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『新・女工哀史』 第一シフト:弁当工場

『新・女工哀史』
第一シフト:弁当工場


第1幕

私の母は頭が固かった。

二人で料理を準備しながら、海外ボランティアの話を切り出した時から、母の眉間にはシワが寄りっぱなしだった。

そんな母の不理解な態度に私も苛立ちを強めていた。二人だけの食卓で、私は今の大学生にとってインターンや海外ボランティアが当たり前になっていること、そしてそのために休学するなんて普通なのだと、ほとんど喧嘩腰に喋り続けていた。

「だから私も、もっと広い世界を知りたいからこのボランティアに参加したいの」

私はスマホの画面に映る『メイクチルドレンプスマイルロジェクトinバングラデシュ』のHPを母に見せた。

その写真にはプレハブ校舎と劣悪な環境のなかでも屈託のない笑顔を見せる現地児童の姿があった。母はその子供たちの笑顔に更に顔をしかめた。

「色んなことに挑戦するのは応援したいけど、わかってる?代々うち、本村家の女子は教職、男子は三井財閥の企業に務めると決まっているのよ?休学なんかして、社会に出るのが一年遅れたら…何かと不便もあるだろうし、しかもバングラデシュだなんて…許せません」

母は案の定反対した。そこで私は準備していた通りこう答えた。

「最近は教員の採用面接でボランティア経験や海外経験も聞くらしいし、こうした海外ボランティア経験があれば有利になるから参加するの」

母は何も言い返せず、黙々とホームページ上の案内文を読んでいた。

「この参加費50万円はどうするんですか?」

母は募集要項の参加費の部分を指差し、私に問うた。

「もちろん、自分でアルバイトして稼ぎます」

私は決意を込めて母を見返した。母は不安そうに、「勉強に支障がでないかしら…」、とぼやく。

「でも、アルバイトで、こんな大金稼げるの?」

母はまた、不安そうに質問を続けた。そこで私は、反対されることはわかっていたがこう答えた。

「派遣で日雇いのバイトする」

「絶対だめです。女の子が日雇いなんて、みっともない!」

“日雇いのバイト”

母はバングラデシュよりむしろこの言葉に強く反対した。

私の住んでいる地域ではこうした派遣の日雇いバイトが一般的なバイトより一日の労働時間が長く、時給もよかった。

それは主に繁忙期の工場や、スーパーの売場スタッフ、チラシ配りなどの仕事だった。

私の大学の先輩もこうしたバイトを通して、資金をためて海外留学に行っている人たちが多くいた。

「日雇いなら色々な仕事の経験が出来るし、なによりお母さん、この派遣会社では、現場監督から最も優秀な派遣社員、『ベスト・パフォーマー』として選ばれれば、派遣会社の朝礼で表彰されたり、時給が1.2倍になるらしいよ」

監督から認められて、ベストパフォーマーになる、この言葉に母はすこし反応した。

母も私も負けず嫌い、というより競争心が強い人間だった。そして私は先生、監督、教授と言った指導者から高い評価を得ることを何よりの目標としていた。

それは私の母が小学校教員だということに起因していた。私はその母から、学校という集団生活を勝ち抜く術を、授乳期から厳しく教育されてきた。

「将来は優等生になろうね~」

母はミルクとその言葉を与え、私を育てた。

優等生、幼い私にその言葉の意味は分からなかった。しかしその概念は「誰よりも点数が高く、正しい姿」、なのだと私に刷り込まれていった。

そのため、保育園入学時から今まで、“優等生”という称号を得るため、私はあらゆる努力を行ってきた。

その努力の成果は、「成績優秀者」「模範生徒」「全校生徒代表」として、先生に名前を呼ばれ、クラスの全員の前で称賛されることで結実する。

これこそ私にとって最高の報酬だった。私は私が「優等生」になった時、あのめくるめく喜びの数々を思い出す度、今でも胸を熱くさせることが出来る。

思い出のなかで「先生」は私の名前を呼び、教壇の前へと招く。

「紗和ちゃんの作文がコンクールで銀賞に選ばれました」

いつも先生に呼ばれ教壇の前に出ていく度、私の脳は報酬系ホルモンを吹き出した。

「皆さんも、職業体験のレポートは本村さんのものを参考にするように」

そして先生の傍らに立ち振り返る。次の瞬間、クラス全員の視線を受ける。

すると、報酬系ホルモンに満たされた私のドーパミン受容体は、まるでガソリンに火をつけたように、一瞬で爆発的な喜びに包まれる。

「我が校の代表は本村紗和さんにやってもらうことになりました」

そう私を称賛する先生の隣に立ちながら、脳内で行き場を失った報酬系ホルモンは濃度をまして、一瞬の気の緩みと同時に、決壊したダムから解き放たれるように脊椎へと下って行く。

