暇と退屈の倫理学
を少し読んだ。ほんの少しだけ。
この本のことは以前から知っていた。
ただ、その帯には『東大・京大で1番読まれた本』と書かれていることもあり、背伸びしていると思われることを恐れている僕には、レジにその本を運ぶ気概がなかった。
ただ、最近になって、オモコロ編集長の原宿さんが、YouTube動画内で紹介していることを知り、勇気を持って読んでみることにした。僕は原宿さんを全面的に信頼している。
早速、本の内容に触れたいのだが、反芻動物の僕には、イカンセン中身がまだまだ消化しきれていない。これはいつも通りなのだが、僕は全ての情報を皿まで飲み込んだ後、胃の中で発酵させて、理解を進める節がある(そのため、本筋とは全くズレた箇所に感銘を受けることもある。仕事もそんな調子なので、マルチタスクがなかなか進まない。)。
ただ、この本のイノイチバンニ『そもそも哲学とは、どのようなものか?』が論じられていた。少なくとも僕は、そのに関心を持った。
この本によると、『哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営みである。」らしい。
僕はこれまで、この類の哲学本をつまみ食いしながら読んできたが、『はいはい、俺もそういうの考えたことある』と、悦に浸りながら読むことが多かった。しかし、これまでの僕は、この本で言う『問題を発見し』に留まっていたのだ。
僕の行ってきた思考は、哲学ではなさそうだ。
仕事でもそうだ。成果は人に伝えて、初めて完成する。同じように、思考により得た成果を、体系的に分類、整理して、『概念』化を通して、人に伝えることで、哲学は完成する。
先にも、多少触れたが、僕の思考は、それまで考えたことが、雑多に頭の中に散らばっており、それが意図しないタイミングで、有機的な繋がりを持って、発酵が完了することが多い。そのため、常に頭の中には未完成の消化途中物が占めており、ワーキングメモリを圧迫する。
どの分野であれ、体系的、論理的な思考を行うと言うのは、プロに必須の条件なのだろう。雑多さの先にある成果物は、偶然性を必要とし、所詮はアマチュアの思考の範囲を脱しない。『そういうの考えたことある』で立ち止まっている僕は、全くもって、哲学に触れられていなかった。
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