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「自分らしく生きること」と「成長」は、相反するかもしれない

6月も終わり7月に入りました。

東京の夏はとても暑いですね。エネルギーが吸い取られるような感覚があります。

先週記事書くのをさぼったので、今週はせっせこ書いてまいります。

自分らしさと成長

実は先々週ぐらいに広島県の鞆の浦に行ってきました。

都会暮らしから離れ、2日間港町を堪能しながら、暮らしとは、地域とは。そんなことを感じたり考えたりしていました。

そこで一緒に回っていた人から出た問いが、ぼくには強烈に刺さりました。

それは、
「自分らしく生きることと成長って相反するのかもしれないね」ということ。

そもそも自分らしさというのは難しいもので、彼女といる自分、家族といる自分、友達といる自分、会社での自分というのはそれぞれ違う自分がいて、関わる人によって自分らしさというのは異なります。なので、「これが自分はこうだ!」「これは自分らしさだ!」というものは存在せず、人と関わる中自分を知り、違う側面に気づいたり、そこで自分の中での自分らしさがアップデートされたりします。

自分らしさというものは複雑だという前提はありつつ、自分らしく生きるというのは、要するに自分に嘘をつかないで生きるということだと思います。

楽しいものを楽しみ、嫌なものは嫌で、悲しいものは悲しく、嬉しいものは嬉しい。もちろんそれをすべて表には出すと人間関係がぶち壊れるので、人によって関わり方は変えつつ、でも自分の感じたことは大切にする。そして、できるだけその感覚が「よい」と思うものができるようなコトに取り組んだり、人と関わったり、環境に身を置いたりすることが、自分らしく生きることなのかなと思ったりしています。

そんなことを鞆の浦で感じた気がします。

一方で、成長というのは自分に嘘をつく側面もあるのかなと考えています。

これをしたら成長につながると言い聞かせてやるということは度々あります。学校の義務教育、部活で監督に命令される理不尽な練習、仕事で上司から与えられる目標・タスクなどなど。

たしかにそれをすることで、その前の自分よりできるようになることは増えます。成長することは自分のやりたいことを実現する上で重要です。

ただ、それが自分に嘘をついていることもあること、大切にしていたはずのことを手放してしまうこともあることを自覚しないとなと思う今日この頃です。

当たり前に過ぎていたことを気づき直す

最近は正直、「この仕事はなんの意味があるんだろう」と思うことが多かったです。

ただ与えられた目標に追われ、目の前の仕事の表層的な面しか認識せず、起きている時間そのことで頭いっぱいになると、意味を見出せなくなります。

それに対して、「将来のために、今は目の前の成果にただコミットする」と思考を止めてしまうと、自分らしく生きること・自分の大切にしていることを手放すことになるかもしれないと思っています。

自分は何に喜びや幸せを感じ、何を大切にしたくて、何をやりたくないのか。普段意識しないことを自分の中に落とし込み、その上で今やっていることの意味を見出せるように考えることが大事だと痛感しています。

やっぱりぼくは人や社会のためにならない仕事はしたくないです。そして、自分の将来やりたいことに繋がらない意味のない成長はしたくないです。だからこそ、今目の前のことになんの意味があるのか、考え続けることが重要だと感じていたのが最近でした。

やっぱり、考えようとしないと今目の前のことの意味も深く知ることができません。ただ走っていく中で仕事はできるようになっても、そこで得られる人ととしての深みは出ない気がします。ビジネスパーソンという仮面をかぶると、その仮面に依存して思考を止めてしまっているような感覚があります。

今目の前のことに取り組む先にどういう影響があるのか、どういう人が救われてそれで社会はよくなるのか。逆にどんな悪影響があるのか。そんなことを考え続けながら働きたいです。

そのためにも鞆の浦での日々で感じた「暮らし」を大切にしたいです。

「暮らしってなんなんやろ」と思っていましたが、今は日々当たり前に過ぎていく日常に意識を向け、自分が何に対して心が動くのか自覚することだと思っています。

そうすることで、自分らしく生きられ、健全に成長できるのかなと思っています。今は暮らしと仕事が分かれていますが、暮らしの中に仕事が入るようにしていきたいです。

こんなことを考えていたら、遠回りもするし、無駄に悩むことも多くなりそうですし、真面目すぎだと思いますが、まあ折れずにまっすぐに突き進もうと思っております。

7月も楽しんでいきましょう!

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