それは尾てい骨あたりに達すると、跳ね返り、再びドーパミン受容体へと返ってくる。この喜びの反復に、私は優等生として顔色一つ変えず皆の前で耐えるのだ。

「まぁ、頑張って働いて、現場監督に認めてもらったら、それで時給1200円になるの?そんなにもらえるなら普通のバイトよりいいけど」

小学校教員の母にとって、そして私にとって、「真面目に働き、指導者に認められ、ベストパフォーマーになる」という図式はとても理解しやすかった。

「だから、いいでしょ?今から働けば来年の今頃には50万円たまっていると思うし、逆に今始めないとチャンスがないの」

そう、再び母へ強く懇願した。「でもね…」、と母は伏し目がちに、おし黙っていた。

私は、私の後押ししてくれない母に、何より自分自身の現状にもどかしい思いを感じていた。

現状を変えたい、というのが今回海外ボランティアに行くモチベーションの根底にあるのかも知れない。

現在私は地方有名私立大学の三年生だ。本来の予定では来年は教員実習に参加しなければならない。これが終われば、その翌年から教員としてどこかの高校で働くだろう。

「教員になる」、ということに大きな不満はなかった。しかし、この大学生活を通して私はまだあの喜びを感じていなかった。

私はゼミや学生会の活動などを通して、教授や職員からしばしば褒められることもあった。

ただ、大学で最大の称賛を受けているのはいつも「海外インターン」や「起業」、「一流企業の内定者」といったタイプの人間ばかりだった。

彼らのなかには、普段は飲みサーで暴れ、人に迷惑を駆けているようなタイプや、大学の単位もロクに取れないような人間もいる。こういった人間は、私のような義務教育的優等生と全く違うタイプだった。

