私が豊岡市竹野町に移住した経緯
最初の投稿で簡単に自己紹介をしたのですが、私は埼玉県から兵庫県最北端の地に約4年前移住をしました。
移住した経緯をよく聞かれるので、今回はそれをまとめてみます。
かなり個人的で長いお話ですので、余裕のある時に、ふーんって感じで読んでもらえるとありがたいです。
地方移住をリアルに考えたのは社会人1年目の時でした。
海外から撮影用機材の輸入をする会社で営業の仕事をしていて、北京のスタジオの管理業務や海外に出張に行ったりとそれなりに充実はしていたのですが、どこかこれじゃない感を抱えて働いていました。
「何のために自分は働いているのだろう」
「このまま自分はどこに向かうのだろう」
みたいなことをよく考えていました。
そもそも、その会社に就職した理由は、学生時代、バイトをして金を貯めて、そのお金で海外旅行に行ったりを繰り返していたので、海外とやりとりをする仕事がしたいと思っていたこと。あと、すごく小さい会社だったので、色々とやらせてもらえるってことが主な理由です。
と、そんな感じで、実際に働いてみたらどこかこれじゃない感を感じてしまったのです。その理由はなんだろうなと今でも考えるのですが、はっきりとした理由はありません。
満員電車は嫌。
お金以外、何のために働いているかわからなかった。
これ以上学ぶものがなかった。
上司で馬が合わない人がいた。
営業の仕事が楽しくなかった。
とまあネガティブなことを書こうと思えばいくらでも書けるのですが、どちらかというと、地方に住みたいんだ!ってポジティブな思いの方が強かったです。
そもそも、海外大好き人間だった私が地方に興味を持ったきっかけがありまして、それはお世話になっていた大学の教授に誘われて、地方で聞き書きをする授業を受けたことがきっかけでした。
大学5年生の時に、(5年まで言った理由は聞かないでください)
なぜか教授に誘われて、島根県の海士町に行きました。
別に地方に興味があったわけでもないし、特段優秀な生徒であったわけでもないし、いまだになぜ誘われたのか謎なのですが、ヒマだったしせっかく誘われたので、行くことにしました。
授業の内容を暴力的にまとめると、おじいちゃんおばあちゃんのライフヒストリーを聞いて、現代の自分たちの生き方と比較してみよう、そしてこれからの生き方について考えてみようって感じです。
※もちろんただの旅行ではなく、事前に聞き書きの練習をしたり、現地のコーディネーターさんの阿部さん(巡の環、現在社名変更で株式会社風と土と)に来てもらって勉強したり、授業としてしっかりとしたものでした。
それで地元の方と話したり、遊んだりしたのはとても楽しかったのですが、実は途中参加だったので、消化不良だったんです。そしたら、それを察して阿部さんが「移住しておもしろいことしてる人がいるから話を聞いてみる?」って誘ってくれました。
消化不良だったので、聞けるものはなんでも聞こう状態だったので、友達と二人で話を聞きに行きました。30歳くらいの男性で、今でいう農家民宿をしていたり、家をセルフリノベしていたり、自分の好きなことをしてて羨ましいって、純粋に感動したんです。
いつかは自分もそんな生活をしたいってその時ぼんやりと思いました。
でもイメージしていたのはテレビの「人生の楽園」のような生活。
定年退職して悠々自適に暮らしたいな、くらいでした。
でも、社会人になって実際に働いてみたら、若いうちに移住をしてみたいって気持ちが沸々と湧いてきて抑えきれなくなってきました。
湧いてきた理由はいろいろあって、
現実から逃げたいって気持ちもありましたし、
自然の中で暮らしたいって気持ちもありましたし、
自分の力を一から試してみたいって気持ちもありました。
海士町で会ったあの男性みたいな生活をしてみたら幸せになれそうとも思いました。
人間の感情ってそんな単純なものじゃなくて、いくつもの理由が積み重なってできていると私は思っているので、理由や動機なんて一つじゃないと思っています。だから、よく移住した理由は!!と聞かれますが、これだ!って理由は言えません。ごめんなさい。
ということで、仕事をしつつ、移住先を探すことにしました。
ちなみに今の妻とも当時お付き合いをしていて、移住したいことは伝えていました。一緒に地方に旅行に行くことから始めて、候補地を探しに行ったりもしました。
竹野町を見つけたのは、東京ビックサイトで開催されている「JOIN移住・交流&地域おこしフェア」です。
元々地域おこし協力隊になりたいと思っていたわけではないのですが、まとめて見れるのはいいなと思って、行ってみました。
100以上の自治体が出展していたので全部見るわけにもいきません。とりあえずゲストハウスをしたいことは決まっていたので、空き家活用で募集している自治体に片っ端から話を聞きました。
あと、出身が埼玉県なので海沿いがいいなと思っていたので、その二軸で探しました。
今でこそ、積極的な自治体が多いですが、当時はやる気のないところもたくさんあって、明らかに嫌々来てるでしょって人もいて、そういうところは自然と除外していきました。それで残ったのが今の竹野町でした。
まだ仕事をしていたので、その時は結局応募はしませんでしたが頭の片隅には残っていました。その後の働きながら、さまざまなところを巡り、どこがいいかを探っていきました。どこも魅力的だし、いいなと思いましたが、最終的に竹野町に決めました。
理由は大きく4つあって
①海沿い
→埼玉県には海がないので、海沿いに住むのが憧れ
②ゲストハウスができる物件を紹介してくれた
ゲストハウスをするってのは決めていたので、やりたいことができるってのが事前に決まっているのは大きかった。
③市役所の人の対応がよかった
移住してから問題が起きるのはなんとなく想像できていたので、その時に助けてくれそうかってことも判断材料の一つでした。
④関東から遠く離れている
実家に近いと甘えが出そうだったので、離れていた方が自分は頑張れると思ってました。あと、文化の違いなんかも感じれそうだなと。
特に物件がすぐに決まったのは大きくて、これはなんかの縁だろうと自分自身を信じ込ませました。最後は勢いみたいなところもありました。
絶対に竹野じゃなきゃいけないっていう強い理由は正直ありませんでした。
移住するにあたって、親も今の妻にも、そして妻の親にも、人生一度なので挑戦させてくださいみたいなかっこいいセリフを言って、お願いし、快諾してくれたことを今でも感謝しています。
結局2年半のサラリーマン生活。半年間のニート生活を経て竹野町に移住してきました。移住した理由や経緯はこんな感じです。
過去のことなので、美化したり、抜けていることもあるので思い出したら加筆修正していきます。