変わらないように過ごした。

入退院を繰り返しながらも、姉は生きた。
三年半という長い時間、病気と闘いながら。

そうあの日は、冬晴れで病室の窓からは富士山が綺麗に見えていた。
抗えない運命に吸い込まれていくように、姉は眠った。

姉の骨を私はいつか、ニューヨークに連れて行きたい。
また、姉と旅行がしたい。

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