どうしてあんな奴らが私より評価されるのか。いけ好かなかった。どうして私じゃないのか。

私はこれからの人生においても、あんな奴らの後塵を拝し続けるのだろうか。なにより、また“あの感覚”を味わうことが出来ないのだろうか。不安で仕方なかった。

あの、ドーパミン受容体の爆発と報酬系ホルモンの激しい循環による反復、喜びが骨髄を満たし、まるで燃えた鉄柱のように私を貫く、あの感覚を。

「私は誰にも負けたくないの!」

私は思わずそう感情的に訴えた。母は少し眉間のシワを解いた。

「わかりました」。

母は小さな声で答えた。

「だけど、わすれないでね。うちの家の代々女子は教職、男子は三井財閥の企業に務めると決まっているのよ」

母はまっすぐ私の目を見て、そう念を押した。

#####

早朝の駅北口バス停には、中国人、ベトナム人、そして大学生やフリーターが集まっており、彼らは一様に疲れた顔をしていた。

ここは今日の現場に向かう派遣社員の集合場所だった。私がここに到着した時、ちょうど出勤者確認が始まった。

「本村紗和さんですか?」

グループのなかで一人だけスーツを着ている若い男が私の名前を呼んだ。

「ハイ」、と答えると男は何かリストのようなものにチェックマークを入れた。

そして、「今日は初めてですよね?じゃあ、分からないことがあればこのベテランの森田くんに聞いてください」と、私に伝えた。その後すぐ、忙しそうに電話をかけ始めた。

初出勤日なのにこの雑な扱いはなんだ。私は憤りを覚えながら紹介された男に挨拶した。この人が「現場監督」かもしれない。

「よろしくお願いします。本日からお世話になる本村と申します」、私は緊張しつつ彼に挨拶した。

「よろしくー、え、もしかして〇〇大の人?学部どこ?」、森田くんと呼ばれていた男はいきなりそう聞いてきた。

私がこの質問に答えると、彼も同じ大学の同級生だという。なんだ、現場監督じゃないのか。私は緊張して損をしたと思っていると、今日の仕事場に向かうバスがやってきた。

「俺たち派遣は一番後ろの席から座るから」

と言う彼に促されながら、成り行きで彼の隣に座ることとなった。

職場までの移動時間、彼は今日の派遣先のついて簡単に説明した後、就職活動について話し始めた。

この男、森田は私と同じく今月から三年生だと言う。そんな彼との話題はもっぱらこれから始まるインターンシップについてだった。

「俺来月から知り合いの会社でインターンするんだよ。なんかその会社さぁ、最近ヘルステック系のサービスをローンチするんだけど、俺そこではユーザービリティ改善のチームにアサインされる予定なんだよね。実は2年の時も人材系サービスのスタートアップにインターンとして参画してて、そのせいですでに単位がヤバいわ!」。

と、すらすら横文字を使いインターンの内容を語る彼に、私は強い劣等感を感じていた。積極的に課外活動に参加している風の彼は所謂、意識高い系、つまり大学生活において最も評価されているタイプの学生かも知れない。

高校時代まで私に与えられていた学校や先生からの称賛はすべて彼のような学生に奪われている。

彼はおそらく私と似たような学力の高校の出身だろう。そして同じ大学に入り、同じく2年間の時を過ごした。

しかし、彼はすでに私が全く知らない世界について、私よりはるかに詳しく、先を進んでいるように思える。

私のこの2年間はなんだったのか。私は授業に必ず出席し、提出物を期限通り納め、テストで高得点を取るため努力を惜しまなかった。それにより私は一つとして単位を落とさなかっただけで、誰も褒めてくれなかった。

しかも、彼の話からすると、彼は普段私が見下している「単位もロクに取れてない学生」だ。

しかしその内実は、課外活動に多くの時間を割いた結果、「就職」という次のゴールを目指す上で、私より遥か先を進んでいる。

反面、私は学校のこと以外何もしらない。

“こんな奴に!!”

私は彼に対して、おそらくインディアンが旧大陸から来たコンキスタドールに感じた恐れと、同じだけの怒りを感じた。その時ふと彼が私に質問した。

「本村さんはインターンとかするの?」

私も負けてはいけない。そこで私は教職志望だからと前置きした後、しかしこれからの時代は広い視野をもつことが重要だということ、それを教員として子供に教えられるよう、この派遣でお金をためて、来年は休学してバングラデシュへボランティアに行く計画を話した。

そもそも彼と私は歩む道が違う。だが、私だってただ平凡な教師になるわけではない。そんな自負があった。

その私の思いを、彼は一蹴した。

「ああ、それってよくある海外インターン系の仲介会社がやってる現地企業とのマッチングビジネス?ターゲットとしては意識高い系で高校時代優等生だった系の学生かな。絶対自分で探したほうが、渡航費とかも安いよそういうの」。

私は言葉に詰まった。ビジネス?自分で探す?私は純粋にバングラデシュの子供たちの力になりたかった。そして、その経験を活かしたいだけだった。

私は咄嗟にマッチングビジネスってなに?と彼に聞こうとした時だった。

「ついたよ、急がないといけないから着いてきて!」

彼はそう言うと、私はふと我に返った。

「丸岡フーズ第三工場」

バスはちょうど、工場名が掲げられている門扉をくぐっていた。

ここが、今日私が働く現場。

バスはぐるりと、工場施設の入り口前にあるロータリーを周り停車した。

ロータリーの中心には、おそらくこの会社の社旗とそれより一段高い位置に、日の丸が風にはためいていた

第2幕

バスが停車するや否や、中国人、ベトナム人、そして大学生やフリーターからなる乗客は一様に立ち上がった。

そして、下車すると皆小走りで従業員入り口へと駆け出していく。

「着いてきてよ」

そう言うと森田も急ぎ下車し、従業員入り口に入り、「派遣」と書かれた名札を取り、靴を履き替え、髪キャップとマスクを装着し、作業服を受け取り、袖に手を通した。

私はそれに慌ててついて行き、気がつく頃にはすっかり食品工場の作業姿になっていた。

朝7時55分、私達派遣社員はエアーシャワーを通りホコリを落とし工場内に入った。

そして、「弁当レーン」と上から札が垂れ下がっている場所に集合させられた。

そこに細長い作業台があり、その台の前で数名の衛生服を来た職員が黙々とお弁当容器に惣菜を詰め込んでいる。

作業台の右端の人間が弁当の容器を出し、それを左に流すと、次の人間が白米を計量し弁当箱に入れる。

そして次の人間がお惣菜をいれ、またパスし、最後の左端の人間が蓋をしてダンボールに梱包する。

この一連の流れ作業が今日の仕事なのか。私はしばらくそれを見ていた。

すると作業室の奥から一人、メガネをかけた初老の男が私達の方へとやってきた。周りの職員と違い、一人だけ淡黄色の帽子をかぶっている。

「あれ、今日も人数すくなくないか?毎回これだと困るんだけど」。

その男は今朝私達の出席確認をしていた派遣会社スタッフに強めの語気で文句を言っている。派遣会社スタッフはそれにただ頭を下げている。

「あれが、現場監督」。

私は、一瞬で場の上下関係を悟った。昔から、だれが一番偉い人間か瞬時に見極められる能力があった。『優等生』という評価を得るためにこの能力は役にたった。

ただ、今回の現場監督の第一印象は非常に厳しい人に思えた。なぜ派遣会社スタッフは今怒られているのだろうか。

おそらく彼がやるべき仕事をしっかりやっていなかったからだろう。自業自得だと思い、私はそれを見ていた。

「はい皆さんおはようございます」。

現場監督は私達にそう挨拶した。「おはようございます!」、私は反射的に誰よりも大きな声でそれに答えた。咄嗟に反応してしまい、しまった、と思った。

「おお、今日は元気な娘もいるな、君新人?名前は?」

と、現場監督は笑いながら私に聞いた。

「本村紗和と申します、よろしくおねがいします!」

私はそう答えた。現場監督はわかったと言うと、向き直り今日の業務の説明を始めた。

変に目立ったことは恥ずかしかった。だが、序盤から現場監督に名前を覚えてもらえた。これは模範学生として市の職員に褒めてもらえた中学2年生の時の課外研修と同じ展開だ。おいしい、これはおいしいぞ。私はお尻の後ろで小さく手を握締めた

「本日はいつもどおり、昼配送予定のお弁当、あと今週から食品点数の多い彩り弁当も入るから派遣さんにはそれらを担当してもらいます」。

そう言うと現場監督は、「君と君はハンバーグ弁当、君は唐揚げ」、派遣社員へと無作為に持ち場の指示を出し始めた。

「君とベテランの森田くんは彩り弁当ね」

わかりました!と私は返答した。そしてすぐ私はキッと森田の方を向いた。彼も名前を覚えられているのか。元来、私は競争心、というより闘争心が強い人間だった。

この工場のなかで、私が現場監督から一番の評価を得なければならない。この目的を達成する際、彼が邪魔な存在になると私は本能的に察知した。

またバスの中で、こんな単位もロクに取れていないやつに完全にマウント取られたことが許せなかった。

内容を知らない癖に、「バングラデシュ子供笑顔プロジェクト」、のことをなんとかビジネスだと知ったように批判しやがって。この落とし前をつけなければならない。

「うわぁ、一番ダルそうなところに配属されたわ」。

と森田は再び知ったような口を聞いていた。

「何をすればいいか教えてくれない?」。

と私は彼を睨みつけ聞いた。

彼のことは気に食わない。しかし彼に聞かなければわからないので、私は彼に着いていった。

彩り弁当のレーンには5人のスタッフが配属されていた。ここも他と同様で、容器の準備、具材の詰め込み、パッキングと担当が振り分けられ、流れ作業をしている。

「この完成図と指示書を見ながらお弁当を詰めていくんだけど、今回は俺がこの筑前煮と筍とキャベツを担当するから、本村さんは唐揚げと人参と、あとレモンとそのタルタルソースの小袋をいれてもらえる?」

森田は私の教育係を気取りそう偉そうに指示する。しかも、なぜ私が彼より多く具材を担当しなければならないのか。だめだ、我慢できない。私の怒りのボルテージがグツグツと高まり始めた時、仕事が始まった。

森田はさすがベテランと言われるだけあって慣れた手付きで、筑前煮などの具材を弁当容器に詰め込んでいく。

彼は自分の作業が終わると、すぐその容器を私の方へパスする。慣れない私は個数などを確認しながら具材を入れ込んでいると、森田はまた新しい容器を完成させ私にパスする。

しばらくすると、私の右側に私の分の詰め込み作業を待つ弁当容器がたまり始めた。それは無様に列をなして私を待っている。彩り弁当レーンはベテランが多く、私のところでのみ滞留が起こっていた。

「先生、ユウトくんがまだプリントを書いていません」、「じゃあ皆で待ってあげましょう」。

小学生時代、いつも作業が遅く周りを待たせる同級生がいた。私はそんな彼を心のなかで見下していたことを思い出した。

なんでこんな事も出来ないのかと。ただ、私は優等生として、先生に言われたとおり休み時間のチャイムがなっても彼を待っていた。皆を待たせている彼の背中に侮蔑の視線を送りながら。

しかし今この現場では、私があの時のユウトくんになっているのではないか。そう思うと恐怖で更に手が覚束なくなった。

ふと、右隣で梱包作業をする職員が私をチラチラと見ていることに気がついた。「早くしろよ」、と言いたげな視線には、あの時の私と同じ侮蔑の色が含まれているように思えた。

彼に見られる度、私はまるで熱せられ赤く発光する「劣等生」の焼印を身体に押し付けられている気分になった。その苦痛に悲鳴すら出そうだった。

“死中に活路を求めなければ”

この状況に私は、自身の脳が急激に収縮と拡張を繰り返す感覚に襲われた。

その時だった。すべての動作がスローモーションに見え始めた。なんだ、これは。

そう思い見渡すと辺りがいつもより鮮やかに見える。ふと目に入った蛍光灯の光が眩しく、私は一瞬視界を奪われる。

音すら明瞭に聞こえる。4つ右隣の職員が容器を箱から取り出し、カッカッカッとリズムよく並べられる音。森田が筑前煮を衛生手袋越しにつまみ上げる時、その握力で具材がグチャッと潰れる音。その匂い、その感触、彩り弁当のすべての工程が五感を介して、私に流れ込んで来た。

そして、左端の職員が梱包を終えたダンボールを最後がバンっと叩く音に私は我に返った。

今私がすべきことは。私は目の前に置かれている弁当完成図を見た。そして、瞬時にあることに気がついた。

「森田くん、これ量バラバラじゃない?この容器の筑前煮は100gで、キャベツは80gだから、ちゃんと指示書をまもらないとだめです」。

私はそう言って、森田が入れたキャベツを掴み計量器に放り込んだ。すると確かにそれは80gではなく、92gだった。

「プラマイ10くらいの誤差だった良いんだけど、まあ、こういう点数の多い弁当はそこまで厳しく見ないらしいから気にしなくてもいいよ」

と森田は私に言う。私はこういった自分の誤りを認めず、言い訳を言う人間が大嫌い 。

「でもこれは10g以上じゃないですか!こういうのは良くないと思います!」

私は思わず、強い語気で反論した。

「どうしましたか?」

左隣りで作業をする、私に侮蔑の視線を送っていた職員が話しかけてきた。彼の襟首には、他の派遣には無いマークがついている。おそらく、社員だ。

「金本さん、彩り弁当って不自然じゃなければ具材の分量って厳しく見られないんですよね?今までの量で問題ないですよね?」

そう森田は馴れ馴れしく社員と話している。

「う~ん、、最近検査も厳しいし、今ここに作ってあるやつだけ全部チェックしてみて!」

社員がそう言うと、森田は素直に私の右に溜まっている弁当の具材の再計量を始めた。

形勢逆転である。

私はこのスキに具材の配置を最適化し、今後の作業に備えた。

私の指摘は想定外の効果も生んだ。森田の担当はキャベツや筑前煮などグラム数の決まった具材が多い。そのため、今度は森田の作業が滞り始めたのだ。

私は自身に押し付けられていた「劣等生」の焼印を、勇気ある行動で掴み取り、それを森田の方へ押し当てることに成功したのだ。

「森田くん、遅れている分は私が手伝います!」、とこの彩り弁当班を監督する社員にも聞こえる声で宣言し、彼の作業のサポートも行うようになった。

そうこう、3時間程たった時、現場監督がやって来た。

「もうここいいから、森田くんと新人は惣菜に行って」

「はい!」、と私はいい声で返事をした。

「船島さんのところですか?」、彼は私に作業を手伝って貰っているにも関わらず、また知ったようにそう答えた。現場監督は今、この新人がベテランの彼を手伝っているとは知らない。しかし私はその事をアピールしたりしない。優等生としての評価を得るためには、こうした陰日向の積み重ねが重要だということを私は知っている。

「本村さんよかったね、惣菜部門は一部自動化しているし、楽だよ」

そう、言いながら森田は私を先導し惣菜部門へ連れて行く。そんな楽な仕事をしていて評価が下がったらどうしよう。私は一抹の不安を覚える。

「第一作業室」

と書かれた部屋に入ると、そこにはベルトコンベヤがあった。

コンベヤの上にはプラスチックパックに入った鳥の照り焼きが流れている。その上流に目をやると調理された照り焼きをプラスチックパックに入れるための機械とそれを調理する長方形のオーブンのような機械があった。男が一人、その機械と機械の間に、ただ呆然と立っていた。

第三幕
「船島さん」

森田がそう呼んで、ようやく男は私達に気がついた。マスクと衛生帽により目しか見えないが、その顔は疲れていた。

「あれ、こっちにまわされたの?じゃあ鮭と塩サバ取ってきて」

彼はそう指示を与えてきた。襟首には先程の社員と同じマークが付いている。おそらく彼も社員なのだろう。そこで私はやる気を見せようと思い、「わかりました、どちらに取りに行けばよろしいですか?」と彼に質問した時だった。

「見てわかるだろ!今動けないから、森田や他の社員に聞けよ!!」

と口を荒らし私に言った。

一瞬のことに私は思わず「は、はい!」と答え森田の方へかけて行った。

私は何か間違ったのか。仕事を教わろうと聞いただけだ。今まで私がわからないことを質問した時、大人は皆親切に答えを返した。むしろ喜んで教えてくれることが一般的だった。

「ごめん、ちゃんと伝えられてなかったけど、あの人、夜勤明けの時はピリピリしててすぐああ怒っちゃうから。仕事はなるべく僕に聞いてくれればいいし」。

森田はそう、私に耳打ちする。この言葉に私は、彼が私を見下している空気を感じ取り、再び苛立ちを覚える。

森田と私は冷凍の鮭とサバの切り身が入った箱を台車に載せ、再び船島さんのもとへ戻ってきた。

それを確認すると船島さんは、森田にプラスチックパックを取りに行くように命じた。私はこの男と二人きりになった。船島さんは相変わらず、長方形のオーブンと自動パッケージングの機械との間にたち、下を向いて何か考えている。

「あ、あの…私は何をすれば…」

私はそう思い切って質問した。すると彼は俯いていた顔を上げ、暗く焦点の合わない目で私を見た。

「お前さっきから、ごちゃごちゃうるさいぞ、黙ってろ。こっちは今段取り考えてるんだから。夜勤からの残業でイライラしてんのに、わかった、お前はここで持ち場見てろ」

そう言うと、彼は向こうから回って入ってこいという風のジェスチャーをした。

私はそれに促され、駆け足で彼の持ち場に行った。駆けている途中、私はこの船島という男に対して、明らかな怒りを自覚していた。私は闘争心の強い人間だった。

「俺はこれから他のラインのセットをするから、お前はここでみとけ」

と彼はそう言い、早々に持ち場を後にしようとする。

「ちょっと待ってください。私は今日が初めなのでわからないので何をすればいいか教えて貰っていいですか」

こういう相手には、むしろはっきりした態度を示さなければならない。私は船島の目を見てそう言った。

彼はその態度に少し臆したようで、「ええと、あれだ、オーブンから出てきたモノのなかに、時々、向きが、ズレてるものがあるから、それを直すんだよ。そうしないと、この機械がちゃんとパッケージング出来ないから」。

私はわかったような、わからないような気になった。彼はそう言うと、振り返り隣の停まっているベルトコンベヤの方へ歩いていった。寝不足なのか、フラフラした足取りだった。

私は不承不承、機械と機械の間に立ち流れてくる照り焼きを見つめた。しばらくするとすぐ、この仕事は今日はじめて担当する私がやろうが、社員の船島がやろうが関係ないことがわかった。ここにいる人間に求められていることは、機械が起こす千に一つくらいの間違いを発見し、指先でちょんと触り直すくらいだった。

「製造業は皆の暮らしを支える大切な仕事」、と義務教育時代の授業で習った記憶がある。

当時の私は工場での仕事はすごい技術を持った専門家による仕事なんだと、漠然として印象を抱いていた。

しかし、この船島がやっている仕事はどうだ。なんの訓練もなく出来る。きっと彼は勉強を頑張らなかったから、こんな仕事にしかつけなかったのだ。

私は中学時代に従業中騒いだり、あまつさえ喫煙を行い先生に迷惑を駆けていた生徒たちのことを思い出した。きっと船島はあの生徒たちの成れの果てなのだろう。バングラデシュには勉強をしたくても出来ない子供がたくさんいるのに。

そう思った時だった。背後から船島が叫ぶ声が聞こえた。

私は驚き振り返ると、船島は生産ラインの緊急停止ボタンを押して、ぜぇぜぇと息を荒げていた。

「どうしたんですか?」と私が聞くと、船島はなんでも無いから作業に集中しろと吠える。私はふと彼のラインの下流に目をやると、なんとパッケージングされていない焼鮭が直接ベルトコンベヤの上に並んでいるではないか。そしてそれは最下流部の、本来であればパッケージングされた鮭が収まっているダンボールのなかでグチャグチャの山になっている。

彼はその前で頭を掻きむしり右往左往していた。そして私を呼んだ。

「おい、ちょっとそっちを止めてこっちに来い」

その頃になると私はなんとなく状況を察していた。おそらく、睡眠不足で集中力を欠いた船島は、何らかの設定を間違えていた。それにこうなるまで気が付かず、ぼーっと流れてくる鮭を指でちょんと突いて方向を直していいたのだ。そう思うと私は吹き出しそうになった。

「今からまだ使えそうな鮭をこっちに集めて、もう一度パッケージングマシンに通すから手伝え!」。彼はそう言うと、大きなパッドを指差した。

しかし、本当にそんなことをしていいのだろうか。ダンボールの上とは言え、下に落ちた食材を再び商品として出すことに私は強い疑問を覚えた。

「え、でもそれは…」と口籠る私に彼は語気を強めた。

「いいから黙ってやれ!この工場だと昔からこれくらいは許されるから。だいたい俺ら社員はお前らバイトと違って大量に廃棄を出してしまうと減給されるんだよ!」

つまり彼は、減給されるのが嫌でミスを誤魔化そうとしている。私が一番キライなタイプだ。

「いえ、それは出来ません!」

私はきっぱりと断った。「なんだとぉ!」、彼はマスクと衛生帽の隙間から見える寝不足の目を真っ赤にして怒鳴った。

「俺が何ために夜勤残業までしてると思ってんだ!お前ら学生バイトと違って、こっちは生活がかかってるんだよ!!」。

この言葉は更に私の血を頭に昇らせた。私だって遊ぶためだけにバイトをしているわけではない。バングラデシュの子供たちを支援するため、こうして一生懸命働いている。

そもそも普段から貯金していれば生活のためのお金に困らないはずだ。今回のミスと同様彼自身の怠惰が招いた結果なのだ。

「現場監督に言います!!」

そう言って私は振り返り走り出した。「待て!!」、と叫ぶ船島を置いて、先程の弁当製造を行っていた部屋へ向かった。

「現場監督さん!大変です!」

一人だけ黄色い衛生帽をかぶった現場監督が、その言葉に振り返った。


####

その後、現場監督により船島の悪事はすべて明るみに出された。

当初船島はああだこうだと言い訳をしていた。そしてあまつさえ、「俺は片付けを頼んだが彼女が誤解をした」、とまで言った。

「本当なのか?」と現場監督は私に聞いたとき、「嘘です!」と私ははっきり答えた。

すると激昂した現場監督が「お前またか!!今度同じことしたら工場から追い出してやるっていったよな?」と船島に掴みかかった。

この部屋の奥で別の持ち場についていた森田は、その騒ぎをなるべく見ないように作業を進めていた。

“第一直の勤務時間終了です。本日もお疲れ様でした。各自に生産管理室に集まってください”

あの騒動の後、私が別の持ち場で葉物野菜の洗浄を行っていた時、第一直終業のアナウンスが流れた。私はふぅと生きを吐いた。単純労働とは言え、なかなか大変な仕事だった。この仕事を毎日するのはしんどいだろう。そう思いながら、アナウンスに従い生産管理室に向かった。

そこには今日私と同じ派遣会社から来たスタッフと、パートのおばさんや現場社員が十数名集まっていた。船島は夜勤の残業が終わったのか、それとも問題を起こしたせいで帰らされたのかわからないが、その場にはいなかった。


生産管理室の隅にはパソコンが数台置いてあった。そこで事務作業をしているのは、黄色い帽子をかぶった、現場監督だった。彼は立ち上がり、私達に向かって言葉を発した。

「今日も皆さんお疲れ様でした、本日も怪我なく無事終えることができました、が、一件、重大品質問題に発展しかねない事案が起こりましたので、皆さんが帰る前に共有したいと思います」

そう言うと、現場監督はあの船島が起こしたことのあらましについて語り始めた。現場監督は、しきりにこの生産管理室に掲げられたスローガン「目指せクレーム件数0」を指差し、作業前の声出し・指差し確認などについてくどくどと話した。

この場にいる全員から、「早く終われよ」、と言うような気配が流れ出していた。しかし私だけは違った。私はこの話の途中から感づいていた。

“もしかしたら、来る!”

この緊張感に私は他の全員より遥かに長い時の流れを感じていた。

「ええ~、問題を事前に防ぐため、品質管理意識を高めることが重要でありますので、皆さんに参考にしてもらいたい事例がございます」。

現場監督が一息置いた。

この余白に、私の末梢血管が収縮したかと思うと、心臓が一つ胸を叩いた。その瞬間、熱く煮えたぎった血液が大動脈から脳へ流れ込んだ。

「ええと、本村さんだっけ?前に来てください」

“来る”

現場監督が私の名前を呼んだ時、私にあの忘れていた感覚が蘇った。

この狭い生産管理室では、現場監督のもとまでたった四歩の距離だった。私が一歩進むと、いつも隣で私の指導係を気取っていた森田の前に出た。

二歩進むと、ベテラン社員たちを横切った。そして三歩目には、私の前に私と現場監督以外の誰もがいなくなった。

その時からだった。大量の血液が流れ込んだ私の脳内で、報酬系ホルモンの分泌を司る側坐核の放出口が圧力によりこじ開けられるのを感じた。

大学生に進学して以来、感じたことのない感覚。次に心臓が胸を打った瞬間、側坐核から信じられないほどの量のドーパミンが放出された。それは瞬く間に私のドーパミン受容体を包囲した。

最後の一歩を踏んでしまったら。私は未知の喜びを前に一瞬躊躇った。しかし、私は、こんな自身の性から逃げることが出来ないのだ。

そう思い最後の一歩を踏みしめ、現場監督の横に立ち、皆の方へ振り返った。

そこには十数名の大人の疲れた顔があった。その上には私が行った行為に対する賞賛、妬み、嫉み、恨み。多種多様な感情を宿した様々な目が張り付いている。それは一点、私に注がれていた。今私は彼らから抜きん出てここに立っている。

そのことを自覚した瞬間、私の脳内でドーパミンと受容体が結合し、発火した。

「ええ~、本日みなさんもご存知かもしれませんが重大な品質問題になり得る事案が起こりまして、そのことを事前にこの本村さんが…」、と現場監督は話を続けた。

私の脳内では、この喜びの爆発の連鎖が起こっていた。私の喜びはドロドロに溶解した鉛のように、重力に引きずられ脊髄を下っていた。

「ですから皆さんにもよく言っているように、まずは報告連絡相談が大事で…」

現場監督の話はまだ終わらない。しかしすでに、私は時間の感覚などなかった。むしろこの喜びが終わらないことのみを願っていた。そして次の瞬間、尾てい骨まで達したドーパミンが脊髄の付け根から跳ね返り、再び私のドーパミン受容体を襲った。

これに私は卒倒寸前になり、感情を大声で訴えたくなる衝動に駆られた。大学生活を通して、味わうことの出来なかったこの喜び。将来教師になって、再びこの喜びと出会えるのか不安に苛まれた日々が、一瞬で吹き飛んだ。そして、私にある決意を抱かせた。

“私のいるべき場所はここだ”

現場監督の傍らで平然を装いながら、私はこの確信に打ち震えていた。
そしてこの時から、私の喜びを求めるための、終わりのない闘争が始まった。